2018年4月8日日曜日

人間とは「わたし」である


 「人間とは何か」と(この年になってわが身を通して)考えると、人間とは「わたし」だというのが、最初に浮かぶ答えです。「わたし」とは何かと追いかけるように自問するところから、(たぶん)「人間論」が分かれてくるのだと思います。


 「わたし」というのは、そういう言葉を使って区別する以前の「この身/じぶん」を生み育くみ育ててきた、親兄弟や親族やご近所や社会の全てです。それをひとまずここでは「環境」と呼んでおきます。言葉にせよ感性や感覚にせよ、「わたし」のことごとくは「環境」のなかで受け渡し、受け取ってきたものにほかなりません。自由な社会では「己の意思」というオリジナルなものがあるではないかという方もいるでしょう。でもたいていのそれ(オリジナルな意思)は、「環境」のなかで成り行きによって選択されてきたものと、國分功一郎という哲学者は子細に説得的に論じています(『中動態の世界』)。

 欧米世界では「創世記」などを想い起して「神が世界をおつくりになり、最後に(じぶんの姿に似せて)人をおつくりになった」とまず決め込んで、そこから演繹して「人間とは」と規定してきました。神の教えに沿うありようが人間だと(モデルが)設定され、それが正統性を持つとみなされたわけです。その基本概念に収まらない人間の姿は「原罪」のなせる業として位置づけて来ました。

 でも、そういう絶対神を持たない日本の私たちは、連綿と続いてきたはずの「環境」である血縁・地縁の系譜に正統性を求め、その象徴的な存在として(たとえば)天皇を位置づけてきたと、考えています(それでも藤原不比等が創出したとされる古事記では世界はイザナギとイザナミのまぐわいによってつくりだされたと創世を物語ってはいますが)。

 上記の両者の違いは「自然観の違い」に如実に表れるとしてひとまず差し置いて、話しを先へすすめましょう。

 西欧世界において「絶対神」をひと先ず措いておいて、「わたし」から考えはじめようとした哲学者はデカルトでした。「われ思うゆえにわれあり」というのは、神(のおつくりになった世界)からひと先ず別の次元を設定して、「われ」からスタートさせると、どう世界のことごとはとらえられるか。デカルトはそう考えはじめたと、私は受け止めています。彼はまず、絶対神の呪縛(という彼の背負っていた「環境」の伝承)から解き放つことが主たるテーマになりましたから、「近代合理精神」と後によばれるようになる精神形成の道程は、少なくともカントまでの長い時間を要したと言えます。

 「わたし」が人間だとすると、当然、「じぶん」以外の「わたし」も人間です。では「このわたし」と「そのわたし」との違いはどうするのか。西欧世界では、このような疑問は生じなかったと思います。なぜなら、すべて神の前に平等ということが規定されていたからです。でも日本などでは、そうはいきません。超越者を介在させないでは、「人間」という抽象的な概念は、生まれえないのです。宮本常一の『忘れられた日本人』にも記載されていますが、「このわたし」と「そのわたし」たちがものごとを決める場合、何時間かかろうとも全員の合意が得られるまでコトを定め動かさないという作法があったことが報告されています。つまり、共同性の間においてはそのような作法を通じて、平等ということを現実化していたと言えます。

 近代法の観念では(共同社会を超えた観念として)「人間」という概念を規定することなく、でも(近代的社会の市民が)相互に「人間」としての尊重をするのが「人権」という政治的概念ではなかったかと、振り返って考えています。「人権」というのは、個々の人間の実存的な差異を抽象/捨象した「政治的関係における人間存在」だったわけですね。でも日本に入ってきた西欧の「人間概念」は「自由・平等・友愛」という抽象的観念としてやってきました。それを「このわたし」と「そのわたし」「あのわたし」たちとの(現場的な)「かんけい」に基礎づけられていると思うよりも、西欧から降って湧いた抽象的な観念としての「人間」であったのではないでしょうか。だから日本では、人間とは「わたし」であるとか、人間とは「このわたし」と誰も言わなかったのだろうと思います。

 なぜ「人間とは何か」と人は考えなくてはならないか。それは「わたし」とは何かと問うことだからです。「わたし」が何者であるかを言葉にすることなく、人の死や生きる希望を語ることは、中空の霞の正体をつかもうとするに等しいからだと、私は今考えています。

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