2019年7月31日水曜日
見事なお花畑に迎えられた白山(1)
二泊三日で、白山へ行ってきました。梅雨明け直前の雨の中、家を出て、暑い陽ざしの福井駅へ降り立ったのは12時少し前。京都を経めぐってくる方とレンタカー屋で合流し、まず、永平寺へ向かう。寺域の外れにある蕎麦屋で腹ごなしをする。おろしそばを食べたが、私が(習いはじめのころ)下手に打った時のそばに似て、やわらかく、ぶつ切り。建てつけは年代物らしく、木の切り株を椅子にしていた。
2019年7月28日日曜日
魔の山という超常現象の謎
ドニー・アイカー『死に山――世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の深層』(河出書房新社、2018年。原題はDead Mountain)を読んだ。書名の「副題」に魅かれた。映像作家のルポルタージュだ。1959年、ソ連のウラル山脈北部の雪山へトレッキングに出た青年たちが遭難した出来事が「ディアトロフ峠事件」だ。
2019年7月27日土曜日
団地コミュニティの異変
明日から山に入るので、このところ準備に忙しない。といっても、用具の準備ではない。歯医者に行ったり、留守中の用件を片付けたり、要するに身の回りの始末をそれなりにしておくというのである。昨日歯医者に行こうと外へ出たら、団地の方から「今朝方、何かあったのですか?」と訊かれた。理事長を務めて以来、顔見知りが増え、このように声を掛けられることが多くなった。
2019年7月26日金曜日
年寄りは障碍者だ
今日(7/26)、ストレッチの運動の後、ご近所の方々と月例の飲み会があった。商社や外務省や国内企業の退職者などが公民館でやっている会を軸に、月一回、飲み会をやろうというちゃらんぽらんな集まり。その時ふと誰かが、「やまゆり園3年」といったことから、話しがはじまった。はじまりは、被告の彼が「障碍者はいらない」という意見を変えていないこちであった。話は拡散しほかの話題に転じているうちにやはり誰かが、(今の時代は)年寄りを大事にしないと言ったことから、一挙に話題が収束した。
2019年7月25日木曜日
孤独と孤立の分別
森博嗣『孤独の価値』(幻冬舎新書、2014年)が図書館の書架にあり、目を通した。森博嗣はミステリー作家。20年くらい前だろうか、彼の作品が目に止まり読んだことがある。どちらかというとトリックに工夫を凝らしたもので、社会観や人間観はあまり匂わない。機能的というか、メカニカルな感触の作品だったので、以後手に取ることはなかった。ただ、国立大学の工学部教授をしているという身分がなんとなく気にかかり、名前を憶えていた。その彼のエッセイ。すでに退職しているというから、還暦退職をしたのであろう。結構なことだ。
2019年7月24日水曜日
ボヘミアンとしての人生
第二期も第8回を迎えた(7/20の)Seminarのことを報告しておきたい。講師はfmnさん、お題は「人生に寄り添ってくれたメロディ」。 当初私は、「懐メロ」と思った。だから、以下のような「案内」を記した。
《……でも、懐かしのメロディとなるかどうかは、語り手と聴き手の醸し出すハーモニーがもたらすこと。/「人生に寄り添う」ってことは、懐かしいことばかりではありません。恥ずかしいこともあり、厳しいこともあり、思い出すだに臍を噛むほど悔しいこともあります。/ただ年を取ると、たいていのことが遠景に霞んで、♫あとはおぼろ~、あとはおぼろ~♫ と気まずかったことが記憶から薄れて、懐かしく思えてしまうものです。/リタイアしてからバイオリンの演奏に挑戦しているfmnさんが、寄り添ったメロディに沿いながら彼の人生を語りだすのだとしたら、これまた、なかなか興味深いものです。伴奏付きで、人生の転機を迎える。面白そうですね。聴き手もまた、自分の人生の転機に伴奏してくれたメロディってなんだろうと思いを馳せることが出来ます。ぜひ、お運びください。》
2019年7月23日火曜日
石垣島探鳥見聞録(2)石垣島の守り人
