2018年7月31日火曜日

攻撃準備態勢の虎


 原題「CROUCHING TIGER――WHAT CHINA'S MILITARISM MEANS FOR THE WORLD」を読んだ。原著は2015年の出版。日本語訳のタイトルは『米中もし戦わば――戦争の地政学』(文藝春秋、2016年)。著者ピーター・ナヴァロはトランプ大統領の補佐官。国家通商会議議長という肩書をみれば、トランプのお気に入りということが分かる。そればかりか、いまトランプが中国に対して非難する「知的財産権の侵害」とか「国家安全保障上の理由による経済制裁」が何を意味しているか、よく理解できる。アメリカからみた中国の現在を、軍事の枠組みからみてとっている「概観」である。

2018年7月29日日曜日

庶民の気骨の原基をみた


 河治和香『がいなもん――松浦武四郎一代』(小学館、2018年)を読む。松浦武四郎は幕末の伊勢に生まれ、全国各地を旅して歩き、山に登り、ついには、何度も蝦夷地にわたって地誌的にもアイヌの暮らしにも通じ、大量の記録を残したことでよく知られている。北海道の名付け親とも言われながら、明治維新後は北海道開拓の「名誉職」を辞し、その地に足を踏み入れることなく生涯を終えた。

2018年7月28日土曜日

仙丈岳――四周の眺望は絶品だった


 甲斐駒ヶ岳の登りでkwmさんの不調が高山病のせいではないかと考えた私は、仙丈岳の登山ルートを、当初計画から逆のコースに変更したほうが良いかもしれないと思っていた。それに一日目の下山でkwrさんもすっかりくたびれていた。仙丈小屋へ回り込むルートの方が(早く)山頂を眺めることができる。そこから引き返しても仙丈岳を観たことには違いないと。ところが第二回の夕食のときに仙丈小屋の支配人が「おすすめ」として、当初のkwmさんが策定したルートを紹介しているのを耳にした。第一回目の夕食のときは、酔っ払いの話し声が絶えず、支配人も説明を省略してしまったのだろう。寝床で聞きながら隣のkwrさんに「おすすめ」にしたがおうかと声をかける。そうそう、もう一つあった。支配人が「甲斐駒ヶ岳へ行く方はコースタイムより2時間くらい余計に、10時間ほどかかるとみておいた方がいい」とコメントしていた。これはkwrさんに効いた。甲斐駒ケ岳の全行程を今日は8時間10分で歩いていたから、なんだそれなら(俺たちのペースは)結構いけるではないか。7時間10分かかる仙丈岳のコースタイムを歩けるだろうかと心配していたのがウソのように思えたにちがいない。

2018年7月27日金曜日

甲斐駒ヶ岳――名山の展望台に上がる


 一昨々日(7/24)から昨日まで山に入った。いくつかの幸運に恵まれて、百名山二つを踏破し、絶好の眺望を満喫して、無事に帰ってきた。山の会の「日和見山歩」の企画。kwmさんをチーフリーダーに、甲斐駒ケ岳と仙丈岳を登ってこようという、梅雨明け十日のお手本のような山歩き。kwmさんが一年前に登りたいと「ツアー」に応募していたところ、参加者が足りないというので中止になった山旅である。その話を聞いて「ならば、あなたが企画すればいい。私も参加して、日和見山歩として実施しましょう」と声をかけ、実施にこぎつけたもの。「日和見山歩」はこれまで、文字通り「お手軽気分で上ろう」という趣旨が含まれていた。だが、これがうまくいけば、中級の山も含めることができる。山歩講全体が「行きたい山に行ける山の会」に変貌してくれれば、主宰をしている私としては肩の荷を降ろせる。これをきっかけに山歩講自体が変わることを、私は期待していた。

2018年7月24日火曜日

「ご指摘」がおさまるかどうか


  団地の生垣を植え替え、植栽業者から「三か月は水をたっぷりとやってください」と依頼を受けた。梅雨のさなか、6月の中旬終わりのことである。ところが、それから一週間ほどで梅雨明け宣言。その後の猛暑は、すさまじかった。とうとう昨日は、熊谷で41.1度という国内新記録が樹立された。植栽業者は三日に一遍くらいといっていたが、とてもそれじゃ足りない。二日に一回、根元に水がしばらくは溜まる程度に水遣りをする。だが、端まで行ってみると、はじめの方に巻いたところはすっかり吸い込まれてしまう。

