2019年7月1日月曜日
1年前にも同じことを考えていた?
1年前の記事をみて、あれっ? 同じことを考えている、と思った。
ちょうど昨日、陸上の日本選手権男子200mでサニブラウンが100mにつづいて2勝目を挙げるかとTVは、はしゃいでいたことに関係する。サニブラウンが100mで日本記録を更新してから、彼に関するメディアの露出が多くなった。大坂なおみ、八村塁と、ハーフの人たちの活躍を「日本人の活躍」とはしゃぐメディアに、反発の声が出ていると東洋経済オンラインが伝えていた。曰く「サニブラは父親の血を受け継いでいるだけじゃん。自分の力じゃないんだよ。それを日本人の活躍なんて、笑わせるな」と。
若い人の声だという。日本国憲法で「日本国民」というのは、「日本国籍」と規定している。サニブラウンも八村塁も国籍が問題にされているのではない。この若い人は、「日本人という純血種」がいると想定している。その身体能力が「活躍」しているとは見ていないのだ。だが「純血種ってなあに?」と問えば、この段階で、この若い人の論理展開は破たんする。
私が子ども頃には、みるからにハーフというのは珍しかった。韓国人・朝鮮人や台湾・中国人とのハーフはいたが、目に止まらない。欧米人とのハーフは、米軍による占領の証、米軍兵とパンパンとの合いの子という「屈辱」と一緒になり、(他方で容貌や身体能力が優れていて羨ましくもあり)毛嫌いされた。(半端やなあ)と、そのありようを差別していたのである。だがいまは、グローバルな活躍のもたらした(国際結婚の)ものといえるから、ハーフであること自体が「日本人の活躍」の結果でもある。そしてその存在は、今となっては、珍しくもないから、じつはことさら、「日本人」を強調しなくてもいいのに、と思わないでもない。にもかかわらず、この若い人が、上記記事のように反発するのは、なぜか?
この人なりに、「自分の力が(世のなかに)受け容れられない」か、「自分の力が目に見えるように発揮できない」と鬱屈を感じているからではないか。それが転じて、「日本人の活躍」なんていうなと、声を上げた。この若い人が何歳のどのようなヒトなのか、つまびらかにしていないが、この人をヨーロッパにおけば、移民や流入する難民に反発する「愛国主義者」の政党支持者になるであろう。つまり「純血種日本人」がモンダイなのではないのだ。彼を受け容れていない、今の日本社会の「状況」がモンダイなのだが、それは何が悪いと目標を明確にして攻撃できる種類の論題にできない。だから「鬱屈」する。
もう10年以上も前になるが、国連で「先住民の自決権を保障せよ」という決議が出され、多数の賛成で決議されたが、アメリカやオーストラリアなどが反対し、実効性は疑問視されていた。そのときの論題は、「ナショナル・アイデンティティってなんだ?」というものであったが、それは旧植民地であった国々の民が、「線引き」された近代国民国家のアイデンティティに馴染まないことにあった。それを正面から取り上げた編著書・川田順造『ナショナル・アイデンティティを問い直す』(山川出版社、2017年)は、3年に及ぶ論議の問題提起とそれに対するコメントを収録しているが、それも、今回の若い人の「鬱屈」には応えていない。川田順造の「明治以降に構築した天皇制国体というアイデンティティ論」も、見飽きた論説の繰り返しに過ぎない。つまり時代は、とっくに学会の関心をおいてきぼりにしている。そのすきをついて、トランプさんの登場があったと、読める。
日本でも、ぼちぼち本気で「多民族国家・日本」をイメージできるようにしていかないと、ならないのかもしれない。でも誰が、その舵取りをするのか。成り行き任せでは、どこにも行きつけず、混沌がやってくるような気もするが、どうでしょうか。
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