2018年7月27日金曜日

甲斐駒ヶ岳――名山の展望台に上がる


 一昨々日(7/24)から昨日まで山に入った。いくつかの幸運に恵まれて、百名山二つを踏破し、絶好の眺望を満喫して、無事に帰ってきた。山の会の「日和見山歩」の企画。kwmさんをチーフリーダーに、甲斐駒ケ岳と仙丈岳を登ってこようという、梅雨明け十日のお手本のような山歩き。kwmさんが一年前に登りたいと「ツアー」に応募していたところ、参加者が足りないというので中止になった山旅である。その話を聞いて「ならば、あなたが企画すればいい。私も参加して、日和見山歩として実施しましょう」と声をかけ、実施にこぎつけたもの。「日和見山歩」はこれまで、文字通り「お手軽気分で上ろう」という趣旨が含まれていた。だが、これがうまくいけば、中級の山も含めることができる。山歩講全体が「行きたい山に行ける山の会」に変貌してくれれば、主宰をしている私としては肩の荷を降ろせる。これをきっかけに山歩講自体が変わることを、私は期待していた。


 幸運というのは、不運と背中合わせになっていると、往きながら感じた。甲府から広河原へ入るバスは12時発。「特急スーパーあずさ」を「企画」は記載していたが、私は一本早く行って甲府でお昼を食べ、翌日の昼食も買ってバスに乗ろうと「特急かいじ」に乗りこんだ。kwmさんもkwrさんも、やはりこれに乗っていることが分かった。「新型特急かいじ」は静かで空調も効いて快適。座り込んで本を読む。ほぼ読み終わってしまったので、えっまだ着かないのと目を上げると「四方津」と駅の表示が目に止まる。時刻をみるともう甲府についていてもいい時刻だ。なに遅れてるの? 車内アナウンスが「猿橋のポイント点検をしているので、今しばらくお待ちください」という。動き始めたが47分遅れ。別の車両に乗っているkwmさんにメールを入れる。もし12時のバスに乗れなかったら、どうしますか? その次のバスで広河原まで行ってから考えましょうと、返信がある。もう一人の参加者であるstさんは、この次の「スーパーあずさ」だろうか。kwmさんが連絡を取ってくれ、彼女は11時半過ぎに甲府についている、私たちは遅れると連絡してくれた。特急はほぼ12時に甲府に着く予定と車内アナウンスがあったので、stさんにメールを送り、電車遅延のためバスの出発を10分ほど遅らせてもらえないか頼んでくれと依頼する。彼女はその通りに動いてくれ、じつはバスの2台目が10分遅れで出ることになっていて、私たちは広河原へ行き、接続する北沢峠行にも乗ることができた。不運があるから幸運があると思った次第。

 さて北沢峠で降り、今日宿泊の仙水小屋まで40分ほど歩く。北沢峠の長兵衛小屋近くのキャンプ場には、びっしりとテントが並んでいる。高校生たちの夏の合宿のようだ。翌日甲斐駒ケ岳の山頂で出逢った高校生の顧問らしい人に聞いたが、滋賀県の高校登山部が合宿を行っていて、北沢峠をベースにそれぞれに山へ登っているという。いい季節なのだ。樹林の中をkwmさんを先頭に快調に歩く。陽ざしは明るいが、暑くはない。いかにも都会の炎熱地獄を抜け出してきたという風情である。標高を200メートルほど上がった樹林の中に、姿を隠すように仙水小屋はあった。4時15分着。ついてすぐに夕飯になる。小屋外のテーブルとベンチに席を占め、お膳に盛り付けたおかずとご飯を頂戴する。ハンバーグもついてちょっと見には手がかかっているように見える。12畳ほどの部屋に7人の泊り。ゆったり。定員の半分ほどか。静か、寒くもない。水が豊富。流しっぱなしの蛇口が3つある。コックを取り払ってあるから止めようがないが、ついてたら止めちゃうよねとkwrさんは言う。トイレも水洗だとkwrさんは言っていたが、流水式。タンクに貯め、固めてヘリで運ぶというが、どこでどうやって荷を積み下ろしするのか不思議であった。