2018年7月23日月曜日

隠居の奥行(承前4)――ただのヒトからの再出発


(9)「野田は家禄百八十石で……しかし松江の実家は……家禄もせいぜい三十石前後ではなかったか……」と清左衛門は述懐する。それを受けてkwrさんは「家柄」へのこだわりがなくなっていることと「親子兄弟のつながりが薄くなっている」時代へと言葉を移し、「家禄」を抜き出して、こういう。「仕事を離れ、カミサンと二人で生きていくようになって、頼るのは年金、保険など国の制度だけというのは心細い限りである」。

2018年7月22日日曜日

隠居の奥行(承前3)――死者と語らうことの意味


(6)「百年前の生前の姿を知らない死者の法要だったが、済ませたあとの気分は以外にも快いものだった。死者がその法事を、間違いなく生者が捧げる慰めとして受け取ったかのような感触が残ったのである。」と三屋清左衛門が感じたことを糸口に、kwrさんは墓をつくったことを話す。両親と若くして亡くなった彼の先妻の墓である。お彼岸とお盆の年三回の墓参り。そうして、「最近は暇になったせいか」、死者のことをよく想い出すそうだ。これぞ「隠居」。

2018年7月21日土曜日

隠居の奥行(承前)――有徳の生き方


 「ささらほうさら」のkwrさんの話しはまだ、つづく。
(4)「清左衛門が外へ出れば嫁はその間、舅と同じ屋根の下にいる気づまりから解放されるわけだから、おおいばりで釣りに出かけていいはず……」と藤沢は記す。その「嫁」を「カミサン」に置き換えkwrは、こう続ける。「外へ出るのが億劫になり、カミサンには気づまりなこと大、一日中顔つき合わせ、昼の支度までするのは不自由このうえもない状態が続いたが、昼は勝手に食べることにし、やっと慣れてもらった。朝もそうすることになった」

2018年7月20日金曜日

隠居するとは


 昨日(7/19)は「ささらほうさら」の定例会。講師はkwrさん。お題は「隠居」。藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』を補助線にして、己の「隠居」を振り返るという試み。

2018年7月19日木曜日

ぼちぼち喜寿を迎える身のほど


 山を歩いて「疲れ」がどう出てくるか来ないかなど、高齢化に伴う身体の調子の変化を、これまでも記してきた。だがちょっと違う微妙な変化が起き始めている、と感じている。

2018年7月18日水曜日

先を見通す視野とリアリティ


 6/22のこの欄で「私のシンギュラリティ」と題して、2045年までのことを視野に入れてわが団地の修繕積立金を構想しろという「反発」に遭っていることを記した。ベースになっているのは、築後29年目を経過しているわが団地の「長期修繕計画(サイクル)表」。初め、わが団地の設計建築を企画した大手都市計画企業が、築後の修繕管理を請け負うために設立した会社が、「サイクル表」を提出していた。それに沿って昨年、2022年の給水管給湯管の補修・更新の「見積り」を(何社かに)要請したところ、「サイクル表」を作成した会社は「見積り」に参加しなかった。当然(実施前段で)「なぜ」と疑問が出る。それに対して当該の社は「わが社ではそういう工事を行った実績がない」と回答があり、これまた当然、では「サイクル表」の積算基礎はどのようにしたのかと疑問の追い打ちが為された。「一般的な工事費です」という回答に納得できなかった団地理事会は、「サイクル表」の作り直しを別の建築設計コンサルタント会社に依頼して、つくりなおした。

2018年7月16日月曜日

怒り心頭に発するのは、なぜ?


 先日(7/13)のこの欄で、「法的言語のとげとげしさかご近所のよしみの柔らかさか」と、ベランダでの喫煙のことを記した。「訴え」があったこと、それに対して「知恵をお貸しください」と全理事にメールをした。その後日談。

2018年7月14日土曜日

「A JAPANESE LIFE」


 『ゲッベルスと私』(オーストリア映画、2016年)を観た。監督は4人が名を連ねる。ドキュメンタリーとでも言おうか。ゲッベルスの秘書を務めていたブルンヒルデ・ポムゼルが80年近く前を想い起しながら坦々と語る。背がもう少し高ければ非の打ち所がない、演説の上手なゲッベルスに仕え、でもそれほどに彼の私生活に踏み込んだ様子が語りだされるわけでもない。そのところどころに、ナチスに熱狂していくドイツ民衆の様子、強制収容所に送られるユダヤ人を収めたフィルム、ヒトラーユーゲントが志願して出征する記念集会の模様、敗戦後に次々と暴かれる強制収容所におけるホロコーストの痕跡を明かすフィルムが差し挟まれ、彼女の語りがかぶさっていく。

