2019年3月3日日曜日

私の平成時代(5)「不安」の中の「わたし」を生きる


 2/28に記した「遠近法的消失点」で、思いついたことがあった。彼岸に視点を置き、そこから現在の生者の自分をみつめるというのは、「公平性」とか「平等性」に関係している。一神教の人々が「神の前に皆同じ」とみるように、日本列島に棲む私たちは(記紀神話に起源を置いてみると)、自然の遠近法的消失点である「彼岸」に視点を置いてわが身をみるとき、「皆同じ」という感懐を懐いたのではないか。


 これは、現実の存在としては、数多ある差異や多様性、それらがもたらす格差や差別を、でも根底的には「皆同じ」であるという観念によって、後天的に、つまり社会関係的・歴史的に発生し、わが身に至っている由緒とみてとっていたように思う。それが、明治維新後に、ヨーロッパがもつ一神教的な精神的一体性を、日本のものとして再構成したのが、「天皇の赤子(せきし)」としての原点・「皆同じ」であった。これは、しかし、「彼岸」という「遠近法的消失点」とは異なる作用をする視点となった。なぜなら、現実の差異とそれのもたらす社会的格差を前提条件とする矛盾を持っていた。だから逆にいうと、「天皇の赤子」という「皆同じ」観念は、現実の差別や格差を隠蔽する作用をしていたのである。                                                                         

 隠蔽するというのは、記紀神話を構成した人たちが意図したことかもしれないが、あるいは、意図せずして、人の社会関係における強弱優劣の差異・格差は自然なこととみなしていたことであったから、受け容れる人たちの方も、ごく自然にそれを「わが出自に関する物語」として、単なる由緒由来と受け止めたのかもしれない。

 大事なことは、だから、みな平等であったわけではない、ということだ。原点としての平等性を観念としてもちながら、わが身の実存を見極める視点としての有効性をもってきていた。つまり、わが身の輪郭を描く支点を「皆同じ」という偏見に求めたといえよう。「偏見」というのは、わが身を「せかい」に位置づける超越的視点の幻想的(観念的)仮構点だからである。そのようにして私たちは、自らの裡に超越的視点を、いつしか持つことになり、代々受け継いできたのであった。

 この「天皇の赤子」という観念が(定めの前後はさておくと)明治以降の「四民平等」の観念にかたちをなし、臣民の(政治的)平等として定着し、社会においては(金銭の前に平等)という具体的なかたちで、市場社会において人々の振る舞いを決して来た。大正デモクラシー期を通じて、当人の努力によって如何様にも立身出世は適わないではないと考えられるまでになったのは、周知のとおりである。でもこのときの「皆同じ」は、今から振り返ってみると、出自や資産ばかりか、社会システムがもたらす諸要因に規定され、けっして「平等」「公正」を旨とするとは言えない様相を呈していた。この辺りで「皆同じ」の理念性が剥落し、実態的な「同じ」つまり「結果としての平等」を求める社会通念の形成になっていったのではないだろうか。

 ところが、敗戦後の「新憲法」によって、「民主主義」と「基本的人権」という「理念」が流れ込み、「公平」や「平等」が現実のもののように、想定されたことであった。小中高校とそれを教わってきた私(たち)にとってその「理念」は、憲法が「かくあるべしという目標」を示すものと受けとめられていた。つまり、「彼岸」ではなく、「新憲法」が現実社会のありようを見て取るときの視点・支点になったのであった。つまり「新憲法」が現実批判の起点となったから、単純に私たちは「現実の方が悪い」と理解したのであった。これは、「せかい」を理解するうえで、単純明快でわかり易かった。そのうえ、「国家権力を規制するのが憲法の基本的役割」という西洋流の「民主主義的法律観」は、文字通り私たちが主権を握っているような「錯誤」を与えたのであった。ここにパートタイム主権者という実態が隠蔽され、常時主権者であるような錯覚が定着した。つまり「皆同じ」という観念が、あたかも現実のものであるかのような感覚を生み出し、市場社会の「お客様は神様です」という顧客第一主義的なセンスが、いっそうそれを加速した。

 だが現実に私たちが「皆同じ」になったわけではない。だが「権利」として平等であるということが、「差異があってはならない(結果としての平等)」へと転轍され、遠近法的消失点に視点をおいて「世界」に己をマッピングするという、方法としての「観念」は、忘れられてしまった。まさに「われを忘れた」のであった。それに大いに貢献したのが、一億総中流という高度消費社会のもたらした、一般的暮らしの高度化であった。

 私たちの世代にとって「暮らし」というのはまず、「食べること」であった。それがいつしか、「おいしい生活」に代わり、「暮らしていける」が「楽しく暮らす」になった。そこには、社会的な響きをもった「食べる」「暮らす」が、自己中心的な「おいしい」「楽しい」に転轍された考え方の変化が底流している。社会的な響きというのは、まず己から発想しない。食べる/暮らすという根源的な(皆同じ)ところに視点を据えて考えている。ところが、「おいしい」「楽しい」は、じつはその前提に、なにが「(なにが)おいしいのか」「(だれが)楽しいのか」という好みの選別が挟まる。つまり、「おいしい」「楽しい」と感じる「わたし」って何? 誰? と問う疑問の前に、確定しなければならない「己」が前提になる。ところが、これが、どこからきたのか、どこへ向かうのか、わからない。「すき/きらい」も「たのしい/たのしくない」も、「皆同じ」ではないのだ。

 現実には、メディアを通じて操作された中の選別であったり、社会環境によって培われた感性・感覚であるにもかかわらず、「確固たる自分」があるかのように錯誤して(自分なりを)求める。しかも、メディアを通じて「世界に一つの花」などと己のことを考えるから、不確定な私の抱える「不安」はいや増しに増す。そういう「不安」の中に突き落とされた「せかい」にいて、「わたし」をつかまなければならない人たちは、文字通り「他人指向型」になり、いっそう「わたし」がとらえどころのないものに思われてくるのである。

 今の時代の若い人たちは遠近法的消失点をも見失っている。今の今を生きよと親鸞が言うとき、先を煩って不安に振り回されるよりは、いま生きている味わいを慈しみなさいという響きがある。その根底には、「彼岸」に至るまでの道は自力で拓けるものではなく、「祈る」ことによってたどるものだという観念がある。人は社会的関係を誠実に生き抜いていくほかに手はない。誠実に生きるとは己の実存を慈しんで過ごすことだと見極める視線が届いている。むろん生老病死という観念が先行する時代と、精一杯楽しんで自分を生きるのが人生という観念に溢れている時代とでは、同じように論じることはできないが、「じぶん」をどうとらえて「世界」に位置づけているかは、同様の次元で論じることが出来るのではかなろうか。(つづく)

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