2019年3月25日月曜日

手違いで、手がけたファイルを消去してしまった


 このところ、「5月総会の議案書」の制作にかかりきりだ。「第二稿」の校正が届けられて、土曜日の午前中に少し手直しした。午後から昭和大学でのseminarがあり、用意をして出かける。A4判のプリント25ページ分。戦中生まれ戦後育ちの後期高齢者の方々と、自分たちの過ごしてきた人生と重ねて、46歳から76歳までの時期。子育てがひと段落して後の、現場仕事でいうならば、責任を背負って一番活動していた時代が半分、リタイア後の60歳代から現在までの16年を「平成時代」として括れる。それをどう、わが身に引き寄せて特徴づけるかというテーマである。


 敗戦後の貧困と混沌の時代から、高度消費社会と一億総中流と言われた時代、その後の「失われた○十年」という変遷を、エピソード的にたどる。私の関心は、ヒトがどう変わったかに焦点を当てるところにある。だが聞いている方の関心は(たぶん)少しずれている。皆さん、それぞれの感懐に半ば浸りながら、私の話を聞いてくれた。

 その後の会食で、7月seminarの講師も決まった。5月の講師も、1月のseminar後の会食で話しかけて名乗りが上がった。今回も似たような展開。seminarのコーディネーターを務める私としては、上々の出来だ。もし講師がいなければ、私が何かテーマを設えればいいことだが、如何に何でも私が何度も講師を続けては聞く方も辟易すると思うから、できるだけ別の方が挟まってくれる方が良い。そう思って、これぞという方に密かに声をかける。年寄りのおしゃべりの会という風情だから、肩がこるような話を期待しているわけではないだろうが、何しろ私が仕切るから、気が張るのかもしれない。それはそれで、年寄りにはいいことだと勝手に決めている。

 日曜日の朝、「議案書・第二稿」の校正がポストに投げ込まれていた。仕事から帰って深夜に取り組み、朝方やっと仕上げて投函したのであろう。その方は、今日も仕事に行くという。現役は、ほんとうにご苦労様なのだ。午前中、「第二稿」の校正をする。私のUSBを持ち込み、管理事務所のパソコンを使って手直し。ひとまず仕上げて、午後の読み合せのために、必要部数プリントアウトする。やれやれ、これで用意が出来た。ひと先ずうちへ帰る。だがその前に、USBのファイルを管理事務所のパソコンに入れておけばいいと考えた。3日前にも一度ファイルを保存しておいた。それを上書きすればいい。そう思って、ファイルを移そうとした。ところが、ひと頁ずつ「置き換えますか」と聞いてくる。何だ面倒だな、それなら、既存ファイルを全部消去して、新たに移し込めばいいと考えた。ところが、「消去」したのはつい先ほど手直しをしたUSBのファイルの方であった。わが家のパソコンならこんなミスはしないのだが、ワードという、私にとっては初めてのソフトを使っている。おやおやといううちに、画面の指定するファイルボックスが違っていたのだね。午前中の仕事が全部ぱあになって、がっかりだ。

 それでも、プリントアウトしたもので午後2時間、総務理事や副理事長と「最終校正」を行った。3日前に保存しておいたファイルを呼び出すことはできたから、最初からつくり直す必要はなくて、まあ、被害は最小限にとどめたというところか。でも、あんまりがっかりしたものだから、パソコンに手を付ける気にもならず、図書館へ本の返却に行き、届いている「予約本」を受け取ってくる。書架を観ているうちに小説が読みたくなり、さらに3冊追加して借りてくる。

 大相撲をみて、大関の座をとるもの、降りるものの気迫の違いが如実に表れている一戦をみる。横綱同士の戦いも、見ごたえがあった。こうした「大勝負」をしたことがなかったなあ私は、と感慨深い内心の響きを感じた。いつもほどよいところで勝ち負けを避けてきたのか。負け犬の遠吠えとニーチェに悪口を言われるかもしれないが、いつもわが身の輪郭ばかりを追いかけて、井の中の蛙であったのかもしれないとは、思う。それが私の自然であり、身のほどの生き方であったと、まるで遺言のようなことを考えている自分に驚く。

 夕食に、焼酎のお湯割りを飲み、やっと気分を取り直して「再校正」の手直しに取りかかる。メールでやりとりできるから、ほんとうにスムーズにコトが運ぶ。今年の理事たちがほぼメールを使えるので、どれほど助かったことか。そんなことを考えながら、ファイルの復元を成し遂げた。もう2、3日寝かせて、「最終稿」のプリントアウトに取りかかる。

 さて今日は、本を読んで過ごせそうだ。

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