2020年3月31日火曜日

桜模様がまだ続く


 昨日(3/30)は、見沼田んぼの東縁を歩いた。こちらはカミサンの鳥と植物のフィールドとあって、私は付いて廻る格好。メインは桜模様。この地に転居してきて、30年になる。そのうちの17年をリタイアして、この周辺のあちらこちらも歩き回って来た。地理的な概念はしっかり(私の)頭の中に入っているが、カミサンはそう思っていないのか、ここの右側には富士塚があるとか、この上は筍のよくとれる場所とか、あの先の農家の銀杏の実を何年も頂戴して、菓子折りを差し上げてお礼したとか、まるで私が初めての地に足を踏み入れたかのようにガイドしてくれる。ふむふむとっきながら私は私で、この30年間を振り返っていた。

2020年3月29日日曜日

春の雪


 夜中に雨だれの音を聞いた。霙か雪になると言っていたのに、気温が高いのか。起きるころには霙であった。ところが8時を過ぎると大粒の雪になり、駐車場の車の上も、庭の土の上も白くなってきた。

2020年3月28日土曜日

桜吹雪の見沼田んぼ西縁


 昨日(3/27)の天気予報は曇り時々雨。ま、そういうこともあるさと本を読んでいたら、陽ざしが明るく差し込んできた。なに、これ? とTVをみていたカミサンがお昼を食べてから、見沼田んぼのサクラをみて歩こうかという。いいよ、行きましょうと、午后1時半ころに出かけた。
 意外だったのは、西縁のサクラが満開を過ぎて散り始めていたことだ。わずか3日前に歩いたときは、7分咲きかなと思った。それがもう、散り初めている。用水路には花筏が浮いている。砂利道にもサクラが散り敷いて、小さな花筵になっている。
 散歩している人たちも、団体様あり、家族連れあり、若いカップルあり、女性同士の二人連れが用水路脇にシートを敷いてお弁当を広げている。お喋りしながら歩いてくる年寄りが多い。おや、ねぎを背負っている人が、何人も通る。どこかで栽培者が畑脇で現地販売しているのだろう。

2020年3月27日金曜日

屋外にも出るな、と?


 政府が一斉休校は終わりと宣言したのに、「爆発的感染の惧れ」とか「首都封鎖」などが都知事の口から出る。何がどうなってるんだ? とわが流言飛語構成機は「混沌表示」になったままだ。

2020年3月26日木曜日

満点のお花見ハイキング・大平山~晃石山


 今日(3/25)は、暖かい一日。風もない。桜を観るハイキングとして4/8に予定していた山行を、今日に変更した。今は栃木市になっている大平山。電車で行って花見酒でもと思っていたが、「経路不明」の感染者が半数を超えたことで、車で行くことにした。

2020年3月25日水曜日

サクラは満開


 昨日(3/24)、見沼田んぼの西縁を歩いてきた。カミサンは高尾へ草花を観察に出かけた。そうだ、と思って、私のお弁当も作ってもらった。氷川女体神社脇の「かかし公園」までサクラの様子を見に行ってこようと思ったのだ。
 家を出てすぐに、ただお弁当を食べてくるのはつまらない。お花見ならば、お酒も少しばかりあった方が良いと考え、西縁用水路入口のイオンフードへ立ち寄って、白ワインのハーフボトルを手に入れる。午前十時。

2020年3月24日火曜日

感染経路不明の発症者が半数を超えた


 全国一斉休校という「緊急事態」の要請が解除され、いくぶん山を越えた感があった新型コロナですが、今朝のTV報道を見て、そうじゃないんだと見方を改めました。
 都知事が発表したのをみると、「昨日の発症者」も増えている。そのうち「感染経路不明」の発症者が半数を超え、「首都封鎖」も考えなくてはならなくなったそうです。
 都知事は「感染しても発症しない若い人が広げる可能性」を指摘して、注意を呼び掛けています。コメンテーターの専門家たちも、これから感染は爆発的に広がるとみているようです。ということは、専門家たちは、すでに若い人には相当に広がっているとみているようですから、年寄りはそれを前提にして防衛するしかありません。

