2018年8月21日火曜日

避難訓練


 今週末に、私の暮らす地区を含む「避難訓練」が行われる。団地の自治会役員をしているので、約付きで顔を出すことになる。だが生憎、その準備打合せの日に団地の修繕専門委員会があり、私はそちらを優先しなくてはならず、代わりに自治会副会長が出席して話を聞き、「資料」をもらってきた。



 なんとその「資料」が、三冊、A4判で百ページ近くもある。さいたま市が作成した「避難所運営マニュアル」が49ページ。区役所の作成した「避難所一斉開設訓練」「避難所運営訓練」がA4判で30ページほど。そして実施地区の「○○小8ページの学校避難所運営委員会次第」という要項である。「運営委員会」というのは関係地区の17の町内会や団地自治会の代表で構成される。総務、情報、救護、食料などなどの役割の分担も明確、組織図も指揮系統も、きっちりと整っている。システムだけはいつでもしっかり整える日本の官僚のデスクワークのみごとさをみるようだ。

 「訓練」ではあるが、二百人を超える参加者があり、避難所になる小学校の体育館の「地区配置図」は、周囲との間隔を2メートルとり、ブルーシートを敷いて区画してする。そのシートを敷くのを前日に役員が集まって行うというのが、ま、ちょっと「お笑い」であるが、震度6の地震が訓練当日の午前九時に起こり、十時には集合して、避難所登録、割り当て、炊き出しや救護、マンホールトイレ、簡易トイレの設置など、「次第」が決められている。百ページに及ぶ三冊のパンフレットに目を通すだけで、すっかり「避難はかく行われる」というのが目に浮かび、感心してしまった。

 というのは、いまから二十年近く前になるが、私の務めていた学校が避難所に指定され、年長者であり、かつ交通機関が途絶えた時にも徒歩で来ることができるという理由で私が、「責任者」になったことがあった。その時のやりとりを思い出した。「責任者」ではあるが、避難所の差配は全て行政官が行うから、学校施設の使用も備蓄庫の開閉もすべて外から来た行政官に任せてくださいというのが、なにをいっているのかわからなくて、文句をつけたことがあった。「行政官って、どこのどういう行政官だ?」という問いに、校長も答えられなかった。「責任者って何だ?」と質したが、これにも校長は「いや場所の管理責任てことですから、名前だけ。いてくれればいいんですよ」というだけで、あった。当時の私は、ま、その現場になれば、「場所の管理責任」てことだけでも、やるこ分かるだろうくらいに考えて、引き受けたことがあった。

 その時の、「行政官に任せるすべて」がふた昔のときを経てどっと押し寄せてきた感じだった。考えてみると、二十年前の「避難場所」設置は阪神淡路大震災を受けて考えられはじめた、文字通り机上図式であった。まだ行政の方でも手掛けたばかり。それが今回は、東日本大震災を経過することでわがコトとして、想定されている「避難訓練」だ。すっかり図式は整うことになったと言えそうだ。

 だが実は、小学校に避難するのがいいのかどうか、現実問題となると、わからない。「大洪水が起こったときには使えない避難所」というのにも「大洪水のときでも使える避難所」というのにも、どちらにもわが地区の小学校は含まれていない。元は田圃。標高は8メートルくらい。我が家より少し低いくらい。わが家は古い町名が「井沼方」、昔の湿地を埋め立てて住宅地にしたところだ。だがわが団地は地下の岩盤に届くまで杭を打ち、躯体を支えている。築後28年を経て、地盤沈下で周りの盛土は沈み、躯体が十センチほど浮き上がったようになってはいるが、建物自体はしっかりいている。つまり、大地震や大洪水のときにわが家に立てこもったほうが良いのか非難したほうが良いかと自己判断を求められたら、私は迷わず、我が家に留まる。我が家が住めなくなるほど倒れたり潰れるときは、この小学校だって起ってはいられまい。たぶんわが団地の外の方々もそう思っているに違いないから、「避難訓練」に力が入らない。

 でもまあ、大きな町内会集団の地区の一角にあるから、「お付き合い」で参加するわけだが、いざというときは、「お付き合い」は水と食糧のおすそ分けをどう頂戴して確保するかだけになるのではないか。そんなことを思っている、ぶり返した暑い夏の日である。山にでも避難したいね。

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