2017年12月7日木曜日

小春日和の青梅丘陵山歩

 今日(12/6)はもっと冷え込むとTVは言っていたが、それほどでもないなと思いながら、通勤ラッシュの人たちに紛れながら電車に乗り込む。抜けるような青空。立川で青梅線に乗り換えても、乗客の混雑は変わらない。関東平野の西の端へ向かう人たちがこんなに多いというのは、驚きだ。私は本を読んでいたから気づかなかったが、あとで聞くと、富士山がきれいに見えていたそうだ。


 青梅で奥多摩行に乗り換える。さすがに人の数はぐ~んと少なくなった。一本あとの電車から乗り込んできたsさんが立川でほかの方々3人とはぐれたと気にしている。次の電車で乗ってきたaさんは、その3人に会わなかったという。sさんは発車間際までその人たちが乗ったろうかと気遣っている。電車は出てしまった。先に来ていたoさんが電車の先頭車両の方へ探しに行き、戻ってきて「4人乗ってる」と話す。これで全員。今日は、軍畑駅から青梅丘陵の稜線を歩いて青梅駅までのハイキング。mrさんをチーフリーダーとする日和見山歩だ。

 ところが、駅を降りてみると一緒に乗ったはずのotさんがいない。荷物だけは座席に置いてあったから持って降りているが、彼が降りてこない。電車が青梅駅を発車してから、立川駅で一緒であったsさんが乗っているか見に行って、そのまんま私と話し込んでいると思っていたらしい。こりゃ神隠しだねと笑うが、笑い事じゃないとsさんは悲痛な顔をしている。たぶん、外へ出たときにドアが閉まって締め出されたんだろう。次の電車は50分あと。いいよ、私が荷物の番をして彼と一緒に後を追うから、皆さんはチーフリーダーのsさんと先行してくれと話していたら、タクシーが一台、す~っとやってきて目の前にとまる。「あっ、来た」とどなたかが声を出す。タクシーからotさんが降りてきた。青梅駅でsさんが乗っているかと外へ出たとたんにドアがす~っと閉まってしまい、締め出されたという。仕方なく外へ出てタクシーを拾って追いかけたと、笑う。いや良かった。これで一緒に歩ける、と出発。9時10分。

 30分足らず舗装路を歩いて榎峠に着く。標高310m。冷えていた体も温まり、一枚脱いで身支度を整え、いよいよ青梅丘陵へ踏み込む。リーダーのsさんは、最高齢のotさんを先頭に立たせる。「あなたがペースメーカーよ。はい、先へ行って」と有無を言わせない。いつもならotさんにkwrさんがつづいてOKコンビとmrさんは呼んで、彼らについて歩くとへばらないと歓迎している。だが今日は、kwrさんは所用があって参加していない。標高495mの雷電山までの、杉木立の間の急な上りだが、皆さんは畑の話をしたりして楽勝ムードだ。10時、一休みする。

 そのあとまた階段の登りがあり、15分ほどで小高い雷電山に着く。過ぎに囲まれ見晴らしは利かない。東からの陽ざしがまぶしいなかを、辛垣山445mに向かう。落ち葉が散り敷いて心地よい平坦な稜線。辛垣山の先に「辛垣城跡登り口(急坂)」という表示がある。そちらへ踏み込む。一向に急坂にならない。青梅市教育委員会の「辛垣城跡」の説明看板が立つ。昭和30年に指定したそうだ。ここではじめて辛垣を「からかい」と読むことがわかる。垣を「かい」と読むのは「垣間見る」の例もあるから不思議ではないが、この城がたてられた中世の「からかい」という言葉がもつ意味は、いまとは違っていたのであろう。辛はかろうじてという使い方もある。辛苦を乗り越えて築造されたという心もちがこもっているのであろうか。あるいは「からかう」という言葉が平安のころには「押したり返したりどちらとも決しない状態で争う」という意味で使われていたそうだから、「争う(に足る)城」という思いを込めたのであろうか。この城を築造した中世の三田氏が北条氏に追われて埼玉の岩槻城に逃げ落ちたとあって、急に親しみがわく。そう言えばここは都県境のすぐ近く。もうひと山越えれば飯能市だ。少しばかりごつごつした岩を越えると高台と分かる。その向こうは、なるほど城をつくるにふさわしい急斜面が下っている。

 辛垣城跡を過ぎてすぐに、小さな、標高440m余のピークで「少し早いがここでお昼にします」とmrさんが声をかける。11時5分。彼女は1週間前に下見をしたが、そのときお昼をとるのに適当な場所がないことに気づいて、ここに定めたようであった。「下見のときは誰にも会わないので、怖かった」とmrさん。「何が怖かったの? 人? 獣? それとも道に迷うこと?」と尋ねる。「みんな。その全部よ」とmrさん。単独行の面白さは(たぶん)その「恐さ」にあると私は思っている。ただ人に出逢う怖さというのを(男の)私は知らない。女の人はいつもそういうたぐいの怖さにおびえていたというか、用心していたのかもしれない。ここは、ただの小さなピーク、ご正道は巻道がある。だが、私たちがお昼にしているのをみて、ここまで登ってくる人もいた。「ここは何ですか」「昼飯山」と応えて、笑いながらご正道へと下って行った。

 11時40分、出発。30分足らずで三方山454mに着く。三角点がある。ここを北の方へ回り込んで稜線はつづく。北側が開け、向かいの山肌の針葉樹林に色づいた茶色の黄葉が落ち着いて見え、手前のススキの白に生える。遠方の大仁田山や多峯主山の先に飯能の街が少し望める。イロハモミジの落ち葉が黄色く目を惹く。展望の開ける地点で、お昼の私たちを追いこしていった三人組が昼食をとっている。そこから、遠方の雲に身を隠すようにしている男体山がうっすらと見える。

 この青梅丘陵は、奥多摩線沿線のいろんな駅に下るルートがある。その分岐をみながら、石神前を過ぎた、日向和田の方だね、宮ノ平の分岐だよと表示をみながら歩く。宮ノ平の分岐が1時前。13時5分には矢倉台の東屋のところにいた。ここまで来ると黄葉が盛りにみえる。眼下に青梅の街が広がる。道が急に広くなる。「枝間の富士→」という表示がある。残念ながら、ず~っと遠方には雲が張り出して富士山は姿を見せていない。ここで「今朝はよく見えたのに」と聞いた。枯れ枝に薄い赤色の実がたくさん残っている。「まゆみ」と下の方の幹に名前が掛けられている。ノハラアザミが色を薄く残して冬薊という風情をみせている。落ち葉が散り敷いて快適な道だ。第一休憩所では東の方にうっすらと筑波山が姿を見せる。向かいの山肌の黄葉が陽ざしを受けてひときわ輝く。

 やがて舗装路に出合い、鉄道公園と地図にはあるが列車も電車も見えない。sさんが崖をのぞき込んで「お墓の方へ行ってもいいですかね」というから、「いずれ行く道だけど、急ぐこともないでしょうよ」と応えて何の冗談かと思っていたら、ショートカットする道の下にお墓があった。前を歩いていたotさんが後ろに下がってリーダーが急ぎ足だと目くばせする。mrさんは(たぶん)ウォーキング・ハイになっているのだろうと私は思った。ところが駅について、そうでないことがわかった。トイレを目指していたのだ。

 こうして、14時15分、駅に到着。久々に顔を見せたmzさんも歩き通し、満足気であった。

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