 翌朝の食事は4時から。済ませて歩きはじめたのは4時40分。ヘッドランプもいらない。10分ほどで樹林を抜けるとごろごろした石の積み重なった急斜面にぶつかり、それをトラバース気味にゆっくりと登る。左側は樹林だ。kwmさんがホシガラスをみつける。水場だろうか、3羽が集まってくる。子育て中の一家かもしれない。正面の峠がまぶしくなる。陽が上って来たのだ。仙水峠からは、正面に大きな摩利支天がかぶさるように現れる。上って来た朝日を受けて、白く輝く。若い人3人が下から来る。何時ころ出たの? 下のキャンプ場を4時半かなと一人が応える。とすると、私たちの倍速で歩いている。そりゃあすごいと、先へ行くよう道を譲る。

 コメツガの林の中を急登だ。薄い土の下には岩が腰を据える。だから樹々の根は深く入ることができず、横へ広く張り出す。その根を踏み岩を伝わるようにルートはつづく。ところどころ樹林が切れると、東の方に長く連なる尾根が見える。早川尾根だ。その先に地蔵岳のオベリスクが特徴のある姿を朝陽にさらしている。45分も登ると背の高い樹林はなくなり、ハイマツが道の両側から押し寄せるように体にかぶさってくる。風が心地よい。見晴らしがよくなる。南に仙丈岳が大きな山容を横たえている。その東の方には、北岳も、間の岳も南は稜線を連ね、山の色も緑から紫へと、距離感をみせながら変わっている。唇のような形の花をつけた白い花が咲いている。トウバナの仲間だろうか。茎の先に一輪、リンドウの仲間が咲いている。トウヤクリンドウが緑っぽい楚々たる花をみせる。ヤマハハコの仲間が群れている。広い土が広がる山頂、駒津峰2740mにつく。歩き始めめて2時間ほど。標高差600mを上がっている。ほぼコースタイム、いいペースだ。北側に、文字通りデンと甲斐駒ケ岳と摩利支天が、逆光のなかに白く輝く姿を見せて位置を占める。駒津峰から標高差は300mとないのに、その競り上がり方は尋常ではない。まさに主峰という格好だ。

 ひとたび下り、ハイマツと岩が織りなす稜線を歩いて駒ケ岳に近づく。六方石と名付けられた大岩のところから「↑直登、う回路→」とあり、先ほど先行した一人が「直登」方面から降りてきている。荷物が通らなくて難儀した結果、う回路を辿ることにしたらしい。kwrさんも右のう回路へ道をとる。こちらは大岩と、その上に流れ落ちる小粒の砂を踏む。滑りやすく、歩一歩の脚に力が入る。50分で摩利支天との分岐に出る。ここに荷を置いて摩利支天にいく人がいる。まあまず、山頂に登ってからにしましょうと、山頂へ向かう。すぐ上に見えている山頂まで50分ほどかかった。堆積する砂が滑りやすく、ルートもあちらこちらにある。狭い岩の間を通るときは、荷物が引っかからないか心配したほどだ。黒戸尾根からのルートと合流するところに上ったころ、kwmさんが苦しそうにしている。胃が痛いというが、高山病ではないか。昨夜あまり寝付けなかったという。あと10分ほどで山頂だから、とりあえず山頂まで行って下山を早めようと話して上を目指す。仙水峠で私たちの倍速で歩いていた若者3人が降りてくる。彼らは直登ルートをとったようだ。「いや下りには使えないですよ」と笑う。ずいぶん長い間、山頂にとどまっていたようだ。

 8時33分、山頂2967m。4時間足らずであるいた。ほぼコースタイム。摩利支天が低く小さく見える。それほど混みあってはいない。北アルプスも八ヶ岳も見えるには見える。鳳凰三山も北岳も間の岳も一望ではある。だが、眺望を楽しむほどの余裕がない。私たちと相前後して登ってきた人たちがカメラのシャッターを押してくれるというのでお願いし、代わって彼らのカメラのシャッターを押す。直登ルートを登ってきた高校生グループがいる。顧問は「下山はルートが見つけにくい(から降りないほうが良い)」と満足げに話す。15分ほどいて私たちも下山を開始。下から高校生の集団が上がってくる。「恐いよお」「もう泣いちゃう」と言いながら歩いてくるのはまだ一年生だろうか。彼らが通り過ぎるのを待つ。下のグループが「降りてください」と声をかける。お言葉に舞えて先に降りる。下から次々と高校生の集団がやってくる。気を付けてすれ違いながら、4時ころキャンプ地を出発したとしたら、いいペースで歩いているではないか。

