2018年4月14日土曜日
穏やかな季節に年寄りの感懐
今日午後から天候が荒れるというが、いい季節になった。薄曇りの陽ざしも柔らかく、風もない。気温はほどよく、長袖のシャツ一枚で過ごすことができる。秋ヶ瀬公園の近くにある環境センターで会議があるというカミサンを送り、買い物をして帰ろうと裏街道へ車を回す。
昔、二十年ほど前には市場があり、時間によってはその中を通り抜けることができた。その後いつであったか、道路拡幅工事をしていたことを思い出し、それが出来ていればショートカットできる。裏街道を走る車はそれほどない。ぽんとぶつかったのが片側二車線の、新しくできた広い道路。歩道も整備され街路樹も植えられている。ほとんど車は通り抜けていない。17号バイパスを横切って、ほぼ全通している。さいたま市役所の脇の通りに通じて、私の行こうとする店への最短距離になった。
日本は車社会になったと何年も前から実感している。車に皆さんが乗るというのではなく、優位である車が歩行者や自転車などに道を譲っている。歩く方も車に対する注意が肌身に浸透している。近頃TVで「あおり運転」とかブレーキとアクセルの踏み間違いとか報道されるが、あれは、車社会になってきたために、かつて当たり前に横暴であった運転の仕方が、目につくようになったせいだと私は思っている。もちろん免許取りたての危なっかしい人や傍若無人に振る舞う乱暴な運転者もいる。だがそういう輩はいつだっているし、そう簡単になくなるとは思えない。社会全体がストレスに満ちて緊張を強いてぎすぎすしているのだから、心もささくれ立って乱暴に振る舞うことも多くなるのだろう。
実際運転していて、後ろから来た車が乱暴に追い越すことは、ほぼなくなった。前の運転がのろのろしていても、それはきっとさらに前に何かあるのだろうかと思うし、あるいはこの人は高齢者だろうかと、わが身のほどを考えずに思ったりする。ただときどき、今日もそうだったが、突然車線変更して割り込んでくる車輛がある。片側二車線の左側を走っていて、それが左折専用になっているのをみたとき、慌てて右側車線に入り込んできたのだ。それもまた、彼の運転手の様子を推し量ってやれば、おいおい危ないよ、と愚痴るくらいで済ませることができる。
買い物を済ませ、車を洗って帰ってくる。午後から亡くなった昔のサークル仲間の弔問に行く。ついでにサークル仲間と顔を合わせ「世間話」をしてくる。みな後期高齢者。50有余年の径庭をとびこえて言葉が交わされるに違いない。その場所が上の池の端七軒町の高層マンション。学生の頃、七軒町の都電停留所の近くに部屋を借りて住んでいた。夜になると上野駅から上野の山を越えて動物園の脇を通り帰っていたものだ。早朝にはライオンの声で目を覚ますこともあった。そのときの同居人とも会うことになる。そういう時間を跳び越えることが何気なしにでき、不思議でも何でもなくなった。歳をとるというのは、そういう不思議な体験を実感的に味わうことができる。それがいい事かどうかは、わからないけどね。ではでは。
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