2018年8月13日月曜日
気軽さと不安とネットワークづくり
公共的なネットワークと市場に任せる交換の間に、どうしても欠かせない「かんけい」が挟まっている。ご近所付き合いというやつ。いつかも記したが、私は「放っておかれる自由さ」が心地よいと都会暮らしに馴染んできた。それは逆に、隣人に対して「関心を持たない自由さ」と抱き合わせであった。友人や知人に対しても、深く踏み込まない。そちらから送ってくるメッセージは心に留めておくが、こちらからあれこれ穿鑿して訊ねたりしないのを旨としてきた。だから世間話というやつが苦手だ。
ご近所の方が大腸がんの手術をして二十日ばかり入院したと(たまたまの立ち話で)聞くと、いつどこの病院で手術はどうだったか、予後はどうかを訊きなさいよと、カミサンはいう。そういう世間話は、話しの中身ではなく「関わり」の感触を身体に残す。その感触が「関わりあいのニューロン」であり、その記憶の蓄積が「ご近所付き合い」だ。それを「ご近所」の双方向的に表現したものがコミュニケーションと言えるだろう。何かあったときの相互扶助につながる。それを抜きにしてシステムをつくっても、「関わりあいのニューロン」が育っていなければ、システムは動かない。
この「ご近所付き合い」を意図的につくっていかなければ育たないというのが、この28年間の団地生活で(28年目にして)私が学んだことだ。でも、どう意図的につくるか。
前から読んでも後ろから読んでも「カイダンコンダンカイ」。「階段懇談会」というのは、どうか。
「役員」を選ぶ基礎単位が階段だ。9戸ないし10戸ある階段の「役員」が輪番持ち回りで交代する。ところが28年も経過するのに、階段であった時に挨拶するだけ。立ち話をしたのは上の階の、一昨年自治会長をなさった方。その方の提起した「役員の交代制」に関する「議題」を引き継ぐようにして昨年の自治会長が継続審議し、それが何の説明もないまま、今年の私たちに引き渡された。その「検討を始めた」と「理事会ニュース」に載せたのを彼が読んでいて、「頑張ってください」と声をかけてきたことから世間話がはじまったわけ。その「階段懇談会」を呼びかけるのは、階段理事しかない。つまり今年の階段理事が話を投げかけ、年に一回でいいから、階段懇談会をもって次の年度の役員に「お役目」をお任せする。それくらいのことは、してもいいのではないか。顔を合わせて役目を依頼するというのは、任される方も気合が入るのではないか。
とりあえず、不在所有者については「現住者に代理を依頼すること」とし、現住者については、「階段懇談会」を開いて、年度の役員を確認するという仕組みを作っておくのはどうだろうか。こうすれば、どなたが来年の役員はムツカシイか、階段の皆さんにはわかる。事情が分かり、それじゃあ(来年は)代わりましょうと話しがすすむか進まないかはわからないが、まず、それくらいはやってみてもいいと思う。
今年の役員交代の声がかかったのは12月。1月末の日曜日に「次期役員候補」が集まって「役割分担」を決めた。2月から、「次期役員候補」のうち4人が「現理事会・自治会役員会」を傍聴することになった。それが4カ月つづいて、「通常総会」で新役員が承認され、その翌日から今年度の役員会が始動し始めた。それだけ長い助走があったから、理事長を引き受けた私も、一年間の運営イメージをつくり、主要役員と事前に何度か、いくつかのことで打ち合わせをし、通常総会の承認を待たずに「準備理事会」というのをもって、スタート態勢を整えた。
となると、12月~1月の間、次期役員に声をかけるときに「階段懇談会」を呼びかけ、階段毎の集まりを開いて、管理組合と自治会のことを話し合い、次期役員を確認するという「儀式」を行うのはむつかしくない。そういう方法を提起して、「役員交代制」のモンダイに取り組む初年度の回答としてはどうだろうか。
そういうネットワークづくりが、次の一歩だと思う。
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