2019年3月11日月曜日

わからないことだらけの「せかい」


 今日は3月11日。東日本大地震からちょうど8年経った。まだ暮らしていたところに戻れない人たちがいるのに、フクシマから200kmほど離れているという隔たりが、もう記憶からもあの日のことを消し去りつつある。ほんとうにヒトって、バカだなと思う。思うが、これが私の自然だから、仕方がない。私は震災のことはすっかりわすれて、8日から昨日まで、関西へ行ってび惚けてきた。


 孫次男の中学卒業祝いと高校の合格祝いと孫娘のミニ・バスケ新人戦の観戦に招待されたからだ。往き来の間に村上春樹『騎士団長殺し』(新潮社、2017年)を読んだ印象が気持ちに残り、不確かなコトを、わずかに自分が信じているという確信によって支えて「せかい」を観ているのだと感じ続けていた。逆にいうと、なに一つ、確かなことを確信できていない。「いい加減に生きてんじゃねえ~よ」と誰かに叱られそうだが、たとえ叱られても、事実なんだからしょうがねえと、居直るしかない。

 思えば、「わたし」ということ自体、わからない。目に見えることしか信じないというわけではないから、昔から、暗闇もお化けも怖かった。小泉八雲や上田秋成を読んでは、お便所に行けなくて困ったことを思い出す。いつしか目に見える世界しか目に入らない何年かを過ごして、気が付くと、機能的に世界が出来ているような錯覚に入りびたりだった。

 そこから抜け出したのは、わが身を持て余す時節が訪れたからではなかったかと、いま振り返って思う。それ以来、何より恐いのは自分だと思うようになった。それと同時に(ではなかったかと、やはりいま思うのだが)、目に見える世界から抜け出して言葉の世界というか、イメージというかメタファーというか、心裡の世界というか、じぶんでもわからないわが身の裡のありようが、怖いほどつかめなくなった。わが身が何によって支えられているかという土台の輪郭が、まるでわからない。仕事でも、世の中からはじき出されたような若い人たちと向き合う時期があったから、いっそうそう思うようになったのだが、目に見えるはずのことも見ていないと強烈に気付かされた。

 機能的に錯覚している世界が、とんでもなく見当違いではないかと思うようになり、翻って、ではおまえは何をもって「せかい」を確信しているのかと問えば、わずかに日常的な人との気持ちの往き来と私自身の心の安定が確信の根拠という、なんとも不甲斐ない心象に行き着く。

 村上春樹は作家だから、あの手この手で、見えない世界を引きずり出して、ことばにしてみせる。だがそれでも、その心象を文字で読み取ることのできるかたちにするには、荒唐無稽な舞台を設えなければならない。西欧の文化をくぐらせた上質な世界を対照させてみても、おとぎ話を読むような気分はぬぐえない。むろん、否定的に「おとぎ話」と言っているわけではない。小泉八雲の怪談の表象と変わらない世界を生きているのではないかと、ある種の先祖返りのような時代的気分を味わったのだ。つまり、そうでもしなければ、この、「わからないせかい」を、あたかも分かったかのように日々平然と生きている、このわたしが、不気味な何かのようにさえ、思えてしまう。そんな気分だ。

 3・11という8年前の出来事を、周年記念的に想い起すのではなく、フクシマに依存して生きてきていた自分たちが、相変わらず、けろりとソノコトを忘れて未だに、依存しっぱなしである。あのとき、ボーっと生きてんじゃねえよと言われたことまで忘れて、またしても、ボーっと生きてるじゃあねえか。

 そうなんだよ。この不気味な「わたし」は、何度でも何度でも、叱られても叱られても、何度でも何度でも、そうだまた忘れてたって、わが臍をかんで、やりなそすってことしか、道はないってことかもしれない。悲観してんじゃねえよ。そんだけぼんやり生きていても、生きていけるっていうしぶとさに、不気味さを感じているってわけさ。このわが身の自然さは、何だ? 何なんだ! 村上春樹さんがどう思っているかは、聞いて見なけりゃわからないけどね。

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