2018年1月19日金曜日

どちらがボケているのか


 夢は、雰囲気(イメージのもつ気配)をみている。かたちはおぼろなのだが、(ゆったりしている)とか、(安心している)とか、(変だなと思っている)とか、(妙な感じだ)というのは、割としっかり覚えている。夢の中のことばは明瞭なのだが、覚めてみると、何だかずいぶんはっきりと分析的にしゃべっていたという(印象)が残るばかりで、何をどう分析的にしゃべっていたかは、思い出せない。夢のなかでは、ずいぶん頭が良かったのに……と思うこともないわけではない。願望だろうか。無意識の「自己主張」なのだろうか。


 今朝方見た夢は、妙であった。カミサンと二人の住まいにいる。もう五十年も連れ添っているから、言葉を交わすことがなくとも、気持ちが通ずる。そんなふうな雰囲気だったのだが、ふと足元を見ると、先ほどまでテーブルの上にあった(なぜか大切なガラスの皿だったか鏡だったか)が砕けて床に落ちている。

「あれっ、割れてしまったぞ」
「前から割れてましたよ」
「そんなことはない。今ここにあったじゃないか」
「そんなことありませんよ。前々から割れていましたよ」

 これだけの夢。その言葉を交わす前段に、比翼連理のごとき睦まじさの印象があるが、忘れてしまった。その果ての会話である。これで半醒半睡になった。(なんだこれは?)と思い返して意味を自問自答している。

 (カミサンがボケ始めたか)と私は思っている。ところがカミサンのセリフの側に立つと、(私がボケ始めている)とカミサンは思っているかもしれない。そういう言葉にはならないのは、気遣いがあるからか。

 でもひょっとすると、どちらもボケているわけではなくて、「認知・認識」が違うってことかもしれない。比翼連理という互いの仲が「割れている」ことに気づいた私。それに対して、「前々から割れてましたよ」という醒めたカミサンの認知。それを、ともに現実の認知や認識は同じはずだと思い込むところから、ズレが生じる。ずれが生じても、まあ人生ってそういうものよとカンネンしていれば、わざわざ荒立てて騒ぐこともない。相手が比翼連理と思っていれば、それはそれで構わないと心遣いをして(カミサンは)、それにお付き合いしてきたのかもしれない。

 私が夢で見たことだ。起きてカミサンに問いただしても、間違いなく「???」と反応するだろう。ということは今、私の内面で「壊れているのではないか」という疑念というか、不安に結びつく何かが生じているのであろうか。そうして、カミサンの認識に取り残されて、能天気に過ごしてきた何十年かをあらためて見つめ直す衝動が湧きだそうとしているのであろうか。う~ん、面白いといえば面白いが、そういう認知・認識のズレはこれまでいくつもの事象に向き合って、あったとはいえる。カミサンの直感的な視力に適わないと思ったこともある。でもなあ、今ごろ反省してどうなるよ。

 歳をとれば、どちらがボケているかと考えた方が、実務的には間違いが少ないかもしれない。

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