7/13に記して以来いろいろとあって、石垣島の探鳥記録が尻切れトンボになっている。ブロンズトキとオニカッコウのことしか記していない。Mさんの案内は、ほとんど石垣島の全域を面で覆うように知り尽くしているからできることと思われた。また、それだからこそ、四季に渡る鳥の生態にも通暁しているといえる。そのいくつかを書いておきたい。
2019年7月22日月曜日
正面からモンダイに向き合う
7/20(朝日新聞)の立岩真也の「やまゆり園事件から3年」にまつわる「読書欄」の論述が、まことに真摯で面白い。3年前に置きた相模原市の障碍者施設で46人が殺傷される事件が起こってから、「生きる価値がある/ない」というモンダイにどう向き合うのか、突きつけられてきていると、率直に受け止めている。
2019年7月21日日曜日
さあ、そろそろ梅雨明けて、夏山か
昨日はSeminarがあり、午後はお出かけ。帰宅するころ軽く雨になる。ヨーロッパ人なら傘などささずに濡れて歩くに違いないと思いながら、手持ちの携帯傘をかざして駅からの道を心地よく辿る。Seminar後の会食で一杯やったのが利いて来て、家に着くとすぐ風呂に入って横になりたかったのに、録画したアニメを見ているうちについつい見入って、床に就いたのは夜11時ころになってしまった。
2019年7月19日金曜日
何を求めているか
昨日(7/18)は「ささらほうさら」の月例会。今日の講師はosmさん。定年ののちに、安上がりの人材登用という身分変更を受け容れて、相変わらず大学の教師をしている。その大学院での講座のひとつに、「教育実践研究」というのがあり、現場で仕事をしている人を対象にして十数人の受講生で週末と休日に開講する。近頃はインターネットで結んで、モニターで顔をみながら全国各地から参加できるとあって、学部を卒業した人ばかりか、保育士、幼稚園、小中高校の教諭や看護学校の教師や地方公共団体の職員なども参加している。つまり、色とりどりの現場にいる方々が「専門的な知識を高めたい」とか「臨床的な力をつけたい」とか、「今の現場がこれでいいとは思えない」という目的や動機で授業料を支払い、やって来る。しかし、小学校での教諭や管理職体験もあるosmさんにとっても、どう(参加者に通有する)共通軸となるテーマをたて、どう展開し、「課題レポート」をどのように提示したらいいものか、思案投げ首の状態だと話が進む。
2019年7月18日木曜日
身の裡の他者
井上荒野『ほろびぬ姫』(新潮社、2013年)は、仕立てが面白い。
「あなたはあなたが連れてきた」とはじまるこの作品、最後まであなたと「あなた」が併存し、「わたし」のなかの葛藤となる。あなたは「わたし」の夫。もうひとりの「あなた」は夫の双子の弟という想定。あなたがなぜ「あなた」を連れてきたのか、だんだんとわかってくる。だが、「あなた」がどこで何をしている何者なのかは、わからない。ここでは、あなたと「あなた」と括弧でくくって分別したが、作品中ではすべて、括弧抜きで記されているから、なんだこれは? ととまどいながら読みすすめる。
2019年7月17日水曜日
曇りって、こういうことだったのね
昨日今日と、泊りで奥日光の山を歩いてきた。このところしっかり梅雨らしい日々がつづいて、山歩きが遠ざかる。曇りならばいいじゃないと、降水確率が低いところを探した。だいぶ移り変わりが激しくて、晴れ間も見えて降水確率が80%というのもある。降水確率が30%の降水量が0mmならば、文句言うことないじゃないかと、中禅寺湖南岸の黒檜岳と社山を縦走するコースを考えた。昭文社の地図では「難路」とか「上級者向」と記され、ルートは破線で示されている。千手が浜から歌が浜までのコースタイムも、8時間余。kwrさんは「黒檜岳から社山への稜線のコースは、どうしてこんなに3時間もかかるんだ?」と訊ねてきた。私は2011年の秋にこのルートを歩いているが、笹原とは記しているが、迷うとは書いていない。昭文社の地図でも、広い稜線沿いを外さないように辿れば、紆余曲折はあるが、社山へ行き着く、と思っていた。
2019年7月14日日曜日
掌を指すような神業
