2018年8月9日木曜日

干天の慈雨、炎天の慈涼


 台風が来て、一昨日から昨日、今日と、久々の雨。まさに干天の慈雨。そればかりか、北東の風が吹き込み、これまでの暑さがウソのように涼しくなった。夜、西向きの小窓を網戸にしておいたが、夜中に冷え込むような気がしてタオルケットに潜り込んだ。午前3時ころ強い風の音に目覚め、おお台風の風だとぼんやり思い、秋が来るときの気配だなと思いながら、また寝込んだ。そうか、立秋は7日であったか。


 こういう季節の移ろいで、また騙されてしまう。6月末に梅雨が明け、その後ひと月半ほど、延々と炎暑がつづいた。30度と聞くと、おっ今日は少し涼しいなと思うほど、感性も鈍く変わりはじめている。亜熱帯になったと言っていたら、北海道出身の隣人が「こちらに出てきた時に、関東って亜熱帯だと思いましたよ」と、私の身体内奥の「発見」を簡単に一蹴してくれた。そう言えば、若いころ四国へ連れて行った埼玉の高校生が、冬の2月というのに桂浜で海に入り、はしゃいでいたっけ。彼らにとっては、赤城颪の吹きすさぶ関東平野に較べれば、「南国土佐」が実感だったのだろう。それくらい人の感性は比較的に感受反応し、慣れて比較規準が変わってくると、逆に容易に適応してしまう。

 茹でガエルを嗤う話があるが、それは適応のかたちであり、それなくしては日々苦しみに悶々とするほかなくなる。比較基準が身に馴染んで蒸発していくというのは、苦しみから身を解放する適応能力だった。その認識的根柢に、「忘れる」という能力も培われてきたのかもしれない。その(忘却
能力の)累々たる蓄積が、そこそこ心穏やかに暮らし続ける類的属性をかたちづくってきた。そのひとつの論理的到達点に親鸞の「他力本願」もあったのかもしれないと、いま思う。

 そう考えると、環境への適応という才能は、知的に環境を作り替え、人類史的に発展するようになることばかりでなく、自然の変転や気候や習俗や制度という「環境」に感性を鈍くする適応も含めて、心地よくやりすごせるようにして、私たち人類は今に至ったのではなかろうか。鋭く反応するのがきつすぎて身を滅ぼしてきた先達たちのことを思うと、身につけてきた(一見マイナスと思われる)旧来の陋習に馴染んでしまう才覚をも、価値的に評価してみつめる視線が、案外大切なようにも思う。

 近頃の情報があふれる時代に適応するために、子細に目を通さず、見出しだけをみて(あとは自分流に理解して)やり過ごす「適応」のかたちも、「環境」に主体的に向き合うことがないと、どこか根柢的に思っている庶民にとっては、案外、生きのびる智恵なのではないか。あるいはまた、古い観念にしがみつき、それを固持して手放そうとしない振る舞いも、バカにすることではなく、類的に一進一退しながら探っている適応のかたちかもしれないと、わが身の裡を眺め降ろしているところである。

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