2017年12月11日月曜日

廃業と解脱


 ミズ・グリーンからケイタイに電話があったと気づいたのは、後になってから。「お留守番」にメッセージが保留してあるというので、そちらに掛ける。
「あのね、ハマちゃんになんかあったんじゃないかって思うの。昨日も今日も、お店が閉まったままなのよ。」
 昔の同級生・ハマの異変を知らせている。ハマは浜松町でタバコと酒の小売販売店を長年やっている。私同様、後期高齢者。身体がゆうことをきかないと、会うたびにこぼしていた。この夏には救急車で病院に運び込まれ、ウィルス性大腸炎の診断を受け四日間の入院を余儀なくされた。そのとき体重が四一キロに減ったという。これはたいへんと、できるだけ食べるようにしていると言ってはいたが、すっかり骨皮筋衛門になってしまっていたから、元の級友たちは気遣っている。


 ミズ・グリーンに私の方から電話をする。近くを通りかかるごとにハマちゃんの店に立ち寄るのが、私たち同窓生の習わしのようになっていた。だからハマは、いわば東京の連絡センターの役を果たしてきた。彼女も習性のように立ち寄ったらしい。だが続けて二日、シャッターは閉まったまま。ハマの奥さん・ミコちゃんに電話を入れた。
「食べ物がのどを通らないって、食べようとしないの。もう三日にもなるわ。医者に行けって言っても、行っても同じだよと投げやりなのよ。」
 と困り果てている様子だとか。ミコちゃんも同窓生だ。
「あいつ、医者嫌いやからな。わかった、明日は予定が入っているからだめだけど、明後日、行ってみるわ」
 そう応えながら、これはひょっとすると、ハマちゃんとの訣れになるかもしれないと思っていた。

 でも様子を聞いておこうと電話をする。だが電話に出た声は、ハマちゃんに似ているが明らかに若い。あっ、息子んとこに掛かったと、自分の間違いに気づく。ハマちゃんは長年住んでいたマンションが古くなって建てなおしたのだが、出来上がった家を息子に譲り、自分たちはお台場の高層マンションに住むようにしていた。その古い電話番号を、私はケイタイに入れたまんまにしていたのだ。だが、息子に聞くのも悪くない。
「ハマちゃんが体調崩しているって聞いたんだけど、様子はわかる?」
「ハイ、医者にも見せたんですが、疲れが出たんだろうってことで、入院はしてないんです。」
「そうか、ありがとう。」
 いつものこと、それほど心配していない、という気配であった。息子って、父親に対してこういうんだよねと私の心裡のどこかで、親子のかかわりに頷いている。
 私も、父親が病に伏しているとは思いもしなかった三十三年前のことを想い起す。自分が家庭を持ち子どもを育てているときの父親というのは、自己像と言ってもいい。丈夫で自律的、家庭よりは仕事や社会的なことに夢中だ。カミサンに気づかいはするが、子育ては手伝う程度。同じように仕事を持っていたカミサンが良くやっていたなと思うようになったのは、子どもがすっかり成人したのちであった。つまり父親というのは、息子とはほぼ対等であり身近な他人。つまり一番身近な市民同然なのだ。だから自分が退職して年を感じるようになってから、初めて高齢の親父のことを想い起すことになったが、むろんその時すでに父親は鬼籍に入っていた。

 二日後の日曜日、家を出る前にハマちゃんのお台場の住まいに電話を入れた。ミコちゃんが出た。これから伺おうと思っていると話す。
「うん、いま寝てる。ほんとうはな、入院して点滴でもしてもろうた方がええんじゃないかって思うんじゃけど、行かんでええって言うんよ。これから来るん? ええよ。ありがとう。」
 と、もうすっかり亭主のことは、好きにさせるしかないとあきらめているような口調であった。

 新橋からゆりかもめに乗り換えてお台場へ向かう。二年前になろうか、ハマちゃんが入居したときに一度「新築祝い」と称して、他の同窓生ら何人かと一緒に訪ねたことがあった。ゆりかもめは、五年前まで勤めていた仕事先が有明にあって、使っていた。私などの感覚からすると、近未来的な人工都市と呼びたいが、もはや未来ではなくとっくに現実化している。ドバイの街を上空からみたとき、これぞ完璧な人口都市と思ったものだが、考えてみると、ゆりかもめの経路は砂漠が海に代わったようなものだ。武蔵野の森に囲まれた三鷹にあった勤務場所が有明に代わって、そこへ初めて行ったときは、海の上をぐるりと回りながら人工島へと向かう無人運転の電車と、無機質でいてかたちの特異さを競うような高層建築の林立に、圧倒されながらも、絶対に折り合えそうにない違和感を感じていた。ただこのときは週に一回、ひと仕事片づけて新橋で降りてからハマちゃんの店に行き、彼と近場の食事処で一杯やりながら話をするのが、愉しみであった。

 お台場海浜公園を降りてからの地理的感触を身体が覚えていた。道路をまたぐ回廊を越えると一階下にスーパーマーケットがある。そこで二人分のお昼と野菜ジュースとヨーグルトを買い、さらにひと階降りると道路に出る。交差点を一つ越えて左へ向かうと何棟もの高層マンションの敷地に入る。おおむね、憶えていた。入口で部屋番号を押すと、
「いま開けるわ」
 とミコちゃんの声がする。外へ出ようとする人、今帰ってきた母子連れが開いたドアから一緒に出入りする。エレベータは速い。降りて狭く押しつぶされそうな廊下をくるくると回り込んでハマちゃんの家にたどり着く。

