2019年7月31日水曜日
見事なお花畑に迎えられた白山(1)
二泊三日で、白山へ行ってきました。梅雨明け直前の雨の中、家を出て、暑い陽ざしの福井駅へ降り立ったのは12時少し前。京都を経めぐってくる方とレンタカー屋で合流し、まず、永平寺へ向かう。寺域の外れにある蕎麦屋で腹ごなしをする。おろしそばを食べたが、私が(習いはじめのころ)下手に打った時のそばに似て、やわらかく、ぶつ切り。建てつけは年代物らしく、木の切り株を椅子にしていた。
門前町の永平寺は賑やかに混みあっていて、駐車場は一杯であった。さすがに750年程の径庭を感じさせる境内は、うっそうと茂る古木と苔むした石垣が参道を飾る。「永平寺全景図」をみると一番奥に「法堂」とある。「そこまで行こうか」と言うとmwrさんは「時間がかかるよ」と応じて、もっと手前で引き返してくるような感触だった。通用門から入り、入場券を買って靴をビニール袋に入れもって吉祥閣から道内の廊下を辿ってすすむ。階段をいくつも上がるが、建物は山の斜面に沿って建てられた平屋建てだ。後で図を見直すと、参拝者の泊まる「衆堂」やお坊さんが煮炊きをする「庫院」などは3階建てになっている。地下階もあると聞いた。結局「法堂」とその脇にある承陽殿まで見て回り、鎌倉期のころからつづく気配に身を浸してきた。
白山温泉永井旅館は「日本秘湯の会」の温泉でもあるようだ。食堂にあった「案内書」では、甚之助谷の大きな地滑りがあって、土石流のために白山温泉のある市ノ瀬の集落も全壊、独りの生き残りが永井旅館を再開して今に至るとあった。平成21年からはじまった大規模地滑り防止のための砂防工事が、今も続いている。永井旅館の温泉は、それほど大きくないが、いい湯であった。ちょうど旅館の前が、土日には一般車輛通行禁止になるターミナル。バスが発着している。キャンプ場もあり、風呂であった今年還暦になる神戸の方は、5月連休に来てテントを張り三日間過ごして気に入り、秋にもまた来るつもりだと湯船の中で話していた。イントネーションの関西訛りが優しく響く。
旅館のつくりは古く、今は使われていないらしい古い家屋が裏山の上の方に鄙びた佇まいを湛えている。8畳ほどと6畳の二間と縁側付きの部屋を4人の私たちに使わせてくれた。山小屋というよりは湯治場の風情であった。帰りにも風呂を使わせてくれ、気分よく山のベースにすることができた。
空は雲に覆われ、見晴らしは利かない。朝食は5時半。6時過ぎに車で登山口の別当出合まで入る。道路わきの空き地に車が止めてあり隙間がない。一番下の何百台か入る広い駐車場まで下り、そこにおいて歩きはじめたのは6時35分。道の脇にオオウバユリが何本もの花をつけてすっくと立っている。10分ほどで別当出合の登山口へ出る。これから登る人たちが大勢いる。大きな吊橋がある。私たちは明日下山してくる砂防新道の道だ。橋を渡らず、観光新道の方へ踏み出す。すぐに上りとなり、ぐいぐいと標高を上げる。
「ニリンソウみたい」
と、mrさんが指さす。? と思うが、なにかはわからない。帰って調べてみるとツルアリドオシ。その前にみた赤い実も同じものであった。ノリウツギの白い花に勢いがある。オオカメノキの実が赤くまとまっている。大きな白い萼が青や白のたくさんの小花をつけたヤマアジサイ?が葉の緑に映えてみずみずしい。アザミの仲間が赤紫の花を突き出している。
「ああこれこれ、アサギマダラの好みの花よ」
と、kwmさんがヨツバヒヨドリを指さす。
足元は岩を踏むような急登になる。ニガナの黄色い花が岩を押しのけるように開いている。相変わらずの曇り空がつづく。暑くないのがありがたい。登山口から1時間半で慶松平に着く。コースタイムより10分早い。サササユリが一輪、薄紫の淡い色の花を下向きに咲かせている。東日本ではヒメサユリだが、西日本ではササユリと呼ぶらしい。シモツケソウが蕾から花に変わり始めている。薄紫色のギボウシの仲間がササのあいだから蕾をたくさんつけて伸びあがっている。
