2018年8月26日日曜日
よく体を動かすという献身性
今日は防災訓練。17地区自治会の200人ほどが集まって、なかなか盛況であった。
昨日、総務係の私は「前日準備」のために避難所へ行った。集合時刻の15分前に着くように行ったのに、すでにブルーシートは広げ置かれ、位置調整をしている。気が早いというか、「(集合時刻を)決めた意味」を無にするような振舞いが、ここでも幅を利かせている。それでも、打合せのときに配られた「マニュアル」に則って、シートとシートの幅は1m20cmと、メジャーで測かる人がいて、動かす。大きなシートだから四人がかりで動かさないと皺になる。こうして、置いたシートを養生テープで止めていく。むろん私も、一員として作業をしている。ところが、タオル鉢巻の職人風情の60年配が、「ここ広すぎるよ」と言いながら、勝手にどんどん配置を変えてしまう。この人、何なんだ? と私は思うが、他の人たちは黙ってそれに従う。メジャーで測っていた若い人も、文句も言わず、付き従って引き続き仕事をしている。私は(なんだ? こいつ)と思うから、それ以降は鉢巻おやじの動きをみているだけにした。この人のことを、Yさんと呼んでいるから「マニュアル」の欄を見ると、総務班の班長のようだ。なるほど、古いタイプのヒトだと思う。率先垂範、身体を動かすことを厭わない。総務班という役員の長なのだから、どんな仕事がどうあって、誰が何をやるという采配を揮えばいいのに、そうはしないで、黙々と自分で動く。体育館のシートも、1m20cmという距離は役所のデスクワーク。その幅をとると設計図通りに体育館が使えない。鉢巻おやじの手直しした方が間違いなく使い勝手がいい。つまり、勝手知ったるこの人がやることが理に適っている。
2018年8月24日金曜日
見えない世界のぶつかり合い
マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書、2018年)を読みはじめた。この著者は1980年生まれのボン大学教授。今風に言うと、アラフォーの哲学者。新たに哲学を考えるとして、本書を著したと意気込みを語る。これまで幾多の哲学書を読んだが、「哲学を哲学(勉強)する」ものが多く、それはそれで、なるほどカントはそういうことを言っていたのかとか、現象学ってそういうことだったのかと、リライトされた物語を読むような気持がしていたものだ。「哲学する」こと、言葉を換えて言うと、ものごとを自らに引き寄せて考えることはエッセイのような形で提示されるものが多かったと思う。このアラフォーの研究者は、それに正面から挑んでいる。
2018年8月23日木曜日
屹立する外輪山
富士山の西側にある毛無山に上った。富士山を大きく取り囲む御坂山塊の山脈続きにある。静岡県と山梨県の県境。富士宮市の麓に車を置き、山頂へ向かう。1946m、標高差1100mほどの登降だ。振り返って思うと、大きな岩山である。そこに土がつき木が生い茂り、高さ1700~1900mの外輪山をなしている。その山並みの西側は山梨県が大きく南へ割り込んでいて、南北に富士川が流れ、5月に登った七面山のある身延町や早川町と南アルプスが峰を連ねる。
無心が自省の原点か
アジア大会がTV画面をにぎわしている。新聞の紙面も、日本選手の金メダルにだけ関心を示し、それ以外は成績さえ報道しないという報道ぶり。しかも、中国が金メダルを取った種目は紙面にも掲載されない。なんとも面妖な「報道ぶり」と思う。別に公平・公正にというのではない。競技の神髄に迫るというか、競技者が自身の身体にぎりぎりの磨きをかけたところに焦点を当てて競技をみる目を養いなさいよと、いつも思う。日本ファーストとでもいうようなナショナリティの称揚は、もうそろそろ卒業してもいいのではないか。
2018年8月21日火曜日
避難訓練
今週末に、私の暮らす地区を含む「避難訓練」が行われる。団地の自治会役員をしているので、約付きで顔を出すことになる。だが生憎、その準備打合せの日に団地の修繕専門委員会があり、私はそちらを優先しなくてはならず、代わりに自治会副会長が出席して話を聞き、「資料」をもらってきた。
2018年8月19日日曜日
私の「Q」
芹沢健介『コンビニ外国人』の紹介記事で、「日本は移民第4位」というのを見て、? と思った。ドイツ、アメリカ、イギリスに次いで日本の移民は世界第4位である(と国連調査にある)らしい。どういうことだ?
