2018年1月31日水曜日
いやな予感
明日と明後日は曇りと雪の予報。となると今週、山へ入るのは今日(1/31)しかないと思い定めて、行き先と地図を用意し弁当も作ってもらうことにして、昨夜は早く床に就いた。山へ入る前日は特別のことがない限りお酒も口にしない。少し咳が出始めたのが気になったが、上々の調子と思っていた。ところが夜中に、咳き込んで目が覚める。それほどひどくはない。目覚ましが鳴る前に咳き込んで目を覚まし、「今日の山はやめるわ」とカミサンに声をかける。「今年のインフルエンザは熱が出なくて咳が出るそうよ」と返ってくる。
2018年1月30日火曜日
そうか、自然に帰れ! か
昨日の最後に「教えてよ、イワナミ映画さん」と記した。今朝夜明けにそれが夢の中に甦り、ひとつ思い浮かんだことがあった。
映画『女の一生』の主人公の立ち位置は、ナイーブな女だったのか。伯爵家出身の世間知らずの女というのではなく、純朴で疑うことを知らない、まっすぐに生きる女という意味を読み取っていたのかもしれない。日本にいる私などからすると、カトリック的制約がないというだけでも、さらに枠を外した「まっすぐに生きる」と言うありかたを想いうかべてしまう。とすると、ヴェネツィア映画祭批評家連盟賞の選考委員たちも、そう読み取ったのか。
2018年1月29日月曜日
「”女の本質”はそう変わらない」ってか?
ステファヌ・ブリゼ監督『女の一生』(フランス映画、2016年)を観る。原作モーパッサンの映画化したもの。なんともつまらない作品だと、観終わった後、思った。なんでこんな映画を、いまどき、持ちあげて上映するのか、わからない。女性客がいっぱい。いつもなら3,40番くらいの入場順番が百番近い。2,3倍の入りだ。
2018年1月28日日曜日
実務軽視と戦略重視の狭間にあること
昨日(1/27)は36会Seminar。今回で第30回。満五年が完了する。思えば古稀の歳にはじめて、隔月に開いてきた。会場になる大学の、定年後も研究仕事をボランティア的に続けてきた人がいたからではあるが、同時に、Seminarをやろうよと発案した新橋の商店主、自動車会社の開発部門に身を置いた技術者などの同窓生が気を合わせたから、ここまで続けることができた。
2018年1月27日土曜日
2018年1月25日木曜日
下山の極意を会得した天覚山
昨日から厳しい寒気が入ると予報されていた関東平野は、一昨日の雪が残り、高いところから見下ろすと白一色、モノクロームの晴天。道に残る雪と除雪あとの凍りついた路面を恐々と踏んで、朝、駅へ急ぐ。相変わらずの通勤ラッシュ。申し訳ないが私はリュックを担ぎ、山行スタイル。ま、後期高齢者だから、縮こまる必要はない。降り立った西武秩父線の吾野駅は、昨日の高い気温に溶けた雪の部分と、それでもまだ残る部分とが混ざり合って、でも、全体に雪景色であった。あとで聞いたが、この町で予定されていた「ウォーキング大会」は中止になったらしい。今日の山歩きに参加の方々が顔をそろえる。
2018年1月23日火曜日
雪、降り積もる
雪深い福島県の新野地温泉から帰ってきた翌日、つまり昨日(1/22)、午前11時にはもう降りはじめていた。小さな雪片がちらちらと落ちてくる。積もりそうな気配。お昼になって庭を覗くと、土がうっすらと白くなっている。
2018年1月22日月曜日
いまどき「社員旅行」?