背の高いササ混じりの急な上りがある。何しろ今日上るのは標高差1200m。前半の4時間ほどは平均すると20%の登りになる。ヤマハハコが目に止まる。見上げると前方の雲が切れ、雪に抑えられてかたちのひしゃげたダケカンバの樹々の合間に、うっすらと山の頂が浮かぶ。ハクサンオミナエシだろうか。黄色の花がひときわ目立つ。小さな花をつけてミヤマホツツジがひっそりと草木に紛れ㋒。ノカンゾウの花が笹竹のあいだから顔を出す。あれコオニユリがあると言ったら、kwmさんがクルマユリよと葉の形をみて訂正する。ニッコウキスゲの花が今を盛りと咲いている。
「←別当出合3km・室堂3km→」の標識がある。大きな岩が登山道に倒れ掛かって、その下をくぐる。このルートのちょうど半分だ。陽ざしが出てきた。北の方をを見ると白山釈迦岳であろうか、深い谷一つ向こうに聳え立つ峰が雲間に見える。ここからがお花畑であった。またササユリがあった。クガイソウ、その脇に咲いているのはタカトウダイか。ミヤマホツツジ、タカトウダイ、イブキトラノオやダイモンジソウが花をみせる。エンレイソウが大きな葉を広げて黒い実をつけている。シナノキンバイだろうかミヤマキンバイだろうか、群落をつくる。おっ、ヨツバシオガマだ。モミジカラマツソウもある。とうとうハクサンフウロが登場した。標高は2000m。ということは、今日の上りの2/3。そうかここまできたか。殿が池避難小屋ではたくさんの人が休んでいる。9時45分、登山口から3時間、ちょうどコースタイムだ。「いいペースだ」とkwrさんの歩きを褒める。
池の淵にはコバイケイソウも見事な花をつけて、群れを成す。この先には高い木がない。クルマユリが群れている。kwmさんがマツムシソウを見つけた。一度見つけると、次々と目に入るから不思議だ。ヤマブキショウマの咲き乱れる中を登山道はつづく。カワラナデシコも目に止まる。ハクサンシャジンがある。シロバナハクサンシャジンだろうか、白い花をつけたのもある。白味の強い薄い紫のこの花はハクサンチドリかと思ったが、花びらの先が丸い。テガタチドリであった。ニッコウキスゲが斜面一杯に咲いている。それをバックに写真を自撮りしようとしていた若い女性がkwrさんを見て、シャッターを押してくれませんかと頼む。kwrさんは「私はだめなんで」とkwmさんに話を向ける。シャッターを押す。彼女は代わりに皆さんを撮りましょうと、私たちもひと並びする。雲が取れず、見晴らしは利かないが、お花を楽しむには十分なルート。いままさに旬だ。イワオウギの白い花が足元の岩場に垂れ下がる。ミヤマオトコヨモギがたくさんの花をつけて立っている。ハクサンタイゲキが黄緑色の二枚葉の真ん中に黄色の花をつけ、その中央から玉つきの羽根のような蕊を出している。キヌガサソウが花の輪郭をくっきりと示して大きな葉の上に座る。ショウジョウバカマの受粉した後の姿も見えた。おや、頭をもたげて胸を張っているようなのはシナノキンバイだろうか。
上から降りてくる人たちとすれ違う。朝7時ころには土砂降りの雨だったらしい。20人もの大人数のパーティもある。その都度立ち止まって、道を譲ったり譲ってくれたりした。こちらを下山に使うのは考えものだ。
倒れた標識がある。「蛇塚2240mJUDUKA」と標高が記されている。低い草木のあいだを雲に向かって歩く。と、大きな岩が立ちはだかり、それを回ると人がたくさん休んでいる。吊橋で別れた砂防新道との合流点「黒ボコ岩2320m」だ。上る人、下る人の合流点でもある。上ってすぐに私たちが道を譲った単独行の20代女性も休んでいた。話を聞くと「車で1時間かけて来たから、地元かな……。日帰りです」と元気そのもの。ここから1時間ほどかけて山頂に行き、砂防新道を下るという。mrさんもへばっていない。黒ボコ岩に登ってインスタ映えする写真を撮っているのだろうか、ポーズを決めている女性たちがいる。
