2018年8月6日月曜日
三か月目の峠に差し掛かる
今日(8/5)午前中、8月の管理組合定例理事会が開かれた。6月初めからはじまり、なんとか3ヶ月目の峠に立った。2時間半の会議によって、決めることは決めなければならない。来月の会議までに必要なこと、半年先までに必要なこと、来年の通常総会までに必要なこと、と思いを巡らす。
たとえば、12月に「住民説明会」を行うとしたら、公民館の使用申し込みが3カ月前、つまり9月初めになる。としたら、「住民説明会」の日程だけでも決めておかねばならない。そこから逆算して、「議事」「議題」となることがらについて、「問題提起」もしなくてはならない。
去年、一昨年の理事会が何を行って来たか。つまりルーティンワークにも目を通して、気づいていない事柄にも目配りが必要だ。去年、大規模修繕を行ったから、先行する2年はたいへんであったなあと、今年のラッキーさを思う。
と同時に、植え替えた生垣への水遣りが驚くほど大量に必要となる。根づくまでの3か月と業者はいい、梅雨を当てにもしていたのだが、6月に梅雨が明けてしまった。一階の住戸の方に「水遣りのお願い」をしたが、「水やり」のせいで駐車場の車に泥が跳ねていると指摘も出来した。「泥跳ねへのお気遣いを」と階段掲示をすると、藪蛇というか、一階の住民から一回に160リットルもの水をやっている、何とかならないかと「ご不満」のメールがあった。理事たちがボランティア的に行って済む事かどうかも判断して、対応を決める。
あるいはまた、「ベランダでの喫煙の煙が流れ込んできて迷惑している」と訴えが来た。一応ベランダは団地の共用部となっている。でも条例や法で規制してはいない。団地の「規約」も「迷惑になる行為を禁じる」という程度しか記していない。ま、これも階段掲示で「お気遣いを」と告知したら、「初めからそういっていれば、この団地は買わなかった」「法的な根拠があるのか」と反撃があった。こりゃあ、困ったなあと思っていたら、受動喫煙の被害を訴えた人とその反撃者の間で「トラブル」になりそうな気配があると報せがあった。喫煙者の世帯主に「ご相談をしたい」とメールをすると、奥様から「ご指摘以来、室内の換気扇の下で喫煙するようにしているのですが」と、ちょっと含みを持たせるような返信。推察するに、反撃者は義父。若い世帯主とお嫁さんは気を配っているのだが、父親が頑固に「抵抗している」ということだろうか。これも、理事会では「ご報告」のかたちで経緯をまとめながら、来年の通常総会で「規約改正」をしなくてはならないかもと問題提起。
毎月初めの「定例理事会」が私の峠だが、これがルーティンワークになると「お役目」が楽になると、長年の私の「仕事人生」が教えている。三か月も経つと、だんだんルーティンワークになりつつある。つまり、始終それを気に掛けるのではなく、第3週目に「開催案内」を出して、開催までの一週間、「議題」での問題提起に専念する。そういう暮らしのパターンが出来上がると、楽になるのだ。
ちょっとステップアウトしてみると、理事長という「お役目」はたいした仕事ではない。建築物と環境の保全だから、坦々と為すべきことをしていれば、気をつかうことはない。建築理事と会計理事がしっかりしているから、全部お任せでも務まるお役目ではある。だが理事会は、じつは自治会役員を兼ねている。つまり住民の「暮らしやすい関係」をかたちづくり、保つことも「お役目」になる。そうなってみると、「暮らしやすい関係」の感触が人によって大きく異なることが分かる。都会地の集合住宅の「暮らしやすさ」は放っておかれる心地よさと背中合わせだ。だが、そこにおける人の振る舞いは、何らかの形で影響し合っている。その「影響」を、「心地良い」と感じるか「煩わしい」と感じるかに、大きな差異がある。この点が理事長を務めていて面白いテーマだと思うが、そんなことは理事の皆さんに話しても、(たぶん)ふ~んと鼻先であしらわれるに違いない。私だけの関心なのだ。
ところが、自主管理的な、この団地の管理組合の組合員が年をとり、65才以上の高齢者が半数ほどを占めるようになった。いろいろな障害が出てきて、交代制の「理事」が務まらない事態が出来している。おおむね10戸の世帯が十年に一回回って来る「お役目」を務めるのだが、それが九年に一回になり、八年に一回となって来るにしたがって、「不公平だ」という声も出てくるようになった。「公平」とか「不公平」というのをどういう次元で言っているのかわからないから、それには応対しようもないけれども、七年に一回くらいまでは我慢できるけれども、五年に一回となるとこれは何とかしなければならないだろう、とぼんやりと思う。まあ、そうなるにはまだ十年以上掛かるだろうけれども。その事態を迎えても、自主管理的に住民の「かんけい」をつくるには、これまでとはちょっと違った「意識的な取り組み」が必要になると感じる。
そういう役員の交代制をどうにかしてほしいという「議題」が、じつは9年前に提起され、引き続き「検討」され、結論をみないままに持ち越されてきている。これにも来年5月までには何らかの応答をしなくてはならない。そういうわけで、ルーティンワークだけに浸ることもできず、三か月目の峠に立って、道程の長さを思っている今日この頃である。
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