2020年3月23日月曜日

家畜化するヒト


 20世紀の半ばから、ロシア(ソ連)人進化生物学者・ドミートリ・ベリャーエフの行った「実験」があるのを知った。ダーウィンの進化論と異なり、突然変異によるのではなく、意図的交配によって遺伝的形質の変化が起こるという「実験」である。意図的交配というのは、人を恐れ近づこうとしないキツネを「家畜化」しようという「意図」である。研究は今も続いているらしい。

2020年3月22日日曜日

面白うてやがて哀しき・・・


 人はなぜセックスを隠微なものと思い、他人の目から隠し、しかしなおかつ、他人のそれを覗きたがるのであろうか。
 文化人類学者ジャレド・ダイヤモンドの『セックスはなぜ楽しいか』は、ホモ・サピエンスが進化の過程で辿った養育と生活資源確保の安定化のためのメスの戦略という仮説を立てていた。それは逆に、他の動物のセックスは楽しいものでも哀しいものでもなく、ただ本能の然らしむるところと規定することでもあった。つまりホモ・サピエンスだけがセックスを(楽しいことと)価値的にとらえている。「楽しい/心地よい」という感性が備わっていてこその「価値」ではあるが、どちらが先か後化は、どちらでもよい。相互的に発生したともいえるからだ。

2020年3月21日土曜日

キレンジャク


 水曜日に三毳山でヒレンジャクの群れをみてラッキーと思ったのでしたが、一昨日、秋ヶ瀬にヒレンジャクが来ているとカミサンへお知らせが入った。鳥観の達者たちのあいだには、そういう連絡網があり、それが回り回って伝わってくる。なかには丁寧に写真を添付したり、地図にマーキングをして地点を表示したり、人によってはGPSで調べなさいよと謂わんばかりに統計と北緯の経度と北緯の緯度を示して鳥のいた場所を教えてくれる。

2020年3月20日金曜日

【第二期第十二回Seminarは延期します】


皆々さま
 新型コロナは、まだまだ収まりそうもありませんね。
 昨日(3/19)の「新型コロナ専門家会議」の発表は、率直なものでした。一連の措置によって、ひとまず収まっているようだが、「孤発例」があるので感染経路が特定できない。場合によっては今後、「爆発的に感染が広まる」(「オーバーシュート」とカタカナで表現していましたが)恐れもあるというものでした。要するに、用心は継続して自己防衛してくださいというのですね。
 こういう「発表」を聞きたかったんだと思いました。
 さて、そういうわけで、3/28(土)に予定していた「第二期第十二回Seminar」は延期します。
 5月23日(土)には岡山での「昭和36年卒同期会」が予定されていますので、イセキさんには申し訳ないのですが、7月25日(土)に、同じ「お題」でSeminar講師をお願いしたいと考えています。
 よろしくご了承ください。

2020年3月19日木曜日

花の山散歩・三毳山


 昨日の強い風からうってかわって今日(3/18)は、穏やかな好天。気温も上がると予報はいう。車をつかって三毳山に足を運んだ。カタクリを観に行こうというのである。カミサンも同道してくれるから、門前の小僧ができる。
 家を出て1時間で三毳山の南駐車場に車を止めた。ガラッと空いている。駐車場の西側に木の鳥居が設えられていて、みかも不動尊がある。神仏習合の典型的なかたちか。お大師さんの石像もあるから、民間信仰のごった煮というところか。登山口の方へ歩いていくと、こちらにも駐車場があり、ここは、けっこうたくさんの車が止まっている。なんだ、下の方は不便だから、皆さん上へもっていっているのだ。

