2018年1月11日木曜日
日向ぼっこの八王子城跡
いや、今日は実に天気が良かった。雲一つない晴天とはこのこと。高尾駅北口から10分足らずでバスを降り、登山口にあるお寺、心源院に行く。広々とした境内。標高は186m。すぐ後ろに山が控えている。鬱蒼とでもしていれば御神体とでもいうのであろうが、さにあらず、枯れ木を林立させて青空に清々しい丘陵という風情。9時に女坂を登りはじめる。霜柱が立ってザクザクと心地よい音を立てる。昨日の雨が地面を湿らせているのであろうと思っていたが、登るにつれ茅の原が現れ、下が砂地になると霜柱は姿を消してしまった。稜線に乗り振り返ると、八王子の町が眼下にみえる。平に連なっているのではなく、丘陵の隔てられてポツンポツンと住宅地が固まって所在している。
陽ざしが当たり、稜線を上るのが心地よい。CLのkwmさんは歩度をゆっくりととり、okdさんがつづく。最長老のoktさんは後ろの方に位置して、自分のウォーミングアップを図っているようだ。向山北砦に9時19分、男坂との合流点になる。標高285m。ひとたび少し下り、のちに登りがつづく。大六天(見晴所)に着く。新宿であろうか、林立する高層ビルが並ぶ。スカイツリーもそれらしく、春霞のような陽ざしにかたちを崩して浮かぶ。「あれ、筑波山じゃないか」とkwrさんが指さす。高いビルが三本並ぶ先に、山のかたちが見てとれる。
じつは今日歩いた道は、国土地理院の地図には記載されていない。だが道そのものはしっかりと踏まれているし、道標もそこここにつけられている。手書きで、「心源院」と表示しているところをみると、このお寺さんがルート開鑿をしているのだろうか。アップダウンはそれなりにあるが、歩きやすくわかりやすいルートだ。ところどころに「けものみち 危険」とあったり「作業道 この先行き止まり」とあるのは面白い。下見に歩いたkwrさんは「人がいない。高尾山の向かいにあるのに、こっちは静かだよ」という。たしかに、アメ横の雑踏を歩くような高尾山に比して、こちらは静かで歩きやすい山域だ。植生などが違うのかどうかはわからないが、紅葉のシーズンなどには断然、こちらがおすすめってところか。
照葉樹と広葉樹の灌木が密生している間を抜ける。いくつか小さなピークを過ぎると、ほどなくスギの林に入る。いかにも山らしい傾斜を上る。「北条氏照墓→」と表示が出てきて、いよいよ八王子城跡へ向かっている雰囲気が出てくる。稜線の左右は、なるほど切れ落ちているが、それほど高い山城とは思えない。あちらこちらから攻め込まれても大丈夫なのかと思うほど、この城跡自体が広い平野部に隣接して小高く盛り上がった丘陵地帯にしか見えないのだ。
10時6分、柵門跡に着く。ここから1.9km下って御主殿跡に向かう。椿が落ちている。見上げるとまだ花をつけたのがある。陽ざしの中に赤い梅の花が咲いている。たぶん標高では200mほど下っているであろう。川を堀代わりに使い、石垣を組み、攻め難く護り易い落とし橋を設え、虎口の段差を大きくしてさらに、曲げて造作している。でも空から落ちてくる陽ざしは、ここで戦いがあったようには思わせない。残された礎石だけが城の気配をとどめる。「えっ小さいねえ。これ、わが家みたいなもんじゃない」と現代住戸に住むmrさんがおどけている。
ふたたび柵門跡に向かおうとして出口の垣根に「立入禁止 この先は案内人のない方は入れません。管理者」とあった。「?……」。「私有地じゃないの?」と後ろでkwrさん。では、この公園のようにととのえられた広場は公共に提供されたものなのか? あとでkwmさんがくれた資料をみると、この御主殿跡は「幕府直轄領や国有地であった経緯から、当時のままの状態で残っていました」らしい。とすると、この先の土地は民間に払い下げられたものなのか。
柵門跡に戻ると、女性の4人組が登って来た。ベンチに腰掛け、大きな声でしゃべっている。どこから上って来たのだろう。10時55分、城山に向かう。登りに上る。八王子神社の手前に、小宮曲輪(くるわ)がある。説明書きを読むと、何万という秀吉勢に攻められた北条勢はわずか一日で落城したとある。ということは、御主殿から、この後に行く本丸までをふくめ、この山全体が「八王子城」だったわけだ。こんなに広く、登り口のある城は、守るのにはあまりよくないはずだ。さらに「留守部隊しかいなかった」というから、ほとんど守る態勢も取れなかったのではなかろうか。
石段を上がったところに簡素な造りの八王子神社がある。oktさんはお賽銭を上げようとして、賽銭箱がないことに戸惑っている。そういえば伊勢神宮にも賽銭箱がなかったことに私の思いは飛んだ。お金を投ずるのは神々へのご挨拶になかったことなのだろう。暮らしの中に貨幣が取り入れられ、(ひょっとすると)大切な希少なものを捧げて神への深い心を表す象徴としたのかもしれない。伊勢神宮では「何も願わないのが一番正しい祈りの仕方」と教わった。そりゃそうだ。神にお賽銭を投げて願いをするというのは、貨幣を介した交換関係が入ってきてからの習俗と思われる。
