2019年7月13日土曜日
処女作の示すモチーフ・トラウマ
処女作は作家の「本質」を表すとよく謂われます。ドン・ウィンズロウの処女作『ストリート・キッズ』(創元推理文庫、1993年)は、これまでに読んだこの作家の作品の中では、もっとも読み応えのある作品になっているとおもいました。第二作『仏陀の鏡……』で「活躍」する主人公の出自の由来も書き込まれていて、何より彼の行動モチーフがよくわかります。
物語りの流れは不自然であってはなりません。ここで「自然」と感じられるのには、登場する人物にとって、その行為の選択や振る舞いが自然であることだけでなく、それを読む読者にとっても(登場人物に思い入れをしていようといまいと)自然である必要があります。むろん「違和感」を感じる地点に、登場人物の(読者との)「異質さ」が浮かび上がるのですが、その「異質さ」の由来が書き込まれていることによって、登場人物の振る舞いが当然であるように(読者に)感じられる仕掛けが欠かせません。ドン・ウィンズロウは、怠りなく書き込みをしています。
読んでいて私自身がもつ「自然/不自然」の幅はずいぶんと広いと思います。私自身がそう振る舞うかどうかは別として、そういう振る舞いもアリだなと思うだけで、不自然ではなくなります。そして、呼んでいる私が最も違和感を感じる振舞いだが、物語り中には不可欠の(主人公の)選択が挟まり、そこにストーリーテラーとしての作者の腕も問われるのですが、そこへの道程が丁寧に、しかもいくつもの意外な仕掛けを用意して、たのしませてくれます。
結末の持って行き方も、なるほどそうかという(意外な仕掛けの)運びをしていて、ホッとさせるだけでなくオモシロイと感じさせてもいるのです。そういう意味では、「犬の力」のような暴力をふんだんに見境なく扱うテーマは、読む者の身体性に「自然性」を期待できないだけに、システムとか組織に属するゆえの忠誠だけでは片づけられない苛烈な次元だと言えます。それとも、システムや組織の属する忠誠が、アメリカやメキシコでは、極まってしまっているのかと思わせます。日本のTVドラマなどでも、「苛烈さ」はまさかと思うほど極端に表現されているから、現実過程とは違うのでしょうが、となると、単なるアヴァンギャルドっていうことなんでしょうか。
出来得るならば、処女作の持つモチーフ・トラウマにいつも足場をつけて、物語りをしてもらいたいものだと思いましたね。
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