2019年3月21日木曜日

春分の春の嵐


 今日はお彼岸、春分の日。朝は雨であった。緩やかに天気は回復し、暖かい。恢復するにつれて、強い風が吹く。TVはサクラの開花予想で番組を飾る。部屋に風を通したくなるほど、気持ちがいい気温だ。


 「通常総会議案書」の第二稿の「校正」も順調に運び、会計報告と予算案を除いて、ほぼ全部原稿の点検が終了した。ページデザインも、若干の部分をのぞいて、うまく整っている。じつは、皆さんがワードで原稿を作成するから、私も一太郎ではなくワードを使い慣れようと、最終的にはそちらにそろえた。ところが、行替えをすると、勝手に番号がついてくる。おやこれは便利と、最初は思った。そのうち、上の方を直すと下の方が勝手に変わって、同じ番号が二度続いたりする。あるいは、行間が不ぞろいではないかと指摘を受けた。たしかに。だがなぜか、その部分だけ行が詰まってしまう。仕方なく、一度そのページの全部をテクスト保存にして保存し、改めて読みだしてワードの「新しい文書」に張り付ける。そうして、行頭や行間を整えたら、なnとかクリアできた。行頭番号をそろえるのも、結局一つひとつ書き換えるようにしなければならなかった。行替えシステムの「解除」をどうやるのかわからないのだ。なんとなく私自身がメンドクサくて、そのやり方を探索しようとしていないのが、一番のモンダイなのだが、ま、それも仕方がないと、自分で諦めている。

 それでも、頁番号を打ったり、天地左右の余白を切り替えたりすることが出来るようになった。ワードは英文を基本にしてつくられているからか、行間が違ったり、行頭がそろわなかったりして、手に負えないところも残った。ことに、わずかに頭がそろわない。半角にして動かしても、ずれが残る。1/4ほどのずれなのだね。いやだなあという気分が終始私の身の裡につきまとうが、デファクト・スタンダードというか、皆さんがワードを使うから仕方がない。何だか、日本語そのものまで変えられていきそうな気がしてならない。

 4月からの山の計画を立てる。これまでのように半年単位で「提示」して、お好みの山行にご参加くださいとやるのが、結局、脱落者が出てほんの3,4名になった。それとは別に、会員が立案して呼びかける「日和見山行」が月1で行われているから、私の立案する「山歩講」の山行にいかなくても、皆さんの意欲に触りはないのかもしれない。ならば、何もわざわざ、半年先の立案までしなくても、おおよその実施日だけ決めておいて、その前後の天気のいい日に行くようにすればいい。そう考えて、来月からは「トレーニング山行」と称して、6時間前後の山を計画することにした。

 山のプランをつくっていると、ああ、ここもいいなあ、あちらはよかった、もう一度行ってもいいくらいだと思ったり、ルートを変えて登ってみようと思ったりして、地図を眺めているだけで、時間を忘れてしまうくらいだ。まず6カ所ほどをセレクトして、同行する常連にメールする。すると、それを、4月と5月の平日に入れて、その前後で行こうと月日の設定が済む。それを受けて、今度は私が、アクセスの方法、時刻、行程表などを書き込み、常連のチェックを受けてのち、会員に流す。

 その展開のあいだに、次の6,7月向けの「トレーニング山行」をセレクトして、やはり常連に送る。そうする中で、常連さんから「武尊山にも行きたい」と要望が入る。ああ、あれはいいところだ。私は二度、違うルートをたどって、山頂に立ったことがある。車で入って、大きく集会して来るルートは6時間くらいだったっけ。それとも、7時間ほどかかったろうか。よしそれも盛り込もうと前向きになる。つまり、プランを建てている間は、まるで山を歩いているような気分が身の裡に湧き起り、身体を満たす。これが、メンドクサイと感じるようになったら、私の山人生は、そこで終わる。

 人生ってのもそれと同じで、次の一歩を考えている間は、気分も前向きに生きていける。そうか、次は何、その次は何と、次々と先を気遣う気性が、私の気の落ち込みを防いで、楽天的な歩みにしてくれていたのか。後ろを振り向かない。褒めたことかどうかはわからないが、もうここまでそれでやって来たとあれば、いまさら切り替えて、一つひとつ反省しながらという歩き方はできない。

 さて、明後日のseminarの準備もおおむね整った。もう少し、サービスするかと、何十ページかのプリントをするかどうか、今考えている。

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