2020年3月27日金曜日

屋外にも出るな、と?


 政府が一斉休校は終わりと宣言したのに、「爆発的感染の惧れ」とか「首都封鎖」などが都知事の口から出る。何がどうなってるんだ? とわが流言飛語構成機は「混沌表示」になったままだ。

 
 三蜜がいけないという。密閉、密集、密接がダメだそうだ。
 屋外なら、野外ならいいじゃないかと呼びかけがあって、ご近所の年寄りたちが近場の公園でサクラのお花見をした。それぞれがお酒とつまみを持ち寄り、お昼時間の満開の桜の下でシートを敷いて、3時間ばかりおしゃべりをして過ごした。風のない穏やかな日より、天気は晴朗の公園とあって、小さな子ども連れのママたちがいっぱい押し掛けてきた。風よけのテントが3張りもできた。

「いいかなあ、こんなところで宴会をして」と年寄りが気兼ねしている。
「なにに遠慮してるの?」
「ママがやってきて、イケナイデショ、おじいさんたち、って言わないかね」
「言いやしないよ。野外なんだから」
「だって自粛って言っているでしょ」
「屋内のイベントでしょ、自粛は」
「上野公園も、宴会するなって張り綱してたよ」
「あそこは人が集まりすぎるからだよ。野外なら大丈夫」
「でも終末は、外出するなって呼びかけてたよ」

 そうだ。そう言えば、週末は外出するなって都知事が呼び掛けていた。だがどうしてなんだ。首都圏の知事会議では(近隣県から)「東京へ行かないように」と呼びかけていたが、そういう外出じゃないのだから、徒歩のお花見はいいじゃないか。でも、週末の外出を控えろってのは、屋外も駄目よってことなのかい? とお酒を交えたおしゃべりは「混沌」の周りをうろうろと彷徨ってばかりいた。
 
 一番電車やバスが危ないのに、それが危ないとは言わない。いうとパニックになるから? いえいえそうではありません、だ。いうと、交通機関への「補償問題」が発生するからじゃないか。しかも首都圏という広い単位で経済生活は成り立っているから、それを止めるなんてことはできないじゃないか。だがそれが「経路不明感染」の筆頭だとしたら、隠すよりも言うだけは言った方がいいんじゃないか。そうすることによって、この感染禍が去ったのちに、人口集中とか、全国ネットの流通販売網とか、グローバリズムってことも、見直す検討に入れるのではないか。観光だって、旅行ブームだって、そうそう第三次産業ばかりに頼って人生を送るなんてことが、柱であっていいわけがない。
 
 でも、こういう災厄が襲ってきたおかげで、「お上」にお任せして暮らすことがいかに頼りないことか、よくわかった。わが身の置き方とか「せかい」ってものの紡ぎ方を、もう一度見直してみようって気持ちになった。頂門の一針とはよく言ったものだ。
 なんて考えていたら、イタリアでは「70歳以上の重傷者よりも、若い重傷者を助けることにした。70歳以上は死んでください」という方針で医療運営が行われていると、ニュースが入った。日本でもいつそうなるか、わからない。うろたえず、あとの世代のために「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と考えて覚悟を決めようと、年寄りのお花見は盛り上がったのでありました。

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