2018年7月31日火曜日

攻撃準備態勢の虎


 原題「CROUCHING TIGER――WHAT CHINA'S MILITARISM MEANS FOR THE WORLD」を読んだ。原著は2015年の出版。日本語訳のタイトルは『米中もし戦わば――戦争の地政学』(文藝春秋、2016年)。著者ピーター・ナヴァロはトランプ大統領の補佐官。国家通商会議議長という肩書をみれば、トランプのお気に入りということが分かる。そればかりか、いまトランプが中国に対して非難する「知的財産権の侵害」とか「国家安全保障上の理由による経済制裁」が何を意味しているか、よく理解できる。アメリカからみた中国の現在を、軍事の枠組みからみてとっている「概観」である。


 ネコ科の動物が獲物を前にしたとき背を屈め勢いよくダッシュして襲い掛かる。CROUCHINGと呼ぶその姿勢を、いま中国は取っているという見立て。太平洋をアメリカと二分支配する覇権を唱え、アメリカの権勢を押さえる構想をもって臨んでいる中国の軍事戦略を、主として海洋面に焦点を絞って描き出している。海洋面に絞るから、当然日本も、南シナ海のフィリピンやベトナムというアセアン諸国も、あるいはインドも、わがコトとして考えざるを得ないテーマである。

 トランプの補佐官と言うと眉に唾つけて見たくなるかもしれないが、中身は意外にクールであり、アメリカの政策的な傾きに対しても批判的な視線を隠さず、中国の「力」の評価も、その動きの微細なずれも、上手にとらえている。不都合な真実をフェイクニューズと口を極めて謗るトランプの側近にしては、ことの検証の仕方や第三の道についても目配りを怠らない。いかにもアメリの知性(のバイプレーヤー)が軍事面において解析・言及したという趣がある。

 クラウゼビッツや孫子が登場する軍事的対立の構図は、国際法の身勝手な解釈をごり押しするような、ごく最近の中国の南シナ海における振舞いをみていると、ほとんどマキャベリの時代に戻っているような気がする。この種の本を読むと、いつもそう感じるのだが、地政学的な展開に気持ちが奪われて、はらはらとしながら我が国の備えを考えるようになる。もちろんこの著者ナヴァロは軍事オタクではない。現代の戦争が「戦わない」ために行われていることを押さえているし、「総合国力」が決め手になることを視界に収めている。そうして「ペンタゴンにしろアメリカ政府や議会にしろ、中国に対する防衛力を考える際に、グローバルな視点が欠けている」と指摘する。「アメリカが軍事力だけを問題にしているのに対して、中国は総合的な国力についえ考えている」と。つまりアメリカは(そこに至るまでに長く続いた軍事的、経済的、文化的な)自国の圧倒的優位を前提とするスタンスから抜け出ることができず、ほとんど無意識に限定的な局面で既定事実が変わっていないものとしてしまっているというのだ。ここが(国際関係を考えるうえでの)トランプ政権のキーポイントであったとみると、いわば根底から、ラディカルに国際法や国際関係の「既成事実」を覆して、再構築していっているトランプ政権の政策が、案外、古い国際関係から離脱して、新しい関係を築く時代を迎えた兆しと言えるかもしれない。

 中国の考える「総合国力」というのは、力がないときには黙って従っているが、国力が整えば(前言を翻してでも)、それなりに言うことは言わせてもらうわという立場を手に入れる、ということだ。むろん言うことがないがしろにされないように軍事的な裏付けが必要であることも織り込み済みだ。臥薪嘗胆というか、韓信の股くぐりというか、そういう時代を経てきた怨念を晴らす「国力」を培っているというのだ。たしかに現在中国の覇権主義的な振る舞いは、パクス・アメリカーナの波間に浮かんで安定してきた日本にとっては、目に余る行為であるが、日本の後塵を拝して長く耐えに耐えてきた中国からすると、いまこそ対等以上に向き合うだけの立場を手に入れつつあると、自信を持ってきたのである。

 ナヴァロの指摘が面白いのは、経済的な交通が頻繁になれば、自ずから戦争の緊張は遠ざかるということを、一蹴していることである。互いに得るものがないのが「戦争」事態であることは確かだが、経済的な交通が深まれば、相互の平和的な関係が確かなものになるとは限らないという。逆に、軍事的手段に訴えなくても経済封鎖などの「平和的手段」によって「総合国力」が削られたり、景気後退が必然づけられ、経済の低迷が続くこととなると、国内反乱の多発も含めて内情は不安定になる。彼はそうはっきりと、これからのアメリカの戦略を軍事的な側面と絡めて指摘し、提言している。むろん日本は、有力な味方につけ、アメリカの採るべき戦略の一環として位置づけられている。アメリカもまた、太平洋の支配権を譲り渡す気はないと明快にしている。

 この「力」とその「方向性」を現実のものと考えると、日本がどう道を選択するかに、あまり自在性はない(と思われる)。安倍首相がアメリカとの連携を強化する道を選ぶのも、やむなしと思う。と同時に、北朝鮮とトランプの「和解」劇の進展がいくぶんかでも東アジアの緊張を和らげ、一触即発を先送りしていることに、胸をなでおろす。トランプは、中国との綱引きで、北朝鮮をアメリカ側に取り込むことを意図しているに違いない(と推定される)。むろん、中国の後ろ盾に支えられた北朝鮮の今後の振る舞いが(たぶん)従来と変わらぬ強気を保たせるにしても、この猶予期間に北朝鮮が経済重視路線へ転轍する道筋を開いてくればアメリカは食い込む足場をつくることに成功する。

 でも、いつか日本は、アメリカの鼻息を伺うスタンスから独り立ちする朝が来る。トランプは、いかにも商売らしく、駆け引きによって日本にも圧力をかけることを忘れないし、昨年日本を訪問したときでさえ、横田基地に降り立って日本の盟主、真正支配者・アメリカを誇示した。安倍首相がそれを認めざるを得なかったことも、現実である。そういう意味では、日本はいつか、東アジアの国際関係を自前で準備し、紡ぎ始めなければならない。

 そのときの日本の「総合国力」とは何か。歴史的な、この70数年の歩みも含めて、考えておかねばならないと思った。

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