2018年1月1日月曜日

世界を具体的にイメージする、外(とつ)国との「祭礼」


 あけましておめでとうございます。相変わらずの徒然なるままですが、お付き合いくださいますよう、よろしくお願いします。


 奥日光に行っている間に、吉村昭『海の祭礼』(文春文庫、2004年。最初の刊行は1989年)を読んだ。こんな本だとは思いもしなかった。じつは、今年の7月に利尻岳に登ろうと考えて、目につく資料を読んでいたら、どこかに、利尻島に漂着して後に外国語教師となった人物のことが記され、詳しくはとして、吉村昭のこの本に触れていたので、図書館に予約して手に取ることになった。

 この小説がとりあげているのは、ペリー来航から日米修好通商条約締結、大政奉還に至る時代の外交交渉の足跡である。吉村昭は、誰が通訳をしたか、どのように彼はその言葉を使うようになったかを探るうちに、利尻島に漂着したアメリカ人青年、ラナルド・マクドナルドにたどり着いた。そして今度は逆に、マクドナルドがどのように処遇され、長崎でオランダ語の通詞にアメリカ語を教えることとなったか、そのいきさつを調べるうちに、マクドナルドからアメリカ語を教わった森山栄之助が、その役柄から外交交渉の場面に立ち会い、そのうちそれが評価されて外交交渉そのものの達者として、通訳ばかりか外交官としての役割まで期待されていく過程を描く。

 マクドナルドは入口であり、利尻島はほんのさわり程度の扱いなのだが、森山栄之助の果たした役割の大きさを考えると、ことばという糸口をどう手に入れて解きほぐして行ったかを脇において、ペリー来航やハリスとの交渉を結論部分だけたどりながら、日本近代史をわかったつもりになっていることの浅ましさに、恥ずかしい思いをする。もちろん学校などで教える歴史は、時間的な制約もあって、あれもこれもということはむつかしいであろうが、単に「知識」を教えるのではなく、その歴史過程を歩んできた具体的な人間の姿が浮かぶようなイメージをもって、歴史を教えるということが決定的に欠けているのではないかと思うようになった。そういう意味で、恥ずかしい。

 歴史が為政者の政策史であったり、(幕末の)権力闘争の歩みであったりするのは、やはり「力関係」という限定された場面のイメージしか喚起しない。たとえば、ハリスが下田に上陸してから日米交渉が進められた時のかたくなな態度の場面は、ほとんどトランプの現在と同じだと思わせる。自国の利益を第一とし、自国の優位性をあからさまに正しきこととして要求を口にし、交渉相手のことばを聞きとろうとしない。通詞を務めた森山栄之助もあきれ果てるほどのかたくなさは、たしかに目的達成のためには手口を厭わぬという意味では明確に「外交交渉」なのだが、それは単に、力の強さを背景にした強引な強要である。政治ってそういうものよと言えば、それでおしまいだが、でも庶民が見る限り、政治はそうかもしれないが、わたしらの社会はそうではないよと、腑に落ちない思いが、残渣のように残る。もちろん吉村はハリスの強引な態度の裏には、彼に日米交渉を託した共和党のフィルモア大統領が政権の座を去り、それゆえに(日米交通の時間的落差の大きかった時代だからこそ)現場にいるハリスが意のままに振る舞う「全権」を手中にしたと考えることができたからであろう。それにしても、私は森山栄之助が「呆れた」のと同様の「不快感」をハリスに対して持ったのは、なぜなのか。「力を背景」の強者に対する嫌悪感なのだろうか。相手の言に耳を貸さない自分勝手な振る舞いに対する嫌悪感なのだろうか。心底、いやな奴だと思った。

 一つ、印象に残った場面があった。ペリーがもってきた要求は三つあった。そのうちの二つは、米国船に、薪、水、食糧を提供することと遭難者を丁重に遇して、本国から迎えが来るまで預かることであった。それらについては幕府も了解した。だが、三つ目の通商をおこなうことについて、ペリーに応接した林大学頭が「我が国は自国で採れるもので暮らしは成り立っており、外国から輸入したり輸出したりする必要は感じていない。それゆえ通商は断るという国是を貫いている」と返答したとき、ペリーがそれも道理と受け入れたことだ。吉村昭の筆致もあろうが、ペリーの(通商自体をさほど強く望んでいなかったという事情もふくめて)、ある種の合理的な思考に感心したのであった。森山栄之助という人物もそうであるが、ことばを習得するというのは、ある意味、その国の合理性を身につける行為でもある。そういう意味で、のちに咸臨丸を米国に招待してアメリカの威信を目の当たりにさせようという米国流の「身体に聞け」精神は見上げたものだと思う。

 それにしても「海の祭礼」とは、どういう意味なのだろうか。日本という島国が、海外との交通を開き、交渉を持つに至るための「祭礼」、つまり近代日本に突入するに必要な「祭礼」を意味しているのであろうか。遭難者を救助するという「祭礼」もあれば、「言葉を通辞する」という「祭礼」もある。異なる文化との交通という「世界」を広げるためには、通過しなければならない「祭礼」がある。その厳しさを(文化の優劣と合わせて)身をもって読み取っていった森山栄之助とその師にあたるマクドナルドの出会いを「通過儀礼/祭礼」として遇せよと言っているように思えた。

 外(とつ)国や外(とつ)人との出会いと交通もまた、ことばを身につけることからはじまる。それは、わが身の裡側からみると、わが身が世界から一つひとつ引きはがされて認識されることであり、まさにわが身の輪郭を描き出すことにほかなりません。徒然なるままに、相変わらずの振る舞いも、ま、世界を感じとる人の業のようなものだと、あらためて思っている次第です。

 今年もよろしくお願いいたします。

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