2020年3月17日火曜日

切ない鬱屈を死刑にすることはできるか


 昨日(3/16)、「津久井やまゆり園」45人殺傷事件の植松聖被告に、横浜地裁は求刑通り死刑を言い渡した。それを報じた「ダイヤモンドonline(2020/3/16)」のジャーナリスト・戸田一法は、法廷での被告の様子を綴った末尾で、《植松被告は一切の後悔も反省もないように見える。そして、ネットでは支持する投稿がある。/それが、怖い。》と締めくくった。
 そうか? と、どこかに違和感を感じた。

2020年3月16日月曜日

「類的普遍性」をどこに認めるか


 「集団免疫」という言葉を初めて耳にした。今日のこと。新型コロナウィルスに関する英国のボリス・ジョンソン首相の演説。その内容が「事実上の降伏演説」というので、えっ、なに それ? と画面を見やった。ジョンソン首相の演説は、いたって率直。コロナの広まりは当分続き、簡単には収まらない。だが、「6割の人が免疫を身につければ、社会的にはほぼコントロールできる状態になったとみていい」。だから、学校を閉鎖するとかイベントを自粛するとか、出歩かないということはしない。それらを行うと却って、保険医療活動に従事する人たちの家に閉じこもることが多くなり、モンダイが大きくなる、と。上記の「6割の……」が「集団免疫」と呼ばれていた。むろん反対する(国内の)専門家もいるが、主導している二人の専門家の提案に今のところ沈黙しているという。

2020年3月15日日曜日

研究者の走る速さは驚嘆するほどだ


 新型コロナの関する首相の会見を聞くと、こんな雑な対応をするのは政治家ゆえなのか、この人物の人柄なのかと、慨嘆を交えて感じないではいられなかった。私自身がそれほどモノゴトに丁寧に応対してきたわけではないから、他人を謗るわけではないが、民主主義を標榜する一国のトップがこんなに雑では、日本国民も相当バカにされていると思わないではいられないのだ。

2020年3月14日土曜日

進化医学という視点


 「浮かれてていいのかい? ホモ・サピエンス」と新型コロナが声を発していると、昨日記した。
 いま読んでいる本で、「進化医学」という領野があると知った。健康とか病気を、個体の身体の機能的作用からみるのではなく、よりマクロの視点からとらえるアプローチという。出発点は、「そもそも病気とは何か」「なぜ人間は病気になるのか」という問いにあったそうだ。医学が歴史的視点を組み込み、哲学的にすすめられている(広井良典『人口減少社会という希望』朝日新聞出版、2013年)。出発点の問いに対する回答は、「病気とは、環境に対する個体の適応の失敗あるいはその「ズレ」から生まれる」というもの。

2020年3月13日金曜日

世界への天然警鐘


 WHOが「パンデミックといっていい状態」と宣言した。なあんだ、そんなことならいまさらあなたに謂われなくてもわかるよ、とこちらは思っている。
 ひと月ほど前、WHOに「パンデミックではないのか」とメディアの記者が問い、「そう判断する材料がそろっていない」と応えていたときに私は、WHOが予測というか、事前に警告する役割を担っていると思っていた。だが、毎日メディアが伝える、新型コロナに関する国際情勢をみていると、こりゃあ「世界的な爆発的波及」ってことは、子どもでもわかる。
 ということは、判断材料は違うだろうが、専門家集団が判断するのと、私たち市井の人が見てとるのと、ほとんど時差がないということなのね。ひょっとすると、市井の人の方が、余計なエビデンスを気にしない分だけ、(わが身に及ぶ)危険には感知能力が長けているかもしれないと思った。フェイクニュースの方が支持されるトランプ症候群に、私も感染しているのかもしれない。

2020年3月11日水曜日

桜が咲いたサクラソウ自生地、のたりかな


 これまでの予報と違って、今日は晴天。最高気温が20℃になるという。好天に誘われて、秋ヶ瀬の田島ヶ原まで行ってきた。といっても、公園内の駐車場は、使用禁止。河川敷の中ほどにあるテニスコートの駐車場に車を止め、南へ歩く。先日は北へ歩いたので、今日は南半分を散策しようというわけ。

