2019年7月23日火曜日

石垣島探鳥見聞録(2)石垣島の守り人


 7/13に記して以来いろいろとあって、石垣島の探鳥記録が尻切れトンボになっている。ブロンズトキとオニカッコウのことしか記していない。Mさんの案内は、ほとんど石垣島の全域を面で覆うように知り尽くしているからできることと思われた。また、それだからこそ、四季に渡る鳥の生態にも通暁しているといえる。そのいくつかを書いておきたい。


 7月の石垣島といえばアカショウビン。私は今年6月に群馬県の赤久縄山に登った折に、山中でその声を聞いている。時代劇などでは夏の場面、現代ドラマでも沖縄などの場面では必ずといっていいほどアカショウビンの声が入る。石垣島に来てからも、道々その声は聞こえる。だが姿を見ることができなかった。Mさんはそれをみせようと車を走らせる。雨の落ちた後、きっと姿が見えるはずと於茂戸岳に近い林道へ向かう。両側から鬱蒼と茂った樹木がかぶさるようにのしかかる林道を、ゆっくりと走る。何度か声は聞こえる。姿を見ることができない。林道の途絶える地点から折り返す。車が止まる。Mさんが正面を指さす。私は一番後ろの座席にいるからフロントガラスの上の方が見えない。Mさんが車をやや後ろへ戻す。いる! 正面の3メートルほどの高さで横に伸びる木の枝にアカショウビンがこちらを向いて止まっている。前の座席に座るEさんたちはすでにカメラに収めて、なおパシャパシャとシャッターを切っている。鳥はしばらくそこにじっとしていてくれたから、しっかりと見ることができた。

 第2日目も3日目にも足を運んだ伊野田キャンプ場でも、静かな森にアカショウビンの声は響き、たしかに(何羽も)いることはわかるが、姿が見えない。何度かキャンプ場内を車で巡り、とうとう姿をとらえる。車から出ることはむつかしい。一番後ろの席の私は、身を屈めるようにして高い木の枝に止まる姿をとらえる。だがみていると、前の席の人が「どこ、どこ?」と身を乗り出して私の視界を塞いでしまう。私が後ろの窓から切り替えてみていると、前席の人が今度はそちらに身を乗り出すという具合で、見えなくなってしまうこともあった。ま、仕方がない、と門前の小僧の私はあきらめが早い。キャンプ場の中央でトイレ休憩をとったとき、車の前方を見ていた私の視界の左の方から赤い姿が飛来してきて、飛ぶ姿をきっちりと見せるように目の前を横切り、右の木立のなかへ飛び込んでいった。ご褒美である。

 そこで聞いた話なのだが、アカショウビンは蟻塚に穴をあけてそこに卵を産みヒナを育てるのだそうだ。ひなが巣立ちするとアリはその穴をふさぐ。そうして一年経ってまた、アカショウビンは蟻塚に穴をあけて子育てをするという。塞がれていない穴はアカショウビンが使わないとも聞いた。そういう子育てをMさんは観てきているのだ。へえ、オモシロイ。

 神社の杜にいるアオバズクもみせてくれた。Mさんは担いでいた大砲のような三脚カメラをどんと下す。傍らの唯一のスコープをもったカミサンが、その方向へ向けてセットして覗き込んで、声を上げた。「あれ、なあに?」。Mさんがのぞき込む。アオバズクが木に止まってこちらをみている。葉の長いヘゴノキの密生して暗くなっているところだから、保護色になって裸眼ではすぐにわからない。それがどんぴしゃりで、一発でスコープに入っていた。Mさんの最初の据え方が見事だったと私は感じ入った。みているうちにアオバズクの立っていた耳がだんだん横に平らかになってくる。私たちをみて緊張しているのだそうだ。Mさんがホホウと声を出すと、止まっていたところからさらに手前の木の枝に飛び移り、声を出す。縄張りを護ろうとしているそうだ。こんな付き合い方をしているのだと感心した。

 リュウキュウミゾゴイもカンムリワシもタマシギもアオバトもクロシギの黒いのも白いのも、ここぞというところで「ほら、そこに」というようにみせてくれる手並みは、文字通り石垣島をわが庭として知り尽くし、いつも守り人のように見て回っているからこそできることだと思った。秋と夏に来たとなると今度は冬だねと鳥観の達者たちは言葉を交わしている。カミサンは53種見たそうだったが、門前の小僧は42種しかみてとれなかった。ま、それはそれ。鳥を観るという佇まいのありようが浮かび上がっただけでも、大満足であった。

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