一昨日(1/20)から「ささらほうさら」の合宿。今回は初めて福島県の新野地温泉に足を運んだ。まだ現役の方がいるので、土~日に設定している。njさんは朝になって突然の不調。右脚が不自由な彼の利き足である左脚が「しびれ」、痛みを伴って歩けなくなったとのこと。人の身体というのは、バランスを保って「身」を支え続けようと全力を挙げているのだとわかる。彼の脚を気遣い、現地まで車で入ることになっていたwksさんが迎えに行ったとき、njさんは玄関まで出てくることもできないほど弱っていたという。他方、12月の例会に欠席したmsokさんが咳き込みながらも参加。参加しようという意気込みでもないと、そのまんまクタバッテシマウと笑いながら話す。
2018年1月19日金曜日
どちらがボケているのか
夢は、雰囲気(イメージのもつ気配)をみている。かたちはおぼろなのだが、(ゆったりしている)とか、(安心している)とか、(変だなと思っている)とか、(妙な感じだ)というのは、割としっかり覚えている。夢の中のことばは明瞭なのだが、覚めてみると、何だかずいぶんはっきりと分析的にしゃべっていたという(印象)が残るばかりで、何をどう分析的にしゃべっていたかは、思い出せない。夢のなかでは、ずいぶん頭が良かったのに……と思うこともないわけではない。願望だろうか。無意識の「自己主張」なのだろうか。
2018年1月18日木曜日
心棒が曲がっている
「石灰化」のために左肩に痛みが走ったのが昨年9月半ば。注射や投薬、湿布薬の施療で何とか痛みが取れたのが11月初め。リハビリと称して左腕を動かすことを心掛け、なんとか動かせるようにはなったが、いつのころだったか、動かしていると左の二の腕の筋肉に痛みが走るようになった。山歩きのときなどに左腕で木につかまってバランスをとろうとすると、烈しく痛みがあり力が入らない。そのうち痛みが、腕を垂らしているときにも手首の方にまで及ぶような気がする。まいったなあ、これじゃ、左手が使えないよと思う。ザックを背負う時にも左腕を先に通さないとならなくなった。つまり、後ろの方に伸ばすことができないのだ。整形外科へ行っても(たぶん)湿布薬をくれるだけだ。
2018年1月17日水曜日
私たちは「洗脳」されていないのか?
もう何年か前の話になるが、北朝鮮を訪問した知人の日本人ジャーナリストが帰国後、「北朝鮮の人たちは洗脳されているから(取材しても)面白くなかった」と語っていたことがある。そのとき「そうかなあ。自分を守っているだけなんじゃないかな。私たちだって洗脳されて育った」と私の口をついて出た。「えっ、どういうこと?」とそのジャーナリストは問うたが(神保町を歩きながらだったので)そのまんまになったのが思い出される。私の感想は、いまも変わらない。
2018年1月15日月曜日
前半で下見は完了
高気圧が全国を覆うとの予報に、来週の山の下見に出かけた。じつはこの山の下見は、7月にやっている。古峯神社からの踏路を歩くのは初めてだったから、ルート確認のつもりであった。そのときは、地蔵岳まで上り、ハガタテに引き返してそこから、稜線をたどって古峰ヶ原の入口まで行き、古峯神社への沢沿いの下山路をとった。途中、行者岳から下るルートへ踏み込んではみたものの、廃道になっているのか、踏み跡がわからない。頼みのGPSも電池切れで作動せず、そのせいもあって、ルートを間違え、1時間ばかり引き返す失態を演じた。
2018年1月14日日曜日
歩くということ
「分速80メートル」というのが不動産の物件表示における基本速度だと知ったのは、昔住んでいたマンションを売りに出したときであった。時速にすると4.8km、なんとも中途半端な速さ。この業界の人たちは何を基準にこれを決めたのだろうと、そのときは不思議に思ったが、それっきりで忘れていた。ところが、レベッカ・ソルニット『ウォークス――歩くことの精神史』(左右社、2017年)を手に取って頁をめくっていたとき、「時速3マイル」という表記があって、気がついた。これが「分速80メートル」だと。そうか、欧米由来の人の歩行速度だったのだ。
2018年1月13日土曜日
前を向くのが今の活力か
山歩講(私の主宰する山の会)の今年度前期(4月~9月)の計画案を立てて講中の方々に提示した。月一回は講中が代わる代わるチーフ・リーダー(CL)となって計画を立てて実行する「日和見山歩」。もう一回は私のプランによる「月例山行」。まず「月例山行」プランを立てて提示し、講中はそれを見てCL担当者を決めて、「日和見山歩」のプランニングをする。最終決定は2月後半の奥日光のスノーシューの泊りの宿で行う。山歩講のメイン山行は、昨年から「日和見山歩」になった。
2018年1月12日金曜日
どこから来てどこへ行くのか
千葉聡『歌うカタツムリ――進化とらせんの物語』(岩波書店、2017年)を読む。面白い。カタツムリの色と形のさまざまを取り上げて、進化がどう進んでいるかを「論理化」する試みが、ダーウィン以降、こんなにも世界に広く行われていたとは、思いもよらなかった。
