2018年4月6日金曜日

相次ぐ訃報


 こちらが後期高齢者になったからというわけでもあるまいに、訃報が相次ぐ。昨年までは年上の知人が亡くなっていたと、あとになって分かることが何件かあった。まあ、80を超えているから致し方ないかと思ったりするのだが、先月末に私より一つ年下の知人の奥方がくなり、家族葬を終えました、とお知らせのメールが来た。患っていたとは聞いていたが、自宅へ帰ってきて、家族に見守られて亡くなったという。


 またそれを追いかけるように、私の大学の同期生が亡くなったと、思わぬ後輩から知らせがあった。どうして君が彼女を知っていたの? と思うところだが、彼もまたそう察知して、フェイスブックで知り合い、彼の奥方と亡くなった私の同期生である女性とがやりとりをしていたらしい。しかも、亡くなった彼女はすい臓がんで余命宣告された1月から身辺整理に乗り出し、後輩の奥方と奥方の妹さんがそれを手伝うようにし、最後はその二人が看取ったということも、メールで知った。私の同期生は経済学の研究者で、ユーゴスラビアに留学し、翻訳したり、大学の教師を務めたりしていた。還暦を過ぎてから二度ほど同期会に顔を出していたのが、足を運ばなくなり、逝去の知らせとなった。

 とまた一昨日、同じサークルの一年後輩が亡くなったとの葉書を受け取った、もしやと思いそちらにもお知らせするとのメールをもらった。都立高校の教師を務めていたが、静かな思索をもっぱらにする人で、同僚などが校長になっていくのを横目に見ながら、恬淡と己の生き方を全うしているという風情であった。76歳と聞くとまだ若い、と言えるかもしれないが、人生もそこまで行くと、まあそれなりに十分生きたと言っても悪くないように思う。

 そうして訃報を耳にすると、いかにも私は、人付き合いが悪かったなあと思う。誰や彼やがどのような人生を送って来たか、今送っているかに関心を示さず、結婚していたのか、子どもはいるのか、いつ離婚したのかなどなど、会っても訊ねようとしなかった。もっぱら今、何を考えていて、なにに関心をもって向き合っているかばかりを話していた。個人的な暮らし方の事情には関心がないというよりは、そういうことは向こうさんが話す気になるまで聞いてはならぬことだと、距離を置くことを旨としていたからである。

 ところが、フェイスブック友だちの後輩もそうだが、まことにまめに世話を焼く。人のことを放っておけない。そうして亡くなったことを知らせ合って、やりとりをしていると、同期12名のなかの紅一点ということもあろうが、一人暮らしの彼女の「余命」を知ってやりとりしていたものもいた、と分かる。フェイスブック友だちの後輩は、「孤独死」に対して「悲哀」を感じているようなことを記していた。だが私はというと、独り身になって子どももいないで過ごしていれば、一人で死ぬのは当然じゃないか、なにに「悲哀」を感じているのだ。そのような人生を選んできたのであれば、静かに受け容れているに違いないと、(私は)思っている。そう言うと、それはお前がまだ、カミサンがいて、孫がいて、それなりに元気だからだよと指摘されるから威張るようには言わないが、「悲哀」を感じることは思索をすすめるうえで悪いことではないと思っているからこそ、そういう言葉が口をついて出てくるのだ。74才でなくなった西田幾多郎が、13歳のころに姉を失くして以来、弟を失くし、子どもを相次いで失い、妻を早逝させ、長女も次女も、四女も相次いで亡くしたのちに彼自身が死を迎えるという人生を送っている。彼の哲学的思索は、「悲哀なくしては生まれてこなかった」と佐伯啓思も記している。

 そもそも「人間とは何か」などと考えるのは、なぜか。幸運に恵まれて人生を送ってきている(私と同年の高校同期の)女性は、2030年まで生きたい、時代がどう変わるかをみてみたいとのたまう。だがたぶん彼女がみてみたい近未来には「再び日本が戦争の惨禍に見舞われ、米中対立の狭間で日本の先行きは不安定になり、食うや食わずの暮らしに逆戻りしている」などという(北朝鮮の民衆の現在のような)姿は、入っていないと思う。なぜなら彼女は、人生を信頼しているからである。人生を信頼するとは、世界を信頼することだ。そういう「信じる」ことができる人は、考える必要がない。考える理由がないのだ。私は私を、つまり世界を、信じることができない。だから人間とは何かと考えるのだ。「素直じゃないわね」と2030年まで生きたい女性にはからかわれたが、素直に世界を信じることができる人は(その根拠が何であれ)幸いと言わねばならない。人生の「悲哀」は思索を深める契機になる。だがそれを幸いと呼ぶわけにはいかないと、フェイスブック友だちは言っているのかもしれない。

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