15分ほどで八王子城跡の本丸址。御主殿というのと本丸というのは、どう違うのだろうか。狭い。小さい城郭があったのであろうか。今は木製の小さな社が置かれているだけだ。背の高い木々に囲まれているため陽ざしも入らないので、下でお昼にしましょうと、少し降りる。降りた先にはテーブル付きのベンチがあり、東の方がよく見える。11時15分。少し早いが、二カ所に分かれて弁当を広げる。女性陣は賑やかにおしゃべりが弾んでいる。oktさんもkwrさんも陽当たりに心地よさそうにしている。
30分の昼食タイムをとって出発する。少し下へ降りると、手押しポンプを設えた蓋のされた井戸らしきものがある。水が出るのかと思いながらポンプを押すと、わりと多量の水がさらさらと流れ出る。なるほど(乾季のこの地方のこの季節)、山頂直下にこれだけの水量があれば、立て籠ることはできる。山城としての条件はほぼ十分だったようだ。「大天守跡を経て富士見台へ 徒歩約1時間。0.9km」と表示板がある。下っていると15,6人連れの登山者の一体とすれ違う。私たちよりは若いが高齢者が多い。kwrさんが「今日は歩いている人が多いね」と、下見のときとすっかり違う様子に声をあげる。傾斜の急なスギ林を傍らに見ながら、登りきると「詰の城」と記した木柱が建てられている。またそこからブナやスギの樹林の根が縦横に走る急傾斜を上る。ahさんがしんどそうで、遅れ気味だ。聞くと、「食べ過ぎたのね。お腹が痛む」という。富士見台に着いたところで休憩をとり、kwmさんがahさんの様子をうかがっている。
富士見台は、その名の通り、富士山が言える。八合目から上は雲に隠れているが、その下が手前の山の稜線に隠されているところまで、陽ざしに照り出されている。富士山と聞いて、えっ、どこどこ? と雲が広く張り出した南西の方の樹林の隙間を覗く。テーブルにベンチもあり、ここが八王子城跡と名づけられた山域の最も標高の高い地点のようだ。550m。あとは降るだけ。ベンチに座ったkwrさんが「ひなたぼっこだね、まるで」と目をつぶって気持ちよさそうにしている。女性陣は、正月の子どもと孫の世話をしてくたびれたとか、来てよし行ってよしだとか、子どもは面倒をかけていると思ってない、親孝行をしているくらいにおもっているとか、愚痴っぽく笑いながら、おしゃべりが止まらない。
ここからoktさんを先頭にしてkwrさんが後に続く。OKコンビというわけだ。熊笹山530mを通過する。ahさんは回復したようだ。kwmさんがついて最後尾を歩くが、さほど離れていない。「←駒木野バス停」「摺差バス停→」の分岐がある。私たちは摺差しの方へ下る。順調だ。これは何という木だろうか、巨木がある。というか、何本もの木が寄り集まって、まさにこれから巨木になろうという気配を湛えた木がド~ンとあり、それを回り込んで下山のルートはつづく。下の方からたくさんの車の走行音が響いてくる。高速道路があるのだ。ほどなく中央高速と圏央道との八王子ジャンクションの脇に降りたつ。道路公団の作業服を来た人たちが土手の草を刈り払っている。
カンカンカンカンと踏切の音がして、みると遮断機が下りてきている。しばらくすると大月の方から普通電車がカーブを曲がってやってくる。踏切の向こう側には二人のカメラマンが立っている。okdさんが話しかける。「言ってもわからないと思うけど、今日で廃車になる貸切専用の列車が来るんです」と40年輩の男。頷いている30歳代の男。「会社休んできているんだ。あっ、それともカメラマンかな」とokdさん。マニアというか、鉄ちゃんというか、カメラマンの仕事としてもご苦労なことだ。バス通りに出る。
msさんが歩きながら、スマホでバス時刻を調べる。どうやって調べるのか聞いてみたら、なんと、スマホのアプリを作動させると、現在地点の一番近いバス停の時刻がパッと表示されるらしい。25分くらい時間がある。「いつもの駆け込みじゃなくてよかったね」とmrさんが話している。バス停のところに「すりさしのとうふ」と大きな看板を掲げた豆腐屋があった。皆さん入り込んで何かを買ってくる。豆腐のかりんとや豆腐のドーナツを買った、また太っちゃう、と話している。
上空を何羽ものトンビが舞う。まるでトビ柱だ。そのトンビが向かいの山の葉の落ちた木にとまっている。全部で15羽もいた。なんでこんなにいるんだろうと誰かがつぶやく。「トンビに油げじゃないの」とkwrさん。アハハと笑って、バスに乗り込んだ。バスは満席のように山からの下山客が乗っている。小仏からなのだろうか。陣馬山や高尾山からの人たちとみた。途中でも乗り込んでくる。一杯の人たちを乗せて10分ほどで高尾駅北口に着き、そそくさと東京行きの快速に乗り込み帰宅。16時であった。今日の行動時間、ほご5時間。コースタイムは4時間半、お昼に30分取ったから、ほどよい時間で歩いたことになる。平均年齢が70を超えているから、まずまず立派な歩きだったといえよう。
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