2018年4月17日火曜日

風呂桶理論


 もう半世紀以上前になる。オーディオ・マニアの間で「風呂桶理論」というものが取り交わされたことがあった。当時、スピーカーの値段も性能もものすごいのが売り出されて、一本のスピーカーが年収をはるかに超えることもあった。そのとき私の友人の一人が話してくれたのが、この理論であった。板を組み合わせて風呂桶をつくるとき、水が張れるのは一番低い板までになる、と。つまり、アンプやスピーカーやプレーヤーなどの性能全部が高い水準にそろってこその高性能であって、その一つでも低いと、出力される音は低いところに留まる、ということであった。


 なんでそんなに古いことを思い出したのか。私が住まう集合住宅の「長期修繕計画」の「周期表」が専門委員会によって検討されているのだが、その視野に収めているのは44年先とか。とりあえず2022年までに3300万円不足するという修繕積立金の手当て(つまり値上げ)のことを、6月からの私たち次期理事会が「提案」することを任されたわけだ。専門委員会はとても熱心に審議を重ねてきていたらしく、44年周期に収まらない修繕箇所のことも記されている。「外壁塗装除去」「窓サッシ交換、カバー工法」「アルミ手摺取替」。それには2億以上の資金が必要と付け加えられている。

 これはなんだろう。まず、そう思った。そういう審議をしている専門委員会、その委員会の具申を受けている理事会は、しかし、それほどそのことを質している様子はない。じぶんたちが「値上げ」を提案するのは無理だと及び腰である。そして、何だろうこれは、と思っている私がいる。そのギャップを埋めていかなければ、値上げの説明ができない。そう思って、ギャップがあるという事実認識を次期理事候補が共有しようとしている。その私の送信に対して、専門委員の一人から折り返し、説明のメールがあった。

《「外壁塗装除去」とは上塗り方式なので、次回、次々回まではこの方式で行けるでしょうが、そのあとは塗装を除去しなければならなくなる……云々。「窓サッシ交換、カバー工法」「アルミ手摺取替」とは、腐食してボロボロになる。そういう時期が来るでしょう。……(後略)》

 と。今の住まいは、建築して29年目に入った。外壁の塗装は二度目が終わったばかりだ。次々回というと、少なくとも二十数年後になる。そこまで視野にいれていま悩むことなのだろうか。

 じつは、二度目の長期修繕を実施する前に、この建物を(たとえば)築60年後に全面建て替えにするのか、使いつぶすようにして長持ちさせるかと、「長期修繕のスタンス」について住民に問いかけがあった。住民の意向は後者であった。とすると、この建物の修繕保持は(専門家はどう分けるか知らないが)、躯体の健康状態、給排水管やガス管などの様子、外見の整備状況などなどをチェックし、ちょうど風呂桶の板のように、全般的に古びて、劣化していくのは仕方ないとして、ほどほどのところにとどめていいのではないかと、思ったのだ。はたしてこの建物の(風呂桶の板の)健康状態を見極めるというとき、何をどう分節して、どのようにチェックすればいいのか、私にはまったくわからない。こればかりは専門家の知恵を借りるしかない。

 ところが、その(風呂板の)劣化状況を診断してくれる「専門家」である事業者が、率直に言ってあまり信頼されていないのではないか。大手のゼネコンの談合ばかりのことではなく、東芝の不正経理、神戸製鋼のデータ不正など、企業に対する信頼が希薄になっている。以前策定してもらった「長期修繕計画の周期表」も、いざ修繕の入札となったとき、それを策定した事業者が「受注見積もり」に応募しなかったということがあった。どうして応募しなかったのか正確には知らないが、(せいぜい2億円ちょっとという)小さな事業は採算に合わないと考えたのか。とすると、そんな小さな事業の「長期修繕の周期表」というのは、じつは(タワーマンションのような)大きな規模の建物に関する見込みを(一般的に)綴っただけなのではないか。はたしてそれが妥当な策定になっているかどうかを、どうやって私たちは見極めたらいいのか、わからない。

 ともあれ、風呂桶の板一枚一枚の分節の仕方、それら一枚一枚の診断の仕方(診断できるかどうかも含めて)などをひとつひとつ「理解」するように私たち理事が勉強していくほかあるまい。と同時に、その勉強過程を丁寧に解きほぐして、住民に伝えて、自分たちの建物を自分たちで保持していくことを「決断」する以外に道はない。そんなことが、あとひと月半でのしかかってくる。理事会もまた、風呂桶の板同様に、低いところに落ち着くのであろうか。そこまでの風呂桶理論は、残念ながら耳にしていない。

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