2018年1月13日土曜日
前を向くのが今の活力か
山歩講(私の主宰する山の会)の今年度前期(4月~9月)の計画案を立てて講中の方々に提示した。月一回は講中が代わる代わるチーフ・リーダー(CL)となって計画を立てて実行する「日和見山歩」。もう一回は私のプランによる「月例山行」。まず「月例山行」プランを立てて提示し、講中はそれを見てCL担当者を決めて、「日和見山歩」のプランニングをする。最終決定は2月後半の奥日光のスノーシューの泊りの宿で行う。山歩講のメイン山行は、昨年から「日和見山歩」になった。
講中が「月例山行はきつすぎる」と言いはじめたこともあって、「それなら自分たちで計画したら」と私が突き放したところから、月二回実施ということになった。もともと、発足時の山歩講の「原則」で「自己責任で行動します」としていたから、(ちょっと自分にはきつすぎると思えば、参加しなければいい)わけだが、(山歩きは続けたい、でもきつすぎる)というので参加しないと山から遠ざかってしまう。その「不満」を一挙に解決するのが、月二回、「日和見山歩」を実施することであった。
年々歳をとる。5年を経過すると、皆5歳年寄りになる。体は着実に衰える。体力・筋力ばかりではない。バランスが悪くなる。(ちょっと無理かな)と思う場面に遭遇することが多くなる。そんなとき、山の会の方々と一緒だと、励ましたり励まされたり、あるいは何も言わずともみているだけで、自分の力量が最大限発揮されていることを感じる。弱った人を励ますというのは、その人よりは力を発揮(している、あるいは)しなければならないと思うから、つまり頑張ってしまう。ほかの方に迷惑をかけたくないと思うから、何とかついて行こうと頑張る。当然あとになって、あんなところよくやったねと、達成感を覚える。自分をほめてやりたくなることもある。単独行では、こうはいかない。もし何かあったら、誰も助けてくれないと思うから、極めて慎重になる。力量の8割程度にとどめて、あとの2割を、もし万一の場合のためにとっておこうという感覚装置が作動する。
加えて、年をとるということは、子どもが大きくなり孫が生まれ、その世話に追い回されるときが来る。あるいは、老親の世話をしなければならなかったり、自分の連れ合いが身体を壊して介護が必要になったりすることもある。それで家事や介護にかまけていると、体力は確実に低落してくる。山から足が遠のくのは、年寄りの属性のようなものだ。仕事において現役の人もいるが、この方々は、それだけで時間の融通が利かない。
実際には14名の講中がいるが、現役の仕事や孫の世話、家族の介護などをかかえたり、身体的にむつかしくなって、毎回は顔を出せない人が6人もいる。だから今年の参加は9名~4名、平均すると7名になった。毎年減ってきたが、このくらいのパーティが一番歩きやすいので、会員の募集はしない。聞きつけて加わりたいという方がいれば、基本的に拒まず受け容れているという程度だから、顔ぶれが決まってきて、親密度が増している。私自身は社交性において不器用なほうだから、一緒に歩いている男性会員の方々の、他人との上手な向き合い方にいつも感心しながら、我が身を振り返っている。
さてそうした山歩きの蓄積もあってだが、今年度前期の「山行計画案」を提示して後の、皆さんのやりとりに、ちょっと感ずるところがあった。
「山行計画案」で提示したのは、7つの山行。4月から毎月一つずつの「月例山行」6本と、昨年から希望が出されていた「山行」を(その希望を持っている方に)「日和見山行」として立案してもらったのが1本。宿泊を伴うのが4本、日帰りが3本。そして、「できうれば、下記プランの一つひとつについて、[○参加希望あり、×参加希望なし、△今決められない]をお知らせくださるとありがたく思います」と書き添えた。じつは、今年の夏の宿泊受付が1月21日から始まる宿もあって、おおよその人数を確認しておきたいという事情もあったから、「山行計画案」の頭にそういうお願いをしたのだった。
すぐに反応があった。これまで現役の仕事を持っていて年に1,2回しか参加できなかった方から返信があり、4つの山行に参加したいとあった。同じく現役の仕事を続けている方が、3つに参加、2つを「検討中」とある。全部に参加が1名、ひとつだけ参加できないが残る6つ参加も1名。常連の参加者が迷っている人がいる。自分の力量に合わないのではないか、と。その不安の部分と、それをどう解消するかを、山を歩きながら言葉を交わして、あるところではプランを修正し、あるところでは、エスケープの仕方を算段する。
そんな話をしていると、「あなたも行こうよ、これが最後だよ。こんなところまで行けるのは」と、まだ参加表明していない人が、4泊5日の利尻岳に、やはりまだ参加表明していないほかの人に声をかけている。するとそちらから「えっ? そんなプラン届いてないよ」と驚きの声が上がって、送信した私が驚く。あとで分かったのだが、彼女はスマホを変えたのだ。古いアドレスに送ったものが、なぜか、どこかへ行ってしまっているらしい。声をかけた方が、詳しく説明している。話しを聞いていた別の人が(自分がついて行けなくなったときの)エスケープの仕方について口を挟む。こうして、山歩きの間、4月からの山行が話題に上り、それに合わせて、自分の山歩きの仕方を対象化してみる言葉が繰り出されている。
いやじつは、私自身は(最後尾を歩いていたり、お昼を離れた場所で採っているから)耳にしていないのだが、4月から半期の「日和見山歩」のCLも決まったと、女性リーダーの方からCL担当者の名前を知らせてきた。皆さんずいぶん前向きなのだ。「月例山行案」というイメージが土台になって、皆さんの胸中で9月までの山歩きが動き始めたという感触がある。それと同時に、この山の会が、山を歩くということを介在させて、人と人との親密な交通を紡ぎはじめたと思えた。それが活力になって、また山を歩ける。前を向くのが、活力の源になっている。そんな感じだ。
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