2018年8月17日金曜日
ノモンハンに思う護るべき「祖国(くに)」
8月15日のTV放送、NHKスペシャル『ノモンハンの真実』を観た。山から帰ってきた日で、夕食のとき焼酎のお湯割りを二杯も心地よく呑んでご機嫌だったので、途中で眠ってしまうのではないかと心配していたが、75分間、気持ちが持続した。
昨年5月にモンゴルの東部の町チョイバルサンへ鳥観の旅をした。鳥観もさることながらこの町がハルハ川の西部に位置し、「ノモンハン戦争」の(モンゴル軍の)出撃拠点であったことを、いまも残された戦勝史跡で知った。日本では「ノモンハン事変」と呼ばれ、教科書でもそのように記述しているが、その呼称自体がコトを隠蔽する軍の体質を如実に表していると、改めて思った。
番組の紹介をする新聞のTV番組面では、《暴走許した無責任体制・情実人事・情報軽視の末に太平洋戦争に突入、自決を迫られた部隊長発見! 軍幹部が語った150時間の肉声テープ》と簡略にまとめている。
昔私が読んだ「物語り」では、遊牧民であるモンゴルの民にハルハ川周辺への立入を禁じたため(モンゴルの)反発を受け、小さな小競り合いがソビエト軍をも巻き込んだ「事変」になったというものであった。しかし番組では、関東軍による明らかに意図的な(争っている相手を無視した)拡張があり、ソビエト軍への軽視があったことが明かされる。1939年、日本軍は(関東軍も参謀本部も)調子に乗っていたのだ。辻政信の描く「構図」も、構築主義的な独りよがりであり、その作戦が効果を顕わさないのは実行部隊の敢闘精神が欠けているからと現場に押し付ける。戦闘の敗北を機に自らを振り返ることはない。
情報がもたらされながらも、それに蓋をして、彼我の戦力の比定も行われていない。たぶん、構築主義に馴染んでいない(状況反応的に動いてきた)関東軍や参謀本部の将校たちにとって辻政信の提起する「作戦」は、反論する術のないものであり、人脈に支えられた辻を抑える考えすら思い浮かばなかったように見える。私がこういうのは、私のカミサンの父親がニューギニアの戦線で「戦死」しているからだが、のちにその戦線の状況を知るにつけ、武器弾薬ばかりか糧食の補給という兵站をまったく考えていない(現地調達という)戦略にあったことに、驚きあきれるほかなかった。これは送り出した軍人軍属を使い棄てにするようなものであるし、通過する現地を奪いつくすようなことだ。それと同様の事が、太平洋戦争がはじまる二年も前に行われ、しかもその「敗戦」の経験を振り返って活かすこともなく、現場の部隊長にかぶせて自決を迫る将校たち。その振る舞いは、無責任などというより、自分たちのやっていることの自己統治能力さえ失っていると言わなければならない。
そして番組をみながら胸中に思い浮かんだことは、日本の伝統とか防衛とかを、いま声高に唱えている人たちは、先の戦争の、こうしたことごとをどう総括しているのだろうかという疑問であった。ほとんど米国の謀略的な締め付けとかソビエトの中立条約を破る行為を非難はするが、(天皇も含めて)日本の政府や軍や議会や司法などの行ったことについて自己批判的に総括した声を聞いたことがない。つまり、ノモンハンのときの関東軍や軍参謀本部の将校たちのように(自らの戦略を振り返ることなく)、状況適応的にコトがうまく運ばなかった「理由」を外部に見つけ、現場の部隊長に自決を迫るような振る舞いが、相変わらず続いていると言わねばならない。自らを反省することもなく、しかも平然と、それによる死者を「弔う」という言説や振る舞いを「わがもの」のようにして恥じることがない。これが「自傷自損行為」(つまり「自虐行為」)でなくて、なんであろうか。
いまさらのように「我が国」為政者の厚顔無恥とそれを護ろうとしている周辺文化の醜悪さを思い、いったい(この国の)何を護ろうというのか、と居直りたい気持ちがふつふつと湧いてくるのを感じている。
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