2018年7月7日土曜日

利尻岳に登る――海に浮かぶ姿がいい


 月曜日から4泊5日で利尻岳に行ってきました。梅雨の晴れた関東から、なぜか梅雨前線を追って北海道くんだりまで行くことになり、日々悪くなる「天気予報」をみて、どうしようかと思いめぐらして飛行機に乗りました。ANAの300人乗りの7割程度の座席が埋まっています。稚内は良く晴れていて、お迎えの車や観光バスの一団はそれぞれに散っていきます。私たちは、空港から稚内の中心部へ向かう飛行機便に合わせたシャトルバス。2,3台待機していて、発車していきます。私たちは立ったまんま、40分ほどかけてフェリーターミナルに着きました。


 利尻島へ向かうフェリーは思ったより大きく、定員550人、大型トラックが30台ほど乗れるそうです。静かな海を大きく北へ進路をとり、ノシャップ岬を回り込んで南西の利尻島へ向かう。稚内の西側、サロベツ原野の海岸から20km離れた利尻島は、海に浮かぶというよりは、海底から天を目指して屹立するように突き上げて勇壮にみえます。船が近づいていくと、山の北東側にはところどころまだ雪が残り、白い筋を何本も描き出しています。これがちょうど私たちが上ろうとしている鴛泊ルートの稜線がスカイラインをつくり、1200m付近の尖った鋒が長官山だと分かります。そしてじつはこれが、利尻岳の見納めでした。

 翌日は一日、雨。雨の中を上るよりは、少しでも亜鉛の少ない翌日の方がいいと判断。翌日はレンタカーを借りて、雨の中、島内の観光地を巡り、利尻という島と人々の暮らしに触れることにしました。そうして、7月4日、朝3時に起き、4時に登山口を歩きはじめました。コースタイムでは4時間20分ほどで登頂、3時間ほどで下山となっていましたが、登頂に5時間、下山に4時間と見込み、もし予定通りに歩くことができれば、船が出るまでの2時間半ほどの間に温泉に浸かって汗を流し、礼文島へ向かう船に乗る。温泉や港までの脚運びを、泊まった民宿の方が請け負ってくれたのでした。

 登山口まで送ってくれた民宿の爺さんはもう何十回と利尻岳に登っている方。「上り3時間、下り3時間だね」というから、上り下りの道筋がそれなりに険しいのだと判断した。「いや9時間もはかからないよ。気を付けて」と送り出してくれた。kwrさんを先頭にゆっくりと歩く。後になって思うのだが、登りの道筋が下りにこんなに時間がかかるとは思いもしなかった。つまり軽快に、しかしペースを崩さず歩き始め、着実に力を配分していました。花を見つけては立ち止まり、写真を撮り、針葉樹がミヤマハンノキやダケカンバの林に変わり、そのダケカンバの木が背をかがめて腰を曲げるように枝を撓めて道を塞ぐのを一つ一つ確認しながら、歩をすすめて行きました。霧のように落ちてくる雨が、木の葉に着いた雨粒が落ちてくるかのようにポツンポツンと小やみになり、気が付くと風ばかりが吹いて雨は上がっているようになりました。2時間40分の長官山には朝食休憩をふくめて3時間20分。すでに標高差1000mを上っていました。

 トイレ小屋のある避難小屋を出るときkwrさんが「何分遅れてる?」と訊ね、時計を見ると20分遅れ。そう告げ「風も強いからあわてずに、ゆっくり行ってよ」とつけくわえると、頷いてまた歩一歩と歩きはじめました。このときはまだ、くたびれた様子はありません。あとにつづくkwmさんstさんも疲れをみせず、おしゃべりをしながら歩いています。登り道はここからが正念場。ルートにも「胸突き八丁」とあり、七合目、八合目と標識が目に付くようになりました。それとともに足元の地質が変わって来るようです。避難小屋を少し過ぎる辺りまでは黒土がぬかるむようであったのに、ざらざらとした砕けた火山岩のようになり、九合目辺りではぼろぼろのざれ石の上をバランスをとるのに苦慮しながら歩くようでした。山のでき方が違うのかもしれません。でも昨日見た「資料館」でも「博物館」でも、利尻島の成り立ちに関する地質学的な説明はなかったなあと、歩きつつ想い起していました。

 沓形からのルートをあわせる分岐に気づかずkwrさんは、ゆっくりとすべりやすい火山礫を踏みながら、切通のようになった地点へ歩を運ぶのですが、バランスをとるのがやっとのように強い風が吹きつけていました。宿のガイドにあった「注意点」ではこの先が道が崩れやすく、霧が濃いときには踏み跡がわからず崖に落ちる危険があると書いていました。また風が強いときには、この先を取りやめて下山するようにという注意も書いてありましたから、ここから先頭を代わろうと話していたのですが、彼は気づかずにすすみ、ロープを張ったところや片側が崩れ落ちているところを気を付けながら登って、ふと気が付くと頂上についていたという調子でした。なんとちょうど9時。想定の通りに歩いたようです。