2020年3月10日火曜日

春の日和に誘われ1000mの稜線を山歩


 このところの寒暖の変化と雨の降りようは、春真っ盛りの気配がある。今週の天気予報で、晴れるのは、昨日(3/9)とだけとあって、ついに山に出かけました。むろん公共交通機関は使わず、車でアプローチ。一台だと、下山口を登山口に近づけなければなりませんが、ちょうどkwrさんとkwm夫妻が同道してくれるという。2台あれば、かなり自在にルートがとれる。
 東京の西の端の村、檜原村の仲の平から槙寄山1188mに登り、そこから南東へ走る1000mの稜線を辿って浅間峠850mから上川乗に下山するルート。檜原村は登山を大切にしているらしく、この登山口と下山口の両方に駐車場を設け、トイレも設置している。ありがたい。

2020年3月8日日曜日

年寄りは出歩くな


 新型コロナの広がりは、まだ収まる気配がありませんね。TVに登場する専門家たちも、医者として発言しているのか、感染症の社会的関係を考えているのか、年齢による感染の多様性に目移りしているのか、それともメディアに登場している自分のパフォーマンスをイメージしているのか、よくわからないほど、ばらばらで、聴いている方も、困ってしまいます。ただ、誰もが口をそろえているのは、年寄りには危険。高齢者は不要不急の外出をしないように。自衛策をキチンと講じなさいと、いうことです。ハイハイ。

2020年3月6日金曜日

春爛漫、静かな秋ヶ瀬


 今朝、半年ぶりに秋ヶ瀬へ行ってきた。昨年の10月12日台風19号で水があふれ、秋ヶ瀬公園一帯が、立入禁止になった。荒川が溢れると、これまでもよくこういうことはあったが、19号による洪水は、これまでになく大規模であったのもかかわらず、最下流の墨田川も溢れることがなかった。その分、河川敷には水や土砂が押し寄せ、遊水地もいっぱいになり、ゴルフ場も野球場も、テニスコートも、浦和レッズの連取場も、何もかもが水と土砂の下になった。
 田島ヶ原のサクラソウ自生地のボランティアをしていたカミサンも、したがって、以来よりついていない。今でも秋ヶ瀬の何カ所かある駐車場には、立ち入りできない。ところが、カミサンの鳥仲間から「テニスコートわきの駐車場だけ使えるようになった」とお「お知らせ」が入った。鳥好きな人は、何度も何度も足を運んで、何処が使える/使えないというカベにぶつかって、身をねじいれる場所を探しているというわけだ。

2020年3月5日木曜日

近代化への天罰


 感染者が増えている。感染者の「足取り」も公表される。だが、その方々がどのようなルートをたどって行き来したかは省略されているから、聴く者が判断するしかない。なるほど、国内外を含めて、人の往還が広がっていることがわかる。つまり、バスや鉄道の交通手段は自ら防備するしかない。となると、たとえ「小さなイベント」であっても、集まるまでに人の多い広い領域を通過する場合は、「自粛」するかどうか、見極めなければならない。だが、「見極める」って、どうすりゃいいのさ。山へのアプローチも、なかなか判断がムツカシイ。自家用車で行き来する分には、「無観客」のようなものだからモンダイがないと考えられるか。

2020年3月3日火曜日

行き交う同窓生の十字路


 いま、「36会Seminarの七年の軌跡」をまとめている。36会というのは、私の田舎の高校の36年卒の同期生のうち首都圏にいる人たちがつくっている「同窓会」。だが、36会がいつどのような経緯で誕生したのか、私には、精確なところはわからない。2009年11月16日の「36会掲示板」に次のようなMハマダくんの書き込みがあった(*[数字]は「掲示板」の掲載記事番号です)。