2019年7月28日日曜日

魔の山という超常現象の謎


 ドニー・アイカー『死に山――世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の深層』(河出書房新社、2018年。原題はDead Mountain)を読んだ。書名の「副題」に魅かれた。映像作家のルポルタージュだ。1959年、ソ連のウラル山脈北部の雪山へトレッキングに出た青年たちが遭難した出来事が「ディアトロフ峠事件」だ。


 当時のソ連で「トレッカー」として最上級の資格を手に入れるために、10人のトレッキング・グループの大学生がウラル山脈の北部のオトルテン山へ向かう。厳冬期、1月の末。帰還する予定日になっても帰ってこないことから捜索が始まった。現場は少数の狩猟民族が暮らすほぼ未開の地。「死の山」と恐れられている。

 彼らが現地に発ってひと月ものちになって、テントが見つかる。テントの中はきちんと整備され、靴などを置いたまま隊員は皆、姿を消していた。その翌日、1.5キロも離れたところで二人、そこからさらに300m離れたところで二人の遺体を発見。いずれも、低体温症でなくなったとみられるが、獣に食い荒らされた様子。靴も履いていなければ、防寒着も来ていない。3月になってもう一人発見され、さらにふた月ものちになってやっと、残りの人たちも発見された。しかしこちらの方は、人為的に加えられたと思われる力によって、頭蓋骨陥没骨折や肋骨の骨折などの打撃を受けており、それが死因になったとみられる。うち一人は、舌を切られていた、と。あるいは多量の、放射線を被ばくしていたこともあって、軍にかかわる秘密に触れたために殺害されたのではないかと憶測がなされ、当局による抑制が強く行われたためもあって、いっそう「謎」めいた陰謀説もささやかれるようになっていた、という。

 その捜索と発見と、大きな謎に包まれたまま蓋をされてきた「資料」が近年になって解禁され、それを読み解き、現地に足を運んだのが、この映像作家のアメリカ人。いろいろな(原因となる)可能性を一つひとつ消していったのちに、ふとひらめいた糸口となる低周波音のことを、その筋の専門家たちに問うてみたところ、そうではないと否定される。

 だが腑に落ちない。この映像作家は、テントを張ってあった現地の踏破で得た「画像資料」を全部提供して、この専門家にもう一度検証を依頼する。と、思わぬところに「謎」を解く鍵が潜んでいた、という筋立て。もちろんそれをここで明かしては、興を殺ぐ。読書家の倫理にも反する。

 面白いのは、現地の少数民族の狩猟民たちが「恐れている」ことが、近代科学の裏付けを得たということだ。本書でその言葉は使われていないが、「魔の山」として畏れられ敬われていた別の山が、「ディアトロフ峠事件」の「謎」の鍵であったとは。1959年という時点のソ連が、しかし近代的な捜索手法や指揮体系を採用し、なおかつ、必要以上に秘密主義的に人びとに采配を揮う気配が浮かび上がって、むしろ「謎」はソ連の支配体制にあったのではないかと思わせるなど、面白い読み物であった。もちろん著者は、直にそのようなことに触れてはいないのだが。

 さて、これから(雨がまだ降っているかな?)白山へ出かけます。「(たぶん)梅雨明け」の晴天の中、絶好の山歩きになるはず。またしばらくブログは、お休みします。ではでは。

0 件のコメント:

コメントを投稿