3泊4日で石垣島の探鳥に行ってきた。わずか4人を旅のコーディネータと現地案内人がガイドしてくれる。いうまでもなく私は、カミサンの「くっつきの尾」。ほかの方々はみなさんベテラン中のベテラン。Eさんは世界各地の鳥を観ていて、なおかつ尽きることのない鳥への関心をカメラに収めて回っている。コーディネートをしてくれたTさんは年に6回ほど石垣島や沖縄県にやってくる好事家。現地案内人のMさんは石垣島の隅から隅まで、ほとんど面積的にも余すところなく、いつも踏み歩き、どこになにがいつやってきて、雛がかえって三日目とか巣立ちをしたとうことを熟知しているバーダーであり、カメラマンであり、イラストレータであり、酪農家である。
2019年7月13日土曜日
処女作の示すモチーフ・トラウマ
処女作は作家の「本質」を表すとよく謂われます。ドン・ウィンズロウの処女作『ストリート・キッズ』(創元推理文庫、1993年)は、これまでに読んだこの作家の作品の中では、もっとも読み応えのある作品になっているとおもいました。第二作『仏陀の鏡……』で「活躍」する主人公の出自の由来も書き込まれていて、何より彼の行動モチーフがよくわかります。
2019年7月12日金曜日
突然の訃報が普通になった
ご無沙汰しました。昨日夜、石垣島から帰ってきました。
「ブログが更新されていませんが、お身体に問題ありませんか」とタイに住む友人から、メールが入ってきました。ブログの更新が「無事の知らせ」になっているのですね。気遣ってくださり、ありがたいことです。
2019年7月6日土曜日
2019年7月4日木曜日
絶対の正義と単純な動機
ドン・ウィンズロウ『失踪』(角川文庫、2015年)を読む。『犬の力』(2005年)の、単なる力の発動として繰り出される暴力性に、何のためらいも感じていない作家の内心の由来を覗いて見たいと思い、『仏陀の鏡への道』(1997年)を読み、ハードボイルドから出発した作家ではないと知った。だが子細な中国事情の書き込みに対して、あまりに単純な行動の「動機」に、呆れもした。これでは単なる、俺は(中国のことも)知っているぞという知識のひけらかしではないか。「犬の力」の最後に記した、この作家のモチーフ「わが魂を剣から解き放ちたまえ/わが愛を犬の力から解き放ちたまえ」はどうなったのか。そう思いながら読んだのが、今回の「失踪」。
2019年7月3日水曜日
団地コミュニティの社会学的考察
去年の2月から今年の5月末まで、おおよそ1年4カ月の間、私が住まう団地管理組合の理事長を務めてきた。それまで住いのことなど見向きもしないできた。9年に1回まわってくる理事のお役目も、私より年長者がいることをいいことに、わりと坦々と務めることのできる、広報などのパートタイム的役割を選んで担当してきた。月一回の理事会のやりとり事項を「広報」するというふうに、てぎわよく、もう一人居る担当者と分担して。だから、管理組合全体のお役目を鳥瞰しながら理事の動きをコントロールするという(理事長がしている)日常業務には、とんと関心もなければ、縁もなかった。団地は、自由放任的な都市生活の心地よいねぐらであった。一緒に理事を務めた方のことも、それが終わるとすぐに忘れた。
2019年7月2日火曜日
移民国家の優れた文化を垣間見る
フレデリック・ワイズマン監督『ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス』(原題はEx-Libris The New York Public Libraly。2017年)を観た。3時間25分に及ぶドキュメンタリー映画。
2019年7月1日月曜日
1年前にも同じことを考えていた?
1年前の記事をみて、あれっ? 同じことを考えている、と思った。
ちょうど昨日、陸上の日本選手権男子200mでサニブラウンが100mにつづいて2勝目を挙げるかとTVは、はしゃいでいたことに関係する。サニブラウンが100mで日本記録を更新してから、彼に関するメディアの露出が多くなった。大坂なおみ、八村塁と、ハーフの人たちの活躍を「日本人の活躍」とはしゃぐメディアに、反発の声が出ていると東洋経済オンラインが伝えていた。曰く「サニブラは父親の血を受け継いでいるだけじゃん。自分の力じゃないんだよ。それを日本人の活躍なんて、笑わせるな」と。
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