2018年7月1日日曜日
「繁栄」が一致しない
昨日(6/30)の朝日新聞の投書に「子を産んで国栄える 正論では」というのが載っていた。自民党の二階幹事長が「子どもを産まないほうが幸せじゃないかと勝手なことを考えている人がいる」という発言をめぐって非難が起こる中、「政治家が指針とすべき正論であり」憲法の理念にも沿うものだと述べている。投書者は65歳。そうか、「正論」というのがまだまかり通っているのだ。
「産めよ増やせよ」というと、第二次大戦中を想い起して為政者に言われることじゃないよと臍を曲げるのは、戦前生まれ戦後育ちの常。そこですでに、国家と社会の分裂は起こっていた。投書者は「国」と「国家」を一緒くたにしているが、私たちの世代は「くに」は生まれ育った社会のこと、「国家」は権力をもって私たちを統治する「支配システム」と区別している。「支配システム」のいうことを聞いていたら「くに」を滅ぼしかねないことがあると、身体に刻んで生きてきたのだ。じっさい、うちのカミサンは父親が戦死している。その場所もニューギニア東部ということくらいしかわからない。むろん骨もかえっては来ない。それでも「子を産んで国は栄える」は「正論」と親世代は思っていた(かもしれない)。国家と社会はきっちりと結びついていて、選択の余地はなかった。
投書者にとって「くに」と「国家」は分裂していないのであろう。それが幸せどうかは別として、だから「正論」という言葉が自然に出てきて、二階幹事長を批判する野党の党首に「では間違いでない家族観、価値観を示してほしい」とつづけている。先日この欄で取り上げた映画『万引き家族』をみて、この映画が示している「家族観」のどこに「正論」という言葉が挟めるか考えて、「正論」を述べてほしいね。社会にさえ見捨てられた人々が身を寄せ合って「疑似家族」を構成しているのを、「システム」と「優しい社会の保護者」たちが、冷徹に切り離し「正論」に押し込めようとしている姿が、しっかりと描き出されている。
「正論」が大手を振るような社会は、庶民にとっては抑圧が強まっている、いやな時代だ。「システム」で抑圧管理しているのなら、そこまでにしてくれ。さらに家庭に踏み込んで、「子どもを産まないのは」などと、余計なお説教をしないでもらいたい。私たちが戦後手に入れた自由というのは、生き方を(社会システムの枠組みの中でしかないが)選択できることであった。その選択さえ「正論」という観念で縛り上げて平然としているのは、「戦争とその余波の時代」を知らないぼんくらかよほど腹に企みをもつ輩に違いない。
いやな時代になった。
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