2019年3月30日土曜日
平成を象徴するコンビニ人間
小説を2冊読む。
一冊は、桐野夏生『バラカ』(集英社、2016年)。既読感がつきまとう。刊行されてから3年程になるからTVドラマにでもなったのを見ただろうかと思いながら読んだ。これといった感懐をともなわない。読み終わって、ひょっとしてと思って、古い記録をみたら、2016年7月4日のこのブログで「まったく他人事としての物語」と題して、書評まで書いている。読んだ、もう一冊と関係するから、その全文を再掲する。
2019年3月29日金曜日
2019年3月28日木曜日
山歩きにいい季節
山を歩いていて、暑くもなく寒くもなく、いい季節というものがあると思った。昨日(3/27)のこと。行程は7時間45分。標高差1116mを上り、1426mを下る。鷹ノ巣山1736mに東日原から登り、石尾根を下って奥多摩駅まで行くという行程。むかし雲取山に登ったとき、奥多摩駅まで下ったことがある。陽ざしを受け、東南に向かって広い尾根を下るのが快適であった思いが残る。でも後期高齢者としてはたぶんぎりぎりの行動時間。それもあって、「トレーニング山行」と名づけた。4人が参加。
2019年3月26日火曜日
あいだみつおか、ノー天気天声人語
今日(3/26)の天声人語は、お粗末。英語とロシア語の翻訳をする人工知能が「精神は尊い」を、「ウォッカはおいしい」と訳したことを糸口に、大阪市内地下鉄の自動翻訳の可笑しな間違いを取り上げる。そして「このニュース、どこかほっとする……。(人工知能が)いずれ人間の仕事を奪っていくのでは、ともささやかれる。おっちょこちょいの翻訳ソフトの頭をなでたくなる」ともっていく。
2019年3月25日月曜日
手違いで、手がけたファイルを消去してしまった
このところ、「5月総会の議案書」の制作にかかりきりだ。「第二稿」の校正が届けられて、土曜日の午前中に少し手直しした。午後から昭和大学でのseminarがあり、用意をして出かける。A4判のプリント25ページ分。戦中生まれ戦後育ちの後期高齢者の方々と、自分たちの過ごしてきた人生と重ねて、46歳から76歳までの時期。子育てがひと段落して後の、現場仕事でいうならば、責任を背負って一番活動していた時代が半分、リタイア後の60歳代から現在までの16年を「平成時代」として括れる。それをどう、わが身に引き寄せて特徴づけるかというテーマである。
2019年3月23日土曜日
人望がないという自己認識
イチローが引退した。読売系を除いてTVも新聞も、メディアは大騒ぎしている。でも、45歳。野球選手としては長持ちした方だ。「偉業」と呼ばれるいくつもの記録の金字塔を打ち立てたというのを記者たちは承知しているから、イチローのことばが謙遜に満ちていると受け取っている。引退後、プロ野球の監督にはならないのかという問いにイチローが「人望がないから……」と応えたのも、謙遜と受け止めたようだった。耳にした瞬間私は、これがイチローのスタンスだと感じた。だから、「人望がないという自己認識は、あなたの選手生活にどう影響したでしょうか」と訊きたいと思った。
2019年3月21日木曜日
春分の春の嵐
今日はお彼岸、春分の日。朝は雨であった。緩やかに天気は回復し、暖かい。恢復するにつれて、強い風が吹く。TVはサクラの開花予想で番組を飾る。部屋に風を通したくなるほど、気持ちがいい気温だ。
2019年3月20日水曜日
私の平成時代(8)すべてが一つになる「せかい」
あるとき、長く宇宙科学に携わってきた大学教授が退官に際して最後の授業を行ったのを観た。そのとき学生の一人が「では、ビッグバンが起こる前はどうだったのでしょう」と質問し、その教授が「わかりません。今の私たちからみると、時間は不可逆的に一方向に流れているけれども、それ以前はひょっとすると、時間が空間的な構成をとっていて可逆的どころか移動可能にも、可視的にもなっているかもしれない」と返したのが、印象的であった。教授は、たぶん、そういう関心を懐いてそれを解明するべく突き進むのが、次世代の研究者なんですよと言いたかったのであろう。
2019年3月19日火曜日
私の平成時代(7)「失われた」のはチャンス
平成時代は、1989年、文字通り時代を画するような世界的な大変動とともに始まった。
東西冷戦の終結である。「ベルリンの壁崩壊」に象徴される東ヨーロッパのワルシャワ体制の崩壊と、ゴルバチョフと父ブッシュによる「冷戦の終結宣言」であった。米ソ二大帝国体制の崩壊は、長く二項対立的に(それぞれに善悪の価値評価を伴いながら)諸問題を処理してきた集約点が消失したことでもあった。
2019年3月16日土曜日
私の平成時代(6)――環境管理型社会の構築へ
《ハイ、売名です。あなたも売名したら? みんな助かるよ》
これは、昨日(3/15)の「折々のことば」が引用した、杉良太郎のことば。引用者の鷲田清一は、こう続ける。
