2018年8月19日日曜日
私の「Q」
芹沢健介『コンビニ外国人』の紹介記事で、「日本は移民第4位」というのを見て、? と思った。ドイツ、アメリカ、イギリスに次いで日本の移民は世界第4位である(と国連調査にある)らしい。どういうことだ?
国連は、観光客など短期滞在者を除いて1年以上の滞在者を「移民」と定義しているという。ヨーロッパで18%を超えたと話題になるのは「移住者」だ。つまり定住者として受け容れられている人たち。当然定住にきつい国は「移民」が多くなる。それでもドイツやイギリスでは移住者が2割になるかどうかが(ちょっとニュアンスが違うがアメリカでも)論議の対象になっていたから、それとは別に「移民」が何百万かいるということになる。ところが日本は基本的に移住者を受け容れていない。にもかかわらず、250万人もの移民が暮らしているというのだ。人口の約2%。この数字をみて私は、日本の外国人論議は移住者も移民も一緒くたにしているんじゃないかと、私自身の受けとめ方を振り返って思った。
小渕首相のときだったと思うが、21世紀の日本の「課題」を総覧する会議の答申を公表したことがあった。そのひとつに、少子高齢化と労働力の減少に対処するのには毎年60万人の外国人労働者を受け入れ、それを50年続けることによって3000万人とすることによって、やっと「現状」を継続できるとあった。当時すでに、電車の中の中国人の傍若無人なおしゃべりやイラン人の若い男たちの群れに(なぜか)威圧を感じていた私は、外国人が増えたなあと思っていたのだったが、「毎年60万人」という数字に、驚きを隠せなかった記憶がある。
さて芹沢がいう「日本の移民」は、その大半が「技能実習生」や「留学生」。これは安い労働力として働き、きつい労働に彼らが逃げ出さないようにパスポートを雇用主が預かる「ブラック労働」として、ときどき報道されている。タテマエとホンネの違いを平然と見過ごして、そのギャップの始末を弱い立場の方へ押し付けている。その報道に接するごとに、そうした事態(があること)を承知していながら、タテマエを掲げて、労働力不足という事態に正面から向き合おうとしない為政者の怠慢を感じ、日本て駄目だなあと中央政治の堕落を思ってきた。戦前の「国柄」ともいうべき日本人の体質が少しも改善されていない。敗戦を体験しながら、そうして戦後73年にわたる「日本国憲法下の民主主義」すなわち「人権」を体感していながら、一向に変わらない体質の文化。なぜなんだろうと、戦中生まれ戦後育ちの私の経験は疑問を懐いている。これが私の「Q」だ。
TVのニュースを見ていたら、トランプ支持者の集会に「Q」と書いたプラカードをもっている人がたくさんいるのが目に付いた。「QAnon」というのもある。エコノミストの吉崎達彦氏によると《「Q」はネット上でじわじわと拡がってきた陰謀論を信じる人々の集まりで、正式には「Q Anon」(キュー・アノン)と呼ばれているグループのことだ。Q AnonのAnonは匿名を意味するAnonymousを省略したものだそうだが、基本的にかなり過激な陰謀論を展開しながら、SNS上で自然発生的に拡がってきた運動体のようだ》という。じぶんの支持者以外はみな何がしかのフェイクを仕掛けてくる陰謀論者とみなすトランプにふさわしい援護者のようだ。私の「Q]とは、まったく趣が違う。
その「違い」は何かと考えていて気づいた。わが身の裡を通過させるかどうか。もう少し厳密に言うと、わが身に帰結するかたちで問いを発しているかどうかではないか。トランプ支持者の「Q」は外部に敵を見つける「陰謀論」であり、「フェイクニューズ」だ。だが私の「Q」は、わが身に対する問いかけだ。むろん為政者というのは私の身の裡にはないことだが、彼らの振る舞いは(たぶん)それほど私自身の身と変わることはあるまいと思って「Q]を発している。その帰結は、間違いなく私自身の戦後過程を総括するようにわが身に突き刺さってくる(はずだ)。
外へ吐き出すように提示される「Q」は、それに対する異論を受け止めるとき、自らに突き刺さってくる。だが「異論」をことごとく「フェイクニューズ」と斥けると、全く自分に跳ね返ることなく、風景に消えていくことになる。これは「人間とは何か」という問いさえも内発することなく生きている人の姿ではないか。う~ん、近代の典型的問いにすら肩透かしを食らわせてしまう「Q」も、すごいって言えばすごいなあ。こいつもまた、どうしてこうなったのだろうと、私の「Q」はまた広がる。
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