2018年4月1日日曜日
気づかなかった「わたしの価値意識」
昨日のSeminarのあと、一杯飲みながら話をする機会があった。そのとき、私が兄弟と母親を2014年に一時に亡くしたことが話題になり、どうやって立ち直ったのかと話しを振られた。「たぶん、その出来事を一つひとつを書き記してきたからかな」と私は思い起こしていて、「弟(64)の(食道がんで)亡くなったことを聞かれて話すときは涙が止まらなかったのだが、兄(77)が亡くなったときは(私のすぐ脇で急死したのに)彼がちょっと散歩にでも出たみたいな感触で、あまり悲しいと思っていなかった」と付け加えた。話しを聞いていた一人が、「弟さんのことは無念の死と受け止め、お兄さんのことは達成感をもった人生だったと思っていたからではないか」と解析してくれて、ドッと胸を突かれる思いがした。
その直前のSeminarで一人の講師が玄侑宗久と鈴木秀子の著書を引用して、
「(死ぬということは)すばらしい完全至福の世界に行くんだと信じて生きていたいですね」
「(人生の意味は)いつかはわかるときが来るんですよ」
「人間は一生、高まり続けていくことができます」
という言葉に共感したと話す。だが、(そう信じられない人)(わからない人)(高まり続けることの出来ない人)のことを考えて、そうした「プラス価値」を突き抜けたところに(私は)死を想定していると考えていた。だから私は、死について淡々と受けとめることができると思っていたのに、「無念の死」とか「達成感を持った人生」という価値判断を、無意識のうちに(たぶん私の身体が)しているんだと気づかされたわけ。
考えていることと身体反応が違うと言ってしまえばそれまでだが、「プラス価値」志向は近代社会の象徴的なことではないか。日本に暮らす人たちがそうでないと心安らかでいられないというのは、心底、西欧的近代に奪われてしまったからじゃないかと思えて仕方がない。私自身は、そうした勃興期のブルジョワジー的な気分は完璧に離脱していると思っていたが、体に染みついた気性というのは、なかなか抜けるものではないのだね。そのうえ、自らの気性に触れるようなところにまで、内省の思いは届かないのかもしれない、と思った。そういう意味で、解析してくれたことに感謝もした。
その昨日の講師は私の指摘に対して「素直じゃないんですね」と笑っていたが、そういう次元のことなのかとわが胸の内なる疑念はふくれるばかりであった。死を恐いと思うという講師の到達したテキストが玄侑らのそれであったというのは、豊かな社会の日本人が西欧的な自然観にすっかり飲み込まれた現在を意味しているように思う。では、自らの身体性が馴染んでしまった感覚と齟齬する私自身の思索は、なにを意味するのか。そんな引き裂かれたような、「わたし」を、いま感じている。
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