 下山もなかなかしんどいコースであった。途中でお昼をとる。9時半頃。風が心地よい。kwmさんは食べられないそうだ。上りがつらいという。下りになるとそれほど体に衝撃はないというから、駒津峰からの下りは、長いが大丈夫だろう。戻りながら甲斐駒ケ岳を振り返ると、見事な山容が屹立するように聳えている。直登ルートが見える。あれが間近に行くとどこを登っていいかわからないのだろう。行くときにはそれほど感じなかったピークの威容が漂うようであった。

 駒津峰を降りはじめたのは10時40分頃。向かう双児山はこんもりと大小二つのピークが重なり合うようになる緑の森にみえた。だが下り始めてみると、足場は岩だらけ。歩きにくいことこの上ない。はじめはあらかたハイマツ。kwrさんが先頭でkwmさんの脚の運びを気遣いながら、ゆっくりと降る。ハイマツ帯を抜けるとコメツガの樹林になる。足場はしっかりしているが、大木が根っこに近くでぐいと曲がり、雪の重みに何十年と曝されてきたせいだとみえた。双児山のところで一組の夫婦が休んでいた。彼らは駒津峰まで行って戻るところだという。聞くと7時ころ上り始め、駒津峰について甲斐駒ケ岳までどのくらいで行けるかを訊いたら、往復3時間半ほどだという。自分たちは2時間半ほどで往復できるとみていたから、山頂を諦めて下山しているという。「インターネットで調べたら日帰りで往復できるってあったから」と旦那。奥方は「あなたはいつも計画が甘いんだから」という目をしていたと、あとでstさんが言う。可笑しいが、そういうことってあるよなと思う。今朝ほど私たちを追い抜いて行った若者たちは、ほぼ倍速。彼らがコースタイムを書き記したのだってあるんだから、インタネットで調べるだけでなく、地図やガイドブックで「標準的な」コースタイムを確認する必要があるだろうと思う。もちろん自分たちの歩行速度もチェックしておかねばならない。

 おおよそ30分ごとに休憩をとり、また降る。針葉樹の樹種は違ってきているが、何が何かはわからない。こうして1時前、こもれび山荘に着いた。ここまでの行動時間は8時間10分。休憩などを全部含めてだから、まずまずの歩行であった。だが今回の山行は、これからが勝負だ。利尻岳で9時間の行動はできると分かっている。今回は、高度に馴染んで高山病を発症しないで上ることと、明日仙丈が岳という3000メートル峰に登ること。これを二日続けてできるかどうか。はじめての試みでもある。でもまあ、一時までに下山して、小屋の生ビールで祝杯をあげる。いっぱいで収まらず二杯も飲んでご機嫌になって着替え、昼寝に入ったのは二時であったが、これがとんでもない誤算。あとからやってきたグループが小屋の外のベンチで飲み会をはじめてしまった。やいのやいのと喋るばかりか、声が大きい。発泡スチロールの箱に氷を入れ、ウィスキーの大きな瓶を持ち込み、山の話にかこつけて人のうわさや自慢話に花が咲いている。それがちょうど私たちのベッドの枕元と来ているから、寝れやしない。それでも二時間ばかりうとうとし、4時ころから外を歩く。なんと広河原から以上に、木曽川から何台ものバスが出入りして人を運び入れる。この人たちみなが、甲斐駒ヶ岳か仙丈岳に登る。ちょっとした壮観というか、たいへんな賑わいだ。のんびりしていたら、渋滞しかねないと思った。

 夕食を済ませ、6時には床に就いたが、「宴会」は二次会三次会とつづいて、おしゃべりは止まらない。女性陣も、まるで中学生の修学旅行のように、寝ている人たちにかまわず大声で笑い、はしゃぐ。若いころなら怒鳴りつけ太郎が、こちらも若いころにはご近所構わず酔っぱらってご迷惑をかけた脛の傷がある。この人たちは普段、こんなふうにはしゃぐこともないのかもしれないと思って、山小屋には珍しい喧騒を味わっていた。結局夜八時の消灯になって、彼らも力尽きたように静かになり、わが方も朝方3時過ぎまで熟睡することができたのであった。(つづく)

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