2018年1月29日月曜日

「”女の本質”はそう変わらない」ってか?


 ステファヌ・ブリゼ監督『女の一生』(フランス映画、2016年)を観る。原作モーパッサンの映画化したもの。なんともつまらない作品だと、観終わった後、思った。なんでこんな映画を、いまどき、持ちあげて上映するのか、わからない。女性客がいっぱい。いつもなら3,40番くらいの入場順番が百番近い。2,3倍の入りだ。


《この上なく美しく、繊細に 人生の四季を描く世界文学の傑作が 新たな映像表現によみがえる。》

 とチラシの表書きに喧伝する。だがそうか。映像表現なら、もっと緊張感を持った映像はたくさんある。人生の四季とはいうが、娘と女と母親という女の一生をたどるのであれば、(今は)もっと多彩な要素をふくめねばなるまい。女性の社会的位置もモーパッサンの時代とは格段に異なっていることを考えれば、ただ懐古趣味的に、150年前を再現してみせるだけではリアリティに欠ける。観るものとの対話が成立しない。

 この上映をしている岩波映画が、ヴェネツィア映画祭2016国際批評家連盟賞を受賞したのを受けて輸入したのかもしれないが、もう少し自分なりの定見をもてよと、悪口も言いたくなった。でもでも、も少しチラシをよくみてみようと、帰りながら細かく読んだ。すると、

《恋愛、結婚、出産、子育て、親を看取ること――。置かれる立場や状況は違えど、”女の本質”はそう変わらない。こと世間知らずなお嬢様ジャンヌは、諸所のつまずきを正直に、まともにかぶってしまう。だから濃い物語が生まれる。濃いから面白く、目が離せない》

 と、掻い摘んで説明している。そうか「”女の本質”はそう変わらない」ってことか、ポイントは。これは女 の本質はバカだと言ってるようなものだ。この岩波映画のチラシを書いたのは、ひょっとして男の社員か。女の本質は男に依存して経済的に世間知らずで、わが子に盲目ってことか? いまどきそんなことを「女の本質」などと言ったら、バカにするんじゃないよと女性社員に足蹴にされるに違いない。そのバカさ加減を「美しく繊細な……映像表現」に解消しようってのも、何だかあざとい。私に言わせれば、世界を見損なっている。岩波映画だけでなく、ヴェネツィア映画祭国際批評家連盟ってのも、なにに「批評性」を認めたのか、教えてもらいたいものだ。

 そうして最後の場面。何十年と借金をしてはカネオクレの手紙を書いて寄越しはするものの、一度も帰ってこない息子の子どもである孫娘を連れ帰った乳姉妹が「人生ってそう悪いモノじゃないでしょ」と無一文になった主人公に向かって言うに至っては、バカも極まれりだと思った。フランス(の社会)って(当時でも今でもいいが)、ここまで愚かしいのかい。それとも(貧富の格差が埋めようもないほど拡大している現代において)この最後の表現に、絶大な「皮肉」をみとめて批評家賞が与えられたのだろうか。教えてよ、イワナミ映画さん。

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