2018年7月21日土曜日

隠居の奥行(承前)――有徳の生き方


 「ささらほうさら」のkwrさんの話しはまだ、つづく。
(4)「清左衛門が外へ出れば嫁はその間、舅と同じ屋根の下にいる気づまりから解放されるわけだから、おおいばりで釣りに出かけていいはず……」と藤沢は記す。その「嫁」を「カミサン」に置き換えkwrは、こう続ける。「外へ出るのが億劫になり、カミサンには気づまりなこと大、一日中顔つき合わせ、昼の支度までするのは不自由このうえもない状態が続いたが、昼は勝手に食べることにし、やっと慣れてもらった。朝もそうすることになった」


 家事がヨメ(関西ではカミサンのことをヨメという)の仕事になり、それが家庭の定常状態と考えてきた「日本のよき家族制度」の支持者はいま日本の政権中枢にいて、家事ばかりか看護や介護まで家庭で面倒を見るべきとして、医療保険や介護にかかる国家経費の負担を軽減しようとしている。それが「将来の生活に対する不安」を人々の間に醸していることに、あまり斟酌していない。だが憲法に言う「公共の福祉」というのは、「人々が安寧に暮らすこと」が原義。つまり「公共の福祉」というのは、「他人様に迷惑をかけないこと」のように、漠然とした秩序概念と考えられているが、そうではない。「安寧に暮らす」というのは社会関係を安定して見通すことができることを意味する。

 日本が今の中国のように、経済成長でイケイケの途上にあったときは全般的に「中流化」が進行し、それだけで「将来への不安」は消し飛んでいた。ところが高度消費社会が実現しバブルがはじけて以降、経済成長は低迷する。それはグローバル化の進展によって後発国へ製造拠点が移り、それまでの先進国は、蓄積してきた金融資本の投資と知的財産によって命脈を保つほかない事態になっていった。もてる者がますます有利になり、持たざる者は(相対的に)貧しくなる。国家の経済政策も懸命に金利や物価を2%以上に押し上げようと通貨政策で手を打つが、グローバル化の時代、通貨は簡単に国境を越えてザルに水を注ぐようにどこかへ消えてしまう。旧来の経済観念が通用しない。企業も、金融機関を当てにせず、自らの社内留保金によって難局を乗り切ろうとするから、ますます労働者の手に渡る支払いは少なくなる。中流は消えていき、貧富の差は大きくひらく。「人びとの安寧」は、ほぼ完ぺきに切り崩される。

 おっと、話がそれそうになっている。要するに将来への不安は「不確実性の時代」という社会学的指摘と歩調を合わせるように、社会にまん延し、グローバル化しか頭にない政治の舵取りたちは、放漫財政の帳尻合わせを「古き良き日本の家族制度」とか「人に迷惑をかけない」という伝統的社会規範に依存して、乗り切ろうとしている。「公共の福祉」はすっかり影を潜めているのだ。

 kwrさんの、家事を自分でできるところは自分でやるという志は、(気づまりへの配慮というだけでなく)「ヨメ」に依存しない「自律の根拠」への旅立ちでもある。「カミサンにはできるだけ外に出てもらうようにし私は留守番、のかたちが定着しつつある」とkwrさんは暢気に記しているが、そうだ、それこそが(ひょっとして)いずれ男やもめになったときの彼の自立の根拠となる。家事という「仕事」は、それほどに人の佇まいをつくり、人柄となるのだ。「隠居」という、いわば人生の終局というか、完成体というか、それ以上変わりようがない形になってはじめて存在の根拠となる仕事を見つけるというのは、幸いなことではないか。

(5)「わしは然るべき地位を得て禄も増えたが、奥之介は家禄を減らして、ま、不遇と言ってよい暮らしをしておる」と三屋清左衛門は述懐する。をれを受けてkwrさんは「私は地位(給料)をめぐって他人と競争をするような場にいなかったので、好き勝手に仕事をしてきた。上におもねったり、同僚を蹴落としたり、他人を羨んだり憎んだりすることなどほとんどなかった。それは幸せともいえるし、人の世のことがよくわからなくなったともいえる。つまり世間知らずということである。教育長の仕事はそれではすまなかった。役人、地域の有力者との付き合いのむつかしさがよく分かった」と感懐を綴る。「他人と競争をするような場」とはポストの競争のことか。学校の教師という仕事は、なるほど、「出世競争」とは無縁かもしれない。それでも校長や教頭というポストに身を置きたいという程度の気分はあるであろうが、彼はそれにも無縁でいられたというのだ。

 よく考えてみると、学校の教師もそうだが、第一次産業の従事者も、第二次産業の職人なども、あるいは商人(あきんど)なども、その仕事自体に執心している間は、「出世」は埒外にある。教師にとって生徒との関係は日頃頭を悩ますことではあろうが、この点で心を砕くことは「出世」とは直につながらない。同様に、たとえば農民が、土の手入れや作物の世話をして、改良に改良を重ねて佳き品物をつくろうとすることも、「出世」につながらない。そもそも農民にとって「出世」って何だ。金を儲けることか? それは資本制社会における「儲ける/儲けない」という秤からみると善し悪しがあるかもしれないが、土を耕し作物をつくる、あるいはおいしい作物に仕上げるという「探究」は、自らの活動(アクション)の意味を深め、充実感を得ることではあるが、世間的にそれを「出世」とは言わない。有徳の人となる。そうか、「出世」とは世間的な価値評価に乗ることであって、自身の活動の内的充実とはズレる。学校の教師として有能であることは、必ずしも世間的な地位に結びつかない。教師活動それ自体が充実しているとき、人は教頭や校長になって「行政職」として現場を離れることを望まない。
 三屋清左衛門も、地位を得たことを「禄が増えた」と世間的な評価にずらしている。奥之介が不遇というのも「家禄のみ」の貧しい暮らしを指しているようだ。それが「充実感」とどうずれるかずれないかは、三屋清左衛門の視界になかったのであろうか。「御用人」という立場がすなわち「有徳の人」という響きと重なっていたからであろうか。藤沢周平自身が、そのような視点を持たなかったのであろうか。私は彼の作品を読んでいないからわからないが、そこに踏み込むとまた、面白く読めるのかもしれない。

 そういう意味では、世間的な評価に左右される生き方をしなかったとkwrさんはみるべきではないか。となるとでは、あなたは、なにを仕事・活動の充足感と考えて生きてきたのかと、自らに問わねばならない。そこからやっと、あなた自身の人生を語る語りが始めるのだと思う。生きることを世を渡るという。だが、自らの「せかい」を確立してそこに拠点を置いて生きていくことは、世を渡るのとは違った領域の広がりを持っている。それこそが、「隠居」してからも生きてくる。「役人や地域との付き合い」など蹴散らしてでも、「隠居」は生きていける。(つづく)

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