2018年7月13日金曜日

法的言語のとげとげしさかご近所のよしみの柔らかさか


 山から帰ってきた一昨日の夜、「日報回覧」が副理事長からまわってきた。そのなかに私の名前を記したチラシが入っている。「バルコニー、ルーフバルコニー、テラス、専用庭での喫煙はお止めください。」と大文字で大書した表題。その下に5点「バルコニー等での喫煙により、タバコの煙・臭いが住戸へ進級したり、洗濯物に付着する臭い、灰等で被害を受けている住民がいること。」という調子の「受動喫煙被害」を受けている人がいることを記している。宛先は「団地居住者の皆さまへ」。

2018年7月12日木曜日

静かな山、温泉岳・根名草山


 気温の高温注意報が出ていた昨日朝6時に家を出て、金精峠から温泉岳と根名草山に登って来た。山は涼しい。半袖インナーの上に長袖のTシャツ一枚で歩きはじめるときは、ちょっと寒いかなと思うほど。金精道路の栃木県から群馬県へ抜けるトンネルのすぐ手前の駐車場に車を入れる。すでに10台ほどが止まっている。山の標高は2300m余。これだけで平地より12度以上気温は下がる。

2018年7月9日月曜日

利尻島・礼文島・稚内――弥生的な復元縄文人


 バスで香深港に降り、すぐ近くの礼文町郷土資料館に向かう。島の北部にある船泊からたくさんの縄文遺跡が発掘されたと聞いたからだ。十数体の屈葬して埋められた骨が、ほぼ原形を保ったまま掘り出されている。こまごまとした副葬品も同じところから出土しているそうだから、どんな人が住んでいたかわかるのではないか。あった。DNAを解析して、髪の毛や目の色、肌のシミや皺までも復元した女性像が展示されてある。おや? と思ったのは、通常縄文人と聞くとえらが張った四角な顔を想いうかべるが、そうではない。むしろ弥生人のイメージに近いほっそりした顎をしている。やはり、南方系の縄文人と違った経路で入ってきた人びとではないか。しかも展示では、のちにアイヌが入ってきたと記しているから、アイヌとも違った人種なのかもしれない。面白いが、そうした侵入経路に関心がないのか、展示はそのようなことには触れていない。縄文土器も呪術に用いたのであろうか小さな土人形もまた、つくりがずいぶんしっかりしている。

2018年7月8日日曜日

利尻島・礼文島――寒い! ホッカイドーですから


 稚内の街が、案外大きいのに驚いた。どのくらいの人口だろう。帰ってきて調べたら、35,000人ほど。それにしては広い面積とほどよい高さの丘を背にめぐらして、北に宗谷湾が海を抱え込むように開け、高いビルも立ち並んでいる。その西端の突先がノシャップ岬、東端の突先が宗谷岬、北海道最北端の地になる。稚内空港は宗谷湾の少し宗谷岬寄りにあり、賑やかな街並みやJR稚内駅や船の出るフェリーターミナルはノシャップに近い方に位置している。こちらがそうだからそう見えるのかもしれないが、観光客が多い。

2018年7月7日土曜日

利尻岳に登る――海に浮かぶ姿がいい


 月曜日から4泊5日で利尻岳に行ってきました。梅雨の晴れた関東から、なぜか梅雨前線を追って北海道くんだりまで行くことになり、日々悪くなる「天気予報」をみて、どうしようかと思いめぐらして飛行機に乗りました。ANAの300人乗りの7割程度の座席が埋まっています。稚内は良く晴れていて、お迎えの車や観光バスの一団はそれぞれに散っていきます。私たちは、空港から稚内の中心部へ向かう飛行機便に合わせたシャトルバス。2,3台待機していて、発車していきます。私たちは立ったまんま、40分ほどかけてフェリーターミナルに着きました。

2018年7月1日日曜日

遠出の準備


 明日から5日間、北海道へ行ってくる。私の主宰する山の会の月例登山で「利尻岳と礼文島」を企画した。羽田から飛んで利尻岳に登り礼文島に渡って花の礼文岳を訪れる。航空券や宿の手配はもう何カ月も前にしているから、そちらの方は時刻通りに空港に行くことからはじまる。だが、じつは、利尻岳のどこからどう登るかは、一般の百名山の案内書の通りだと考えていた。

「繁栄」が一致しない


 昨日(6/30)の朝日新聞の投書に「子を産んで国栄える 正論では」というのが載っていた。自民党の二階幹事長が「子どもを産まないほうが幸せじゃないかと勝手なことを考えている人がいる」という発言をめぐって非難が起こる中、「政治家が指針とすべき正論であり」憲法の理念にも沿うものだと述べている。投書者は65歳。そうか、「正論」というのがまだまかり通っているのだ。