2018年7月29日日曜日

庶民の気骨の原基をみた


 河治和香『がいなもん――松浦武四郎一代』(小学館、2018年)を読む。松浦武四郎は幕末の伊勢に生まれ、全国各地を旅して歩き、山に登り、ついには、何度も蝦夷地にわたって地誌的にもアイヌの暮らしにも通じ、大量の記録を残したことでよく知られている。北海道の名付け親とも言われながら、明治維新後は北海道開拓の「名誉職」を辞し、その地に足を踏み入れることなく生涯を終えた。


 この松浦武四郎の足跡を、河鍋暁斎の娘を舞台回しにして語らせたのが、この作品になった。松浦武四郎が東京となった街の江戸風情の移り変わりとともに、その胸中を語る口ぶりは、しかし、一番肝心なことを口にしない風流人の趣がある。だが彼の死後に触れたところで、彼がいかに幕末期の蝦夷地に対する松前藩や幕府の施策、それがアイヌの暮らしに及ぼしている甚大な打撃について激しく記録し、幕府に訴えてきたかを浮き彫りにする。そして、彼の感じてきた「痛み」は、単なる同情共感ではなく、自らが和人としてアイヌにかかわっていながら、和人の暴虐を諫めることも抑えることもできず、無力なままに「記録すること」に終始してきた自らのありようへの、痛切な「無力感」であった。それゆえに彼は、暁斎の娘に対してもついにその胸中を言葉にせず、死語の遺品のなかに語らしめることになる。そこに、人が本当に誇らしくおもうことは、まさに自らの「痛み」をともない、かつ、市井の人として没することに埋もれてしまうものだと、この作家は記していると思われた。

 その筆致は軽快。軽々と江戸を引きずる東京とその風情を描きだし、あたかも武四郎や暁斎や、それを取り巻く人々の気風が、行雲流水の如く東京の下町を流れ漂うようである。それが彼らの人柄を表象するように感じられて、好ましく思った。

 松浦武四郎について書かれたものを、これまでもいくつか読んできたが、その行間から彼の飄々として、しかし虐げられたものへの接し方を、旅の作法から身に備えて行ったところに、人が人に接するときの風儀がつくりだされていくと思われた。今の時代に、(私ごとき)山歩きをする程度のことを「旅」と呼んでは、当時の「ひとふで書き的旅」に申し訳ないが、わが脚でことごとくを始末しなければならない途上において(己の非力をベースにして)いかに人の情に扶けられているかを感じると、同情や共感という「痛み」とは異なる、わが身の非力をベースにした「痛み」として感じとれる地平に立ってこそ、下々のというか、庶民の生き方の原基に触れると思う。

「がいなもん、ってなんですか?」
「がいなもん、ちゅうのは、伊勢の方では、途方もない、とか、とんでもない、って意味ですなあ」

 と、河治は記す。だが私の知る(高松方言の)「がいなやつ」というのは、我意を通す意地っ張りだったり、無理を通す荒っぽい奴を意味する。つまり世間の常識を軽々と踏み外してわが意を貫く、気骨者のことだ。その松浦にして、わが身の非力を沈黙に封じたところに、庶民の気骨の原基をみたように思う。行雲流水でありながら、その気骨の風儀だけは培っていることに誇らしさは宿るのだ。かくあらまほしき生き方よのお、と思わないではいられない。

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