《15歳での刑務所慰問を皮切りに、国内外での福祉活動歴は60年になる。歌手になる前、知人のカレー店で無給で働いたのも、「見返り」を求めない人生の道を貫く覚悟を決めるため。東北の被災地で炊き出しのカレーを混ぜている時、リポーターに「それって売名ですか」と訊かれた。寒空の下、人々が並んで待っている。反論する時間も惜しかった。「週刊朝日」3月8日号から。》
「反論する時間が惜しい」というよりも、杉良太郎のことばは、善悪を越えているところが、すごい。「売名」という言葉は、行っている行為そのものとは「別の意図」つまり「悪意」があるという使い方をする。それを「あなたも売名したら?」と返したことで、「悪意」は、杉良太郎のモンダイではなく、問いかけたリポーターのモンダイでしょと、投げ返している。「反論する」という性質のやり取りではないから、鷲田清一がちょっと、ことばの深みをとらえ損ねているコメントだ。
2019年3月15日金曜日
トレーニングの赤鞍ヶ岳・菜畑山
晴天の3/13(水)、山の会の月例山行は、道志村の赤鞍ヶ岳・菜畑山。目下一番山にのめり込んでいるkwmさんが車を出してくれるというので、Yさんと私は中央線の藤野駅で拾ってもらうことにした。予定の時刻に合流、空は雲一つない晴天。空気は昨日と異なり、少しひんやりとしている。Yさんは2月の奥日光のスノーシューで初登場した、やっと還暦の若手。表銀座を歩いたりしているという山ガールだ。
2019年3月14日木曜日
やはり疲れた
昨日は道志村の盟主と言われる赤鞍ヶ岳と菜畑山に登ってきた。今朝、山行記録を書き落とそうとして、筆が進まない。ああ、くたびれてんだと思い、メールのやり取りや、今後の山行計画に気分を移す。理事長仕事に要請が入ってそちらを構い、空いている時間を使って、今日午後に予定されていた「ささらほうさら・無冠」のプリントアウトに手を出す。これも35号。あと一つで、3年間毎月の発行がつづいたことになる。A4判16ページ、まあ、毎月よく描き続けたものだと、我ながら思う。
2019年3月11日月曜日
わからないことだらけの「せかい」
今日は3月11日。東日本大地震からちょうど8年経った。まだ暮らしていたところに戻れない人たちがいるのに、フクシマから200kmほど離れているという隔たりが、もう記憶からもあの日のことを消し去りつつある。ほんとうにヒトって、バカだなと思う。思うが、これが私の自然だから、仕方がない。私は震災のことはすっかりわすれて、8日から昨日まで、関西へ行ってび惚けてきた。
2019年3月6日水曜日
断片で生きたいのにまるごとが追いかけてくる
イタリア映画『ナポリの隣人』(ジャンニ・アメリオ監督、2017年)をみた。イタリアは、アフリカ系やアラブ系の移民・難民が流れ込む、最初の寄留地。出自も由緒由来もわからない人たちが寄り集まり、男女が所帯を持ち、子を産んで育てる。むろん生粋のイタリア人もいるのだが、こうも雑然としてくると、人びとは近代的な市民として自律して生きていくほかない。そのときの人と人の「紐帯」は、法的な言語にかろうじて繋ぎ止められる。出自も由緒由来もかかわりがない、法的言語に翻訳され表現されることが、ひとの関係をつなぎとめている。それ以外は、「余計なこと」だ。
2019年3月5日火曜日
面倒はさっさと片付ける
昨日の話の続き。全戸配布の「ご報告」文書は、今日、手の空いている理事に来てもらって帳合し、封入して、明日配布してもらう準備ができた。もともと誰も来なくても、時間もあれば片づくとみていたが、理事13人のうち仕事をリタイアしている4人がやってきて、40分ほどで終わった。ありがたい。12月に配布した「積立金値上げ説明会」の資料作成があったから、要領を説明する必要もなく、世間話をしながらさかさかと片づけた。
2019年3月4日月曜日
なんだろう、このいい加減さ
昨日(3/3)は、月例の団地理事会。前日に準備を終えて「達成感に浸った」ようなことを書いたが、じつは、私はそれほど、この仕事に身を入れているつもりはない。ただ、取りかかるとほかのことが視野に入らなくなる。それは単に年を取って、身のこなしが自在にならなくなっただけのことだ。だが、日々傍らにいるカミサンからみると、ひたすら理事長仕事に打ち込んでいるように見えるのかもしれない。
2019年3月3日日曜日
私の平成時代(5)「不安」の中の「わたし」を生きる
2/28に記した「遠近法的消失点」で、思いついたことがあった。彼岸に視点を置き、そこから現在の生者の自分をみつめるというのは、「公平性」とか「平等性」に関係している。一神教の人々が「神の前に皆同じ」とみるように、日本列島に棲む私たちは(記紀神話に起源を置いてみると)、自然の遠近法的消失点である「彼岸」に視点を置いてわが身をみるとき、「皆同じ」という感懐を懐いたのではないか。
2019年3月2日土曜日
ゴールが見えてきた
昨日(3/1)は、明日の団地理事会の会議資料をつくるのに、大忙しだった。にしろ、5月の通常総会の「議案書」の素原稿を取りまとめるからだ。全体を見通すために、エクセルでページ割りをして、議案の標題をつける。「理事会活動報告」や「事業報告」など、担当者から送られてくる文書を、書式を整えてページを記す。
登録:
投稿 (Atom)