 ドアを入ってすぐに感じたのは、軽いたばこのにおいと暑いほどの暖房。
「タバコ吸ってんだ」
「におう?」
「煙草屋まで吸わなくなったら、商売あがったりだよね」
 先月ハマちゃんにあったとき彼は、まっすぐなパイプをふかしていた。電子タバコというらしい。煙様のものも出ていたが、聞くと、ただの水蒸気。紙巻きたばこに代わって、近ごろ流行りはじめたという。だからうちの中の煙草臭は、それ以前に吸っていた紙巻きたばこのときのもののようだ。
 ハマちゃんはリビングのテーブルに向かって座っていた。伸び放題のひげが病み上がりの様子を湛えている。背中のガラス戸の向こうの陽ざしが、カーテン越しだのにまぶしい。その向こうに東京湾の海が見え、さらにその遠景に二頭のゴジラを思わせる骨組みの橋が架かっている。
「大丈夫なのか?」
「うん、もう大丈夫だよ。明日から仕事に出ようと思ってる。」
「食べられないっていうから、心配したよ。」
「食べてもね、受け付けないんだ、体が……。」
「すぐに吐いてしまうんよ」
 と、お茶を淹れながら、ミコちゃんが口を挟む。
「医者に診てもらった?」
「うん、診せたらね、やっぱり胃腸炎だっていうのよ。夏はウィルス性胃腸炎だったから、それが慢性胃腸炎になったとでもいうのかねえ。仕事をしてたら、ほんに突然よ、ふにゃふにゃと全身から力が抜けて、立っても座ってもいられなくなった。」
 と、力が抜けたようような小声でぼそぼそと話す。
「ほんでな。救急車を呼んで運んでもらったんよ。」
 とミコちゃん。
「先月のお伊勢参りがきつかったのだろうか。少しお酒も飲んでたからね。」
「いんや、あのあとの週は、ふだんより元気だった。悪かったのは今週になってから。四日よ。」
 と、ハマちゃんがぽつりぽつりと言葉を繰り出す。
「医者は何かあったら救急外来で来てくださいといって、入院をすすめなかった。病室が空いてなかったのかもしれないね。」
 そう言って彼は、明日から仕事に出ようと思っていると力なく言う。ミコちゃんは、手の施しようがないという顔つきでハマちゃんの顔をみている。私の顔をみて、
「いつ辞めてもええんよ、私は。でもな、やめて寝込んだらそれっきりになるんやないかと思うから、行こうと思うとる間は、行ったほうがええかもしれんしなあ。」
 とため息をつく。

 彼らの暮らしそのものが行き詰っているようには見えない。もう五年も前になるが、このお店は七十五歳くらいで切り上げると話していた。世紀が変わったころから開発が進んだのが新橋の山手線の南側、汐留地区。超高層の商業ビルが立ち並び、次いで超高層マンションが林立するようになった。それに伴って山手線の北側にある、新橋から彼の店のある浜松町にかけての、背の低い古い町並みも、再開発の話しが交わされるようになった。そうして2012年を過ぎようとしたころ、大規模開発のために古いビルを取り壊し、周辺の商業住宅地を巻き込んで再開発をする、そのため、ハマちゃんの店も近々、取り壊されて新しいビルに吸収されることになる、と近隣の商店会の集まりでも説明があった。ハマちゃんはそれを機に店をたたもうと考えていた。その説明会の予定が2017年の3月だったのだが、いつのまにかその話は立ち消えとなった。
「どうして?」
「東日本大震災かなあ、東京オリンピックかなあ。あれがあって、大手の建設会社はそちらの方で手いっぱいになった。それにさ、所有権が入り組んでいるこういう古い地区の大規模開発ってのはさ、大手のデベロッパーに加えて、その地区のやり手の世話役が必要なんだよ。ほらっ、なんとかのドンって言われるようなヤツね。それが亡くなってしまってね。とりあえず、東京オリンピックが終わってから・・ってことになっちゃったんだよ」
 と、店をたたむ話が先送りになったワケを推察する。つまり彼は、仕事を終わりにするきっかけを失ったというわけだ。そうしてずるずるとつづけている、という。

「でもそれは逆に、いつ止めてもいいってことじゃない?」
「そうなんよ、だからやめらんないんよ。倒れるまでやらなくちゃってわけ。」
 と、苦笑いをする。
「廃業ってね、人が死ぬようなもんでね、自分で決めるってことじゃないみたい。」
 とつづけるハマちゃんの顔は、悲壮というのではなく、恬淡とした境地に達した達観とでもいおうか、余計な贅肉もこだわりもそぎ落として、身軽になった心地よさを感じさせるような感触が漂っている。ふと、ラホール美術館だったかに所蔵されている断食ブッダ像を想い起した。たいていは苦行像と訳されているが、私はむしろ、苦行から解放された仏陀のイメージが強く印象に残る。密かに私は「解脱仏陀」として好ましく思っている。

 ハマちゃんも、解脱したか。そういうと、きっと、いやいや単なる行き倒れですよと笑い飛ばすに違いない。そういう力の抜けた彼と、ほんの一時間ばかり話して、暖かい陽ざしのなかを帰ってきた。

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