2017年12月6日水曜日

なにがつまらないのか


 朝(12/5)6時前外に出る用があり、空を見上げると向かいの建物の上に丸い月がかかっていた。暦で調べてみると12/4の「月齢は15.6」12/5は「16.6」とあるから、12/5の早朝のそれは16日の月とでもいえようか。右下の方が心もち凹んでいるような少し白味を帯びた月には、《月落ち烏啼いて 霜天に満つ》ごとき師走の風情が漂っていた。寒かった。


 歌舞伎座へ行った。十二月大歌舞伎は三部構成。夜の部は長谷川伸の「瞼の母」と夢枕獏の「楊貴妃」。「瞼の母」の番場の忠太郎と「楊貴妃」の方士をいずれも市川中車が演じるから、夜の部は面白そうであったが、夜の九時ころまで付き合うのが、だいぶしんどくなっている。そういうわけで昼の部に足を運んだ。「らくだ」と「蘭平物狂」の二幕。前者は落語「らくだ」の翻案もの。後者は定型化された演し物。前者が面白かった。

 「らくだ」に出演するのは6人いたが、もっぱら2人で演じる。死者らくだの友人というやたけたの熊五郎を片岡愛之助、紙屑屋久六を市川中車。ことに演じながら、酒を飲むにつれ様相が変わってくる市川中車は見事であった。じつは双眼鏡をオペラグラス代わりにもっていっていた。それで覗くと、いや見事に面相まで変わっていく。二人とも、いつもはTVで観ているから、そう感じるのかもしれないが、「らくだ」においては歌舞伎らしい発声法をやっているように思えない。むろん、声は十分通る。舞台の生でありながら、マイクで拾ったTVドラマの声と変わらない。

 しかも死んだラクダを背負ったりカンカン踊りをやったりする様は、落語で聞いていた様子を越えて、いかにもそれらしい気配を湛えて舞台としての命を吹き込んでいた。いうまでもなく死者のらくだの宇之助を演じた片岡亀蔵の、脱力してあっちへこっちへと体が投げ出されるような動きもあるのだが、いや傑作であった。こういう喜劇的なパフォーマンスの前に、「蘭平物狂」の定型化された動きは、敵うはずもなかった。これはみている私の目がお粗末だからなのだろうか。もはやこの定型では気持ちを引きつけることはできなくなっているのではないか。この両者の醸し出す気分の乖離は、何によるのだろうと私は思った。

 歌舞伎も、古いものを古いままに演じている分には、それとして価値を持つのかもしれない。江戸のころにこのような演出で行っていたろうかと思われる殺陣の場面は、なかなか見ごたえのある力技を見せていた。でも今風のアクションを見なれているものには、「昔日の定型」として慈しむ視線が、好意的な下駄をはかせているように思えてならない。保護的文化財として歌舞伎を観るというのでは、とても「らくだ」の喜劇的パフォーマンスに並ぶことはできないと、強く感じた。

 三部構成の毎月興業はたいへんなことであろう。「らくだ」が仕込まれていたということは、すでに「定型」から離脱する道を歩み始めているといえるが、でも「定型」をどうするのか。「かぶく」要素をすっかり捨てて「定型」が定型として護られるのだったら、つまらないなあと心裡のどこかがつぶやいている。

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