2018年8月1日水曜日

新右翼の哲学的限界


 鈴木邦男『失敗の愛国心』(理論社、2008年)を読む。どうしてこの本を手に取ることになったのかは、しかと覚えていない。内田樹の何かを読んでいるときに、参照図書に入っていたのかもしれない(とかすかに残る思いが浮かぶ)。


 鈴木邦男の名は、風変わりな言論右翼として、1980年代から耳にしていた。思想的に右とか左というのは、イデオロギー的な腑分けとして1970年頃まではよく使われていた。右というのは伝統尊重の天皇制主義者を意味し、左というのは革命志向のマルクス主義者と見立てはしたが、保守派vs革新派と対立させるとだんだん端境があいまいになり、保守派も革新派も同じ「近代主義者」じゃないかと(名づけている)己の立ち位置との違いをみるようになっていた。イデオロギー的な差異というよりも、ものごとをとらえている次元(深いとか浅いとか、今ここをみているのか何十年か先を考えているのか、どこに立ってものごとを観ているか)の違いなんじゃないか、と。

 だが右翼というのは(イデオロギー的側面もさることながら)、言論に拠らず直接行動によって「意志」を示すのをモットーにしている人たちと思っていた。つまり(観ている外側から言うと)、「意志」と「表現」が直結している。出来事となる「表現」はひとつだから、それが「意志」の「目的」なのか「手段」なのかも、わからない。コトを起こした後の「遡求」によって明らかにされる場合もあれば、そのまんま時の流れに埋もれてしまうことにもなる。ただ、「表現」したという事実が、海の中に頭を出す岩礁のようにポカリと浮かんで見えるだけ。それでも、海に沈んでしまって存在したかどうかもわからないままよりはいいと(行動右翼の当事者は)考えているのかなと、思うばかりであった。言論右翼というのは、言葉による自己表現をもっぱらにする。それを「行動」と考えると(右翼か左翼かというイデオロギー的な違いをもちはしても)、表現・言論活動と変わらない。つまり、鈴木邦男の「風変わりな言論右翼」とは(私にとっては)右翼とおもっていたのが、右であったという発見であった。

 この著書は理論社の「よりみちパン!セ」シリーズの一冊として上梓されている。このシリーズは「中学生以上すべての人の」と題されて、昔私が良く読んでいた本同様に、全編フリガナが振ってある。鈴木自身もそれを意識したのであろう、自らのたどって来た「右翼四十年」を振り返るように書き記している。その要を「愛国心」という言葉に要約し(四十年の出来事の間)、折につけそのキーワードに感じてきた感触を探っている。そうしていると、鈴木邦男の内面の自己漂泊になる。彼自身の内側から噴き出す抑えがたき衝動が、まずある。矢も楯もたまらず、時と場合も考えず、ある種の正義のように感じて、あるいはそこに何か正統性があるという衝動に突き動かされて、振る舞っている自分を、いつも感じている。それは、他の人々の同様の振る舞いに共振し、わが心が震えているのを感じていたたまれない。その切実さが、諄々と伝わってくる。そうか、これが右翼の核心かと「行動右翼」をみていた私が、得心している。だから鈴木邦男が「重信房子も右翼であった」と書き留めていることも、何の不思議もなく受け止めることができる。ことばを変えて言えば、大塩平八郎の陽明学のように「知行合一」「致良知」の内面の基点の感性を、彼自身が感じ続けてきた叙述である。

 だから彼も後半において、右翼も左翼もないと、人としての心裡における「知行合一」の真理性にたどり着いた気持ちを吐露している。だが、なぜそこまでに留まるのか。それが私の胸中に残された疑問であった。

 鈴木邦男は昭和18年、仙台の生まれ。私は昭和17年、高松の生まれ。吏員の父を持つのと承認の父を持つのとの違いはあるが、東京からの距離を考えると、たぶん文化的には似たような空気を吸って育ったのであろう。そして東京の大学へ進学する。自由を手に入れたはずが、やはりそこでも世の中の理不尽に出くわす。その都度自らを投機して、動きの中に身を投げ出すが、それを見ている自分をいまは言葉に置き換えている。その径庭も、場こそ違え、似たようなものだ。鈴木は「失敗の愛国心」という。それは、そのときどきの「投機」がわが身に跳ね返り、その振舞いは正しかったのかと問い続けることにつながる。その自問自答のたどる深まりが、彼自身の(いまの)核心に結びつているから、「失敗」と呼び、「それが道を開いた」とまとめる。

 そうなのだ。人は自分の感性や感懐の根拠を探り当てようとすることによって、どこから来てどこへ行くのかを(おぼろげながら)つかむことができる。だがそれは、教訓的に収める話ではない。「失敗も悪くない」などとまとめては、ただの身過ぎ世過ぎの処世訓になってしまう。いくら中学生向きに書いたとしても、処世訓にしてしまっては、「右翼四十年」をかけた重みが、多様性の大海に埋没してしまう。これが新右翼の哲学的限界なのであろうか。

 さらにもう一歩踏み込んで、彼自身の感性の起点に目を落とし(その拠って来る所以に目を移し)てこそ、延々と過ぎ去った過去につながる無明の闇がみえ、日本の伝統的な文化の醸してきた気風に身をゆだねる地平を垣間見ることになるのではなかろうか。あまり持ち時間はないが、私もそこへ行き着きたいと願っている

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