2018年8月23日木曜日

無心が自省の原点か


 アジア大会がTV画面をにぎわしている。新聞の紙面も、日本選手の金メダルにだけ関心を示し、それ以外は成績さえ報道しないという報道ぶり。しかも、中国が金メダルを取った種目は紙面にも掲載されない。なんとも面妖な「報道ぶり」と思う。別に公平・公正にというのではない。競技の神髄に迫るというか、競技者が自身の身体にぎりぎりの磨きをかけたところに焦点を当てて競技をみる目を養いなさいよと、いつも思う。日本ファーストとでもいうようなナショナリティの称揚は、もうそろそろ卒業してもいいのではないか。


 水泳の、400m自由形の決勝を観ていて、ちょっと面白いインタビューを観た。レースが始まってすぐに江原騎士という選手が飛び出した。その速さがすごい。150mへ向かうところでは、世界記録を示す画面の線が江原の足元にある。身体ひとつ抜きんでているのだ。これは速すぎるのではないか。彼の隣の中国のSUN Yangも、WRライン前に手が出ている。さらにその脇の荻野公介の方が、力を矯めて、最後の追い込みにかけているようにも見えた。江原も疲れが出てきたのか、SUN Yangに追い抜かれ、萩野との2位争いになったが、なんとか逃げ切ったというレース展開。面白かった。

 その後のインタビューで「SUN Yangの追い込みをどう意識していたか」と問われたのに対して、江原は「えっ」としばしわが身の裡をのぞき込むような沈黙をして、「いや何も考えていません。これから後でよく考えてみます」と応えたのが印象的であった。

 そうか、そうだろう。泳いでいるときは「無心」なのに違いない。だが「後でよく考えてみます」と言ったのは、つまりレース運びという「戦略」を俺の身体はどう考えていたろうという思いを込めて、振り返ろうと思ったのであろう。それは、ちょうど人が自己を対象化して自画像を描くような、自省の原点に立つ行為と思えたのだ。

 ぎりぎりのところにわが身を追い込んで無心となったのちに、自省の原点に立つ。これはちょうど、瞑想状態を通して自己へと至る道筋と同じだ。すばらしいではないか。騎士という名前を「ないと」と呼んでいたのも印象的で、覚えていた。メディアも、こういうことに着目して報道してもらえると、アジア大会ももっと面白くなるのだが。

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