2018年1月11日木曜日
日向ぼっこの八王子城跡
いや、今日は実に天気が良かった。雲一つない晴天とはこのこと。高尾駅北口から10分足らずでバスを降り、登山口にあるお寺、心源院に行く。広々とした境内。標高は186m。すぐ後ろに山が控えている。鬱蒼とでもしていれば御神体とでもいうのであろうが、さにあらず、枯れ木を林立させて青空に清々しい丘陵という風情。9時に女坂を登りはじめる。霜柱が立ってザクザクと心地よい音を立てる。昨日の雨が地面を湿らせているのであろうと思っていたが、登るにつれ茅の原が現れ、下が砂地になると霜柱は姿を消してしまった。稜線に乗り振り返ると、八王子の町が眼下にみえる。平に連なっているのではなく、丘陵の隔てられてポツンポツンと住宅地が固まって所在している。
2018年1月8日月曜日
我感ず、ゆえに我あり
西加奈子『i』(ポプラ社、2016年)を読む。刊行されてから一年と一カ月経って手元に届いた。表題の「i」というのは、虚数の「i」――「存在しない」と表現されてはじまる。途中で大学院数学科の人たちが「何を素人みたいなことを言ってるんだ。ゼロだって印度で発見されるまでは存在しなかったが、発見されてからは存在しているんだ」と反駁する。主人公の名は「アイ」、裕福なアメリカ人と日本人の夫婦の養子。シリア難民の子どもが、もらわれてきた。「この世界に、アイは存在しない」とイメージが重ねられる。戦火のさなかにおかれている記憶にない生まれ故郷と裕福な環境の中で恵まれて育っている「アイ」との落差。つまり、わが身に世界の落差が埋め込まれている主人公の心裡の不確定さを「i」は象徴し、「わたし」って何? と問うている作品のように思える。陽子という主人公のおかれたありようも、血のつながりをどうとらえるのか、それにどれほどの意味をみることができるのか、問い続ける主人公の胸中が描き出される。体に埋め込まれた世界の落差をどれほど体現しているかと問う主人公の自問自答は、ほとんど表現としても空転しつづける。
2018年1月7日日曜日
天与のことごとに感謝を捧げる
一年前のブログ掲載記事を、ブログ提供元が送ってくる。ちょうど一年前に何をしていたか、何を考えていたか(「日記」を読むような気分だが)わかる。じつはすっかり忘れているから、面白い。去年はまだ、息子一家がいたのだ。東照宮に寄って帰ったり、妹孫が中耳炎になって医者にいったりして、(親は)あたふたしている。爺婆はわりとクールにみながら付き合っている。
2018年1月6日土曜日
名を残す? どっちだっていいじゃないか
NHKのTVドラマ「風雲児たち」の録画しておいたのを観た。三谷幸喜脚本と知ったのは、全部が終わってから。いかにも彼らしい。『解体新書』の成立由来を軸につくった物語。 なぜ杉田玄白が前面に出て、前野良沢の名前が「解体新書」の著訳者として載っていなかったのかを軸に、言葉の橋渡しをするという翻訳のご苦労をコミカルに軽く描いて、面白い。
2018年1月5日金曜日
2018年1月4日木曜日
かたち(形象)を得る
今回も旅の往き帰りに佐江衆一『北海道人――松浦武四郎』(講談社文庫、2002年。作品の最初の刊行は1999年)を読む。松浦武四郎の名前は最初、幕末のころにたくさんの山歩きをした人物として(何かの本を読んでいて)知った。と言って、登ったのか近くを通りかかって見ただけなのかわからない。登山記録はない。好奇心旺盛な探検家というのが最初のイメージであった。さらに蝦夷地と呼ばれていたころの北海道を何度も歩き、子細な地名を記した地図が残っている。出会ったアイヌの人物像をこれでもかというほど書き記している。記録魔ともいうほど絵と地図と文章に書き残した人物であり、「北海道」の名付け親として知った。まるで、のちの時代の南方熊楠のようにいろいろなことを手掛けている。地理学であり、博物学であり、アイヌの生活誌をアイヌ語とともに書き記した文化人類学であり、何よりも松前藩の支配や和人商人たちの強奪搾取ともいうべき悪辣なやり方に怒る言葉が迸り出ている正義漢であり、樺太や択捉まで足を延ばして探査する仕事までしている。しかも明治維新後には、北海道開拓の「お役」を受けていたりするから、役人にもなったのだと思っていた。出自が伊勢の武士の四男だと知って、去年お伊勢参りに行く前に、この人の伝記本を手に取りもした。要するに一つのイメージにおさまりきらない人物であった。
2018年1月3日水曜日
第30回 36会 aAg Seminar 案内
あけましておめでとうございます。
いよいよ、第30回 36会 aAg Seminarを行います。古稀を迎えて開始したこのSeminarが、隔月に開催されて五年間、無事に全うできそうであることを、なによりも寿ぎたいと思います。
2018年1月1日月曜日
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