2018年8月17日金曜日
ノモンハンに思う護るべき「祖国(くに)」
8月15日のTV放送、NHKスペシャル『ノモンハンの真実』を観た。山から帰ってきた日で、夕食のとき焼酎のお湯割りを二杯も心地よく呑んでご機嫌だったので、途中で眠ってしまうのではないかと心配していたが、75分間、気持ちが持続した。
2018年8月16日木曜日
山上の緑陰散歩
昨日(8/15)は「雷雨予報」のない晴れ。師匠のお誘いに乗って御嶽山へ足を運んだ。レンゲショウマを見に行こうというわけ。お盆だからなのだろうか、青梅線の御嶽駅で降りた人の数は尋常ではなかった。ホームから改札へ向かう階段のところで大渋滞、駅前の交差点の信号が変わる寸前に渡ったせいで、臨時便のバスに乗れた。ちょうど「レンゲショウマ祭り」が開かれている。なんと、9月上旬ひと月半もの間だが、この花はそんなに長持ちするのだろうか。
2018年8月13日月曜日
気軽さと不安とネットワークづくり
公共的なネットワークと市場に任せる交換の間に、どうしても欠かせない「かんけい」が挟まっている。ご近所付き合いというやつ。いつかも記したが、私は「放っておかれる自由さ」が心地よいと都会暮らしに馴染んできた。それは逆に、隣人に対して「関心を持たない自由さ」と抱き合わせであった。友人や知人に対しても、深く踏み込まない。そちらから送ってくるメッセージは心に留めておくが、こちらからあれこれ穿鑿して訊ねたりしないのを旨としてきた。だから世間話というやつが苦手だ。
2018年8月12日日曜日
迷惑をかける/かけない
「やっぱり、迷惑を掛けたくないって思いますからね」と話すのはAさん。私は「なに言ってんですか。迷惑をかけるなあと、負担に思ってもらいたいんですよ、私は」と返したのだが、果たしてそれで良かったのかどうか。日を追うごとに私の応対は間違っているんじゃないかと思うようになってきた。いま、団地の交代制でやっている役員(理事)が、いくつかの事情でうまく回らなくなっている。その対応策の話しだ。
2018年8月11日土曜日
「かんけい」を見極める視線
日大のチアダンス部のパワハラが問題になっている。これは、これまでとりあげられたレスリングやアメフト、ボクシングなどとはちょっと違うと思うのだが、報道のニュアンスは、ほぼ同じ。しかも、日大は早々と顧問を解雇してコトを始末しようとしている。なぜこれまでと違うと思うのか。
2018年8月10日金曜日
隠されている鏡の背面
暑さが戻ってきた昨日、テンギズ・アブラゼ監督『祈り』(ジョージア映画、1967年)を観る。「祈り三部作」の第一部という売り出しだから、この一作を観ただけで評価を決め付けるつもりはないが、まるで象徴的な物語の劇画をみるようなつくり。モノクローム、観ている私の脳裏に「戦艦ポチョムキン」という映画が思い浮かんだが、ポチョムキンほど登場人物の内面は描き出されていない。
2018年8月9日木曜日
干天の慈雨、炎天の慈涼
台風が来て、一昨日から昨日、今日と、久々の雨。まさに干天の慈雨。そればかりか、北東の風が吹き込み、これまでの暑さがウソのように涼しくなった。夜、西向きの小窓を網戸にしておいたが、夜中に冷え込むような気がしてタオルケットに潜り込んだ。午前3時ころ強い風の音に目覚め、おお台風の風だとぼんやり思い、秋が来るときの気配だなと思いながら、また寝込んだ。そうか、立秋は7日であったか。
2018年8月6日月曜日
三か月目の峠に差し掛かる
今日(8/5)午前中、8月の管理組合定例理事会が開かれた。6月初めからはじまり、なんとか3ヶ月目の峠に立った。2時間半の会議によって、決めることは決めなければならない。来月の会議までに必要なこと、半年先までに必要なこと、来年の通常総会までに必要なこと、と思いを巡らす。
2018年8月4日土曜日
体に沁みついた体質の♯Me-too
アマチュア・ボクシング連盟の「強権的運営」がやり玉に挙がっている。レスリングやアメフトにつづき、♯Me-tooが噴き出しているのかな。TVを中心とするマスメディアに代表される世間の風潮が、「告発者」を勇気づけているように見える。
2018年8月3日金曜日
異常が平常になる臨界点
今日も炎暑。37度と最高気温を数値にするが、35度と聞くと、おや涼しくなったと思うほど、身体が馴染みはじめている。なにしろ、こういう暑い日々が、梅雨明け以来、ここ一カ月以上続いている。山に入って歩いている方が、汗はかくが、心もちは涼しい。じぶんの身体が動き、その熱が汗に変わるというのは、動的平衡というか、内と外が響き合って達成感にもつながる快感をともなう。だが、平地にいるときのこの炎暑は、ことごとく外的な熱が取り囲み、静かに暮らしている私に襲い掛かる外圧としか感じられない。相互の「関係性」に組み込めない。
2018年8月1日水曜日
新右翼の哲学的限界
鈴木邦男『失敗の愛国心』(理論社、2008年)を読む。どうしてこの本を手に取ることになったのかは、しかと覚えていない。内田樹の何かを読んでいるときに、参照図書に入っていたのかもしれない(とかすかに残る思いが浮かぶ)。
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