2017年12月13日水曜日
けっこう変化に富む九鬼山ルート
地理院地図には、このルートが記載されていないので、下見に行ってきた。山の会の来週のコース。行ってよかった。私自身の、方向音痴かと思うようなエラーもあった。もしこのまんまで、皆さんを案内して歩いていたら、会を閉じるほどの顰蹙もの。
変化に富んだ面白いルートなのだが、目標の九鬼山に到達するのに4時間もかかる。これでは、歩く気力が、すっかりへばってしまうかもしれない。逆に、下山した方から登ったら、2時間足らずで登頂する。それが最高峰。そこからアップダウンはあるが、今日私が歩きはじめた猿橋駅へ下るのではなく、大月駅へ、あるいは田野倉駅へ下るエスケープ・ルートがいくつも取れる。歩きながら、疲れ具合をみて、コースを変更するのもいいかもしれない。
でも、今日一番よかったのは、富士山。最初に見たのは神楽山の分岐に立った時。樹間に見事な富士山が姿を見せている。神楽山ではまったく見えない。次に見たのは、御前山に着いた時。この山はルートから少し外れて登る。上ると屹立した岩場の頂上。樹々がない。そうして、富士山が見事に雪を頂いて、雲を寄せ付けていない、きれいな姿をさらりと見せている。いやこれはいい。来週「これをみることが出来たら、九鬼山は上れなくてもいい」と皆さんに言ってもらえるだろうか。次にみたのは、九鬼山の山頂。もう13時になっていたせいで、東側に雲が起ちあがり、でも、樹間にくっきりと美しい形がみえる。さらにそこから10分ほどのところの富士見平で、やはり樹間にみえる姿は、さらに雲をまとっていた。そのあとに見たのは、九鬼山の愛宕神社方面へ下っているときの木々の間に、山頂に雲をまとった富士山。ちょっと残念。最後に見たのは、すっかり下山して、禾生駅への国道を歩いていたとき。民家の屋根の端に、富士山の山頂部が雲と一緒にちらりとみえた。
なんというか、富士山をみると、山に登った気になる。山梨県の人たちがそう思うかどうかは知らないが、関東の山を歩くと、ええっ、富士山どこ? と、ついつい姿を探す。そして見つけた時の、やったあという気持ちは、なぜか知らないが湧き起ってきている。体の自然である。
今日のルートで、追い越したのは一組二人。大月から菊花山を経て九鬼山へ向かっていた。すれ違ったのは、9人。一組は、大月から菊花山を経てお前山の方へ向かっていた、年配男性の二人組。御前山の手前から大月へ下る道がある。あとは皆さん、禾生駅から九鬼山へ登り、大月か猿橋へ向かっている人たち。そうそう、最後の九鬼山山頂直下で、8人ほどのひとパーティとすれ違った(と思う)。上へあがるのか山頂から降りてきたところなのかわからないが、登山道を塞ぐように屯して、おしゃべりをしていた。「はい、ごめんよ。通ります」と声をかけて、退いてもらいながら、通過した。とても印象的に「不快な」一群であった。ま、こういう人たちもいるのだね。私の山の会の人たちが、出逢う人たちにこのように思われていなければいいのだが、それは、わからない。
ともあれ、来週のコース変更は決まった。明日、皆さんに「直前案内」を出す。
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