弥陀ヶ原の木道に上がると、山頂の方に大きな雪渓が見える。室堂は見えない。もう一つ高台に上がったところにある。
「やあ、すごいねえ」と、周囲の景観の大きさに感嘆しながら、kwrさんは自分をほめている。弥陀ヶ原の「霊峰白山登拝道」の石標があるところで、先ほどの単独行の若い女性が、私たち4人並んだところのシャッターを押してくれ、挨拶をして山頂へと向かった。「木道沿いには花はないよ」と登っているとき教えてくれた方が「でもクロユリが2輪ある」と隠し事でもするように話したことが耳に残り、探してい歩くが、ほとんどササに覆われている。ただ、ササのあいだからコバイケイソウがすっくと立ちあがり、原一面に頭をもたげているのが壮観だ。原の向こうにも木道があるらしく、霧の中に人の動きが見える。
「(原を)歩く元気あるよ」
とmrさんはいつものブラフをかける。じゃあ、ひと回りしましょう、と応じると、いや、いやとご遠慮なさる。あった! kwmさんがクロユリを見つけた。木道脇の草叢の陰に隠れるように小さい花を垂れている。
室堂への最後の上りにかかる。大きな石がごろごろしているが、まるで石段を設えたように階段状になって歩きやすい。それを踏み伝って身を持ち上げる。下山してくる人たちとすれ違う。下山の人たちは午後3時ころに別当出合に着くか。必ずしも遅くはない。うしろから飛ぶように登る女性が来るので、道を譲る。だが、少し上で彼女が私たちに道を譲る。彼女の後続がやってこないのだ。途中で振り返ると、山肌の下方が雪を蓄えてくっきりと見渡せる。その緑の中に二本の木道が弥陀ヶ原を囲むように走っている。
11時50分、室堂登山センター着。汗に濡れてはいるが、雨に濡れたわけではない。その向こうに鳥居があり、霊山奥宮遥拝所の建物があり、その後ろの御前峰は雲の中にある。道はまっすぐハイマツを押しのけて山頂へ向かっている。
「天気が悪くないうちに山頂へ行こうかしら」
とmrさんが、またブラフをかける。どうぞどうぞと、こちらも口だけでお奨めして、食堂で荷を解いて生ビールで乾杯する。宿泊の手続きは13時から。ビールだけではもたない。宿でつくってくれたおにぎりをつまみに白ワインを追加する。すきっ腹にすんなりと馴染み、それでさらに疲れをいやす。ヘリコプターがやってくる。ロープを下ろし、下の人が荷を二つ付けて吊り上げ飛び去る。建物の建築作業の途上のようだ。宿泊手続きは、受付に列をなしてはじまる。カードに必要事項を書き込むと、1人のスタッフが順番にそれを見ながら費用計算をして書き込む。それを受付に提出して、お金を払う。終わって待っていると、別のスタッフが呼びに来て、部屋に案内してくれる。
二段ベッドが向き合って、ひと部屋32人収容の蚕棚式山小屋。布団は敷き詰めてある。昨年仙丈ケ岳に行ったときの小屋には、仕切りのカーテンがあった。それも無い。頭の上に20センチ幅の長い棚があり、そこにザックなどの荷物を置く。私たちは上の段。垂直な梯子が「たまらないね」とmrさんが感嘆の声を上げる。夕食後は、8時半の消灯まで人の話し声が絶えない。朝は、3時過ぎからガサゴソガサゴソと荷をパッキングする音が響く。夜7時から朝4時まで横になって、身を休める。
夕方外へ出てみると、雲が晴れていて、山頂が見える。御前峰は一面をハイマツに覆われた大きな山体だ。南側へまわってみると、こちらも雲が取れ、正面に姿のいい大きな山体がみえる。別山ですよと、傍らの人が教えてくれた。遠方は雲がかかっている。その彼方の雲のなかの、あれが能郷白山、その右側が荒島岳と教えてくれる。まさに白山は越前の主峰だ。その標高では西日本で一番高かったのではないか。富士山や御嶽山と並んで昔から信仰の山と呼ばれ、参拝者がたくさんあったとkwrさんは調べてきている。(つづく)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