2018年7月22日日曜日

隠居の奥行(承前3)――死者と語らうことの意味


(6)「百年前の生前の姿を知らない死者の法要だったが、済ませたあとの気分は以外にも快いものだった。死者がその法事を、間違いなく生者が捧げる慰めとして受け取ったかのような感触が残ったのである。」と三屋清左衛門が感じたことを糸口に、kwrさんは墓をつくったことを話す。両親と若くして亡くなった彼の先妻の墓である。お彼岸とお盆の年三回の墓参り。そうして、「最近は暇になったせいか」、死者のことをよく想い出すそうだ。これぞ「隠居」。


 現役で仕事をしているころは、死者のことは頭にない。ところが「隠居」してみると、しばしば死者のことを想い出す。言葉を交わすような気分にもなる。「隠居」というのが、現役仕事から身を引いて、やはり彼岸に近づいているからなのか。平均寿命で考えると、あと五年ほどしか生きていられない。生きていることへの執着もない。身じまいはしていないが、いつ死んでも構わないような気分。墓というのは、依り代。むろん仏壇とか祭壇でもよい。彼岸と此岸が言葉を交わす格好の場になる。

 生きている人との会話と違い、死者との対話はたいてい、人生を包括的に見て振り返る趣をもつ。悔んだりはしないが、恬淡と、そうかあの時こうであったと、わが裡側から湧き起る想念が我が身に起こった出来事を対象にして落ち着きどころを探るように、揺蕩う。それが法事という儀式であったりすると、ひょっとするとこれは、わが身の「法事」ではないかと思われるほど、爽快な気分に包まれる。三屋清左衛門は、そのように感じていたのではなかろうか。

 死者と語らうことは、そのときどきの刹那に振り回されて生きているのとは異なり、静かに来し方行く末を見晴らすような視線をもつ。「百年前の……」と簡単に清左衛門はいうが、いわば親子孫の三代をひと摑みにして、そこに己を位置づける心裡の視野が生まれている。わが身が今、幸運に恵まれてここにあると、わが祖先、先達とに受け継がれてきた流れを引き受け、それをまた、百年ののちへと受け渡していく面持ちに浸る。つまり一時の執着を取り払い、わが身を器として通り過ぎていく「とき」の流れ、「かんけい」の流れを、あたかも中空からみてとっているような心地よさに充たされる。まるで(わが)魂が、それ自体として感じられているようだ。

 「世俗のことが面白くなくなっては、老いは加速してこの身にのしかかって来るばかりだろう」と清左衛門は感じているようだが、kwrさんは「人間かんけいのごたごたが煩わしくなってきた」といい、「無理に世俗のことに首を突っ込む気はなくなった。それを老いというのだろう」と記す。しかしこれは、エネルギーがなくなるとか、面白くなくなるというモンダイではない。死者と対話するということが、現役とは異なるスパンでものごとを観る目を培っているのだ。現役と「隠居」との決定的な違いが生まれている。kwrさんは「社会、政治の動きにも距離を置いてみるようになった。隠居とはそういうことだろう」とまとめるが、そこにはまさに「隠居」でしか感じられない「せかい」を感じとっていると言ったほうが、適切に思える。

(7)「親は死ぬまで子の心配から逃れ得ぬものらしい……」と清左衛門はいう。これはしかし、子らと同居している大家族制度のときのこと。すっかり離れて暮らす身の「隠居」は、ほぼ子らのことを忘れて暮らしている。もちろん事あるごとに想い起しはするが、「心配」してはいない。社会的関係がそれだけ気遣う必要がないほど(安全に)行きわたっているからにほかならない。親である「隠居」が子らに期待したりしていると、なぜ音信がないのかと「心配」になったりするだろうが、子はすでに独立して暮らしを立てている。親が子に心配を掛けるほど面倒を抱えていないとなると、子は親のことを忘れて日々の暮らしに追われるものなのだ。
 万一、不慮の事故や事件が起こって子らが困っているとなると、何か手を貸すようにすればいいが、これとても、社会的な関係の中で始末がつくように制度は整っている。「隠居」はもはや「家族」の保護者ではなくなっているのかもしれない。

(8)「わしは隠居の身。半分が世捨て人でな……」と清左衛門。それを受けてkwrさんは「仕事をやめた後、地域の活動にかかわる道もあったが、気がすすまず、動かなかった。地元の人たちとのつながりがうっとうしいという気持ちが強い」と記し、さらにこう付け加える。「さりとて、自分の好きなことしかしないというのもずいぶん後ろめたい気がする。もう75歳になるのだから許されるだろうか。贅沢をしないということは気にしている」と。
 「地元の人とのかかわりがうっとうしい」というのは、世捨て人の特権のようなものだ。現代の都市生活は、それが良くて田舎人にはあこがれの対象になる。とはいえ、「自分の好きなことしかしない」というのもの落ち着きが悪い。社会的な意義に生きてきた人だから、このように感じるのではなかろうか。現代の「隠居」はできるだけ自律的に暮らし、世の中の耳目を集めず、ひっそりと生きることが何よりだと思う。「許す」も「許さない」も全く自身の心裡の判断。ただkwrさんの「贅沢をしない」という気構えは、敗戦後の時代を生きてきた身にとっては、唯一「己を裏切らない」生き方と思えて、好感を懐く。

 では、どう生きるか。「……山登りについては、fさんに引きずられる形でのめり込んでいるが、唯一の楽しみ。体を痛めつけること、山の荒々しさや開放感などが魅力である」と、すでに道筋をつけている。kwrさん自身、中高一貫校の中学生のころから山岳部に所属して、当時はひ弱な中学生だったらしいが、高校生の先輩に連れられて涸沢などにも足を運んだという。昔取った杵柄を、「隠居」後の得意技として復活させる意気込みは、kwrさんの奥様の山歩きと歩調を合わせて、目下順調には運んでいるようだ。「あと一、二年はきつい山登りに挑戦したいと思い、年明けからトレーニングとして月に二回ほど一人で歩いている。そのほかに山の会の登山が月に二回。つまり週に一回のペースで歩くよう心掛けている」と、気合が入っている。

 山を歩くというのは、それ自体が「瞑想」のような行為だ。何も考えない。そのうち自ずから、わが身の裡へ目が向き、そこから返ってくる言葉が自問自答のようにして、身の裡を経めぐる。その自問自答は、わが人生の全てを駆け巡るように行き交うから、まさに「隠居」の所作としては、この上ない事であるように思える。その結果、「私の人生の上でもっとも健康といっていい」という状態なのは、後期高齢者として言祝ぐに値する「隠居」のありようといわねばならない。

 今月初めにも、利尻岳に登り、標高1700mを超えるピークに立ってきた。来週には甲斐駒ケ岳と仙丈岳という、二つの百名山を踏破しようと計画している。75歳としては上々の出立をしている。(つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