 山頂には60年配の男二人連れだけ。神社の社があるが霧に隠れそうになっています。カメラのシャッターを押してあげると、お返しに写真を撮ってあげるから並びなさいよといい、私たちも並んで、立ち込める雲を背景に「利尻岳山頂」の標識と記念写真を撮りました。周りを見回しても、何も見えない。風は強い。下山にかかる。上りにもっと時間がかかるとみていたkwrさんは元気を取り戻し、やはり先頭になって下山を開始。慎重に崩れ落ちたところとすべりやすい地点を通過し、切り通しを抜けなんだここが「分岐」かとあらためてルートを再認識。登ってくる人がいる。単独行の若い人が案外多い。先ほどすれ違った若い男がすぐに後ろから降りてくる。「あれっ、もう」というと、「ハイ、山頂は一秒だけ。写真を撮ってすぐ下山です」と屈託がない。独りで登ってくる30代の女性は風に吹き飛ばされそうなのに元気がいい。この人は下りで私たちと入れ違いで避難小屋にやってきて、下山路の下の方で私たちに追いつき、追い越して下って行った。

 すれ違ったのは約40人ほど。60を境にすると半数は若い人たちだ。全日に登った人たちの半数ほどは、長官山の手前から引き返したのではなかったか。平日の最果ての登山としては、けっこう多いように思った。stさんは下山に掛かってからは、立ち止まって花の写真をカメラに収める。「登るときは懸命だったから目に止まらなかったけど、降るとなると余裕だね」と嬉しそうだ。リシリヒナゲシだとか、リシリリンドウだとか、リシリの名がつく花もある。私は名前がわからないから、写真だけ撮るが、カメラが湿気てレンズが曇り始める。そのうち、ジィーと嫌な音をたてるようになり、ふと気が付くと、レンズカバーが一部つっかえて開いていない。画面の一部を隠すようになっているのだが、それに気づくほどモニターがよく見えない。風が冷たい。「まるで露天風呂に入っているみたい。顔は冷たくて、でも身体は汗ばむほどだ」と言いながら快適に下る。ハイマツ帯を過ぎていくぶん風が弱まると、下りの速度も速くなったように思った。「これじゃあ、ひょっとすると1時の船に間に合うかもしれないね」と私がいったものだから、女性陣が「お風呂はいいから、礼文へ早く行って向こうで風呂に入りましょうよ」と言い出し、kwrさんはその言葉に動揺して、転びそうになる。下山したら温泉に入る、これが彼の一番のたのしみだったからだ。「オレって、二つのことができないからね。風呂に入るかどうかって考えるのと、下りの足場を選ぶのとが一緒に来ると、転ぶのよ」とヘンな釈明をしている。ところが結局、そのあと下りに疲れが出てきたのと、のんびり下ったせいで、当初予想したとおり午後1時に登山口に帰着した。

 靴の泥を落とす刷毛を用意した水道が三つもあり、トイレを済ませたころに宿のバスがやってきて、私たちを温泉まで連れて行ってくれる。風呂ですっかり着替え、しっかりザックにパッキングしてから、迎えが来るまでの間、生ビールを飲む。ジョッキも冷やしてあって凍りついている。ビールも一部がジョリジョリしている。面白く、おいしい。

 こうして私たちは利尻岳を登るという今回の旅の第一目的を果たしたのだが、第一日目にその姿を見ていなければ、どこを歩いているのかもわからなかったであろう。また、この山の姿をみていたからこそ、標高差1500メートルという、富士山五合目から山頂へ登るよりも大きな標高差を日帰りする気合が入ったのだと思う。ここに来る当初、避難小屋で一泊しようかと言っていたが、下山して、一般の人は泊まれないとも聴いた。9時間で無事帰ってくることができたのは、まずまずと言わねばなるまい。雨と風のせいで、このあとじつは、観光の旅もできなくなったのだが、それゆえにまた、利尻島と礼文島という北限の島の暮らしが目に止まる機会をもった。さらにまた、礼文島から稚内に帰り着いて飛行機が出るまでの間に、ノシャップ岬や宗谷岬をもてみまわることもできた。こんなにたくさんの人たちが、これほどの厳しい土地で豊かに暮らしている気配を感じて、人間て強いなあと感じたし、「失われた何十年」などという嘆きよりも、自然に生きる人たちの力強さを感じとることができた。だがそれは、また別に機会に記すことにしよう。

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