2017年2月1日水曜日
一点豪華の思親山
昨日は我が団地の水槽清掃日。むろん業者が入る。9時から午後4時ころまで水道が使えない。そこへもってきて日本列島の大半が晴天とあれば、山へ行かない手はない。ちょっと遠出をして、身延町の南、富士市の北、山梨県南巨摩郡南部町の山、思親山1031mへ行ってきた。身延町といえば日蓮宗の大石寺がある。「思親」という儒教的なセンスとどう見合うのかはわからないが、関係がないのかもしれない。
だが、遠かった。6時過ぎに家を出て、中央線の特急で甲府まで行き、さらに身延線の特急に乗り継いで内船駅に降り立ったのは10時前。5時間の行程、標高差約900mを歩き、内船駅の二つ南の井出駅からやはり身延線に乗り、富士駅で乗り換えて三島駅に出て新幹線に乗り継いで帰ってきたのは、7時過ぎ。約13時間の行動時間。電車に乗っている間はほとんど休んでいるので「行動時間」というのではないが、くたびれた。山そのものよりも、観ている「世間」の方が面白いと思ったそうそう、甲府盆地に特急が差し掛かったとき、御坂山塊の上から、首だけ出して覗き込むように富士山の白い山頂部が頭を出した。どこかでみた「でえだらぼっち」が人びとの村をのぞき込む絵本を思い出した。東からの陽ざしをうけ、富士山の東稜からあがる雪煙が青空に映える。
標高差900mといえば、まずまず登り甲斐があると考えていた。事前に(国土地理院)地図を見ると、林道を歩くのが半分、でも、林道をそれて実線の登路がある。そちらを踏もうと、地図をチェックしておいた。ところがその実線部分は舗装されていて、5mほどに伐った丸太を積んだダンプが上から降りてくる。その同じダンプが、丸太を降ろして下から登ってくる。運転手と目をあわせてをあげて挨拶した。私が道の端の斜面に上がってすれ違ったからだ。なんと、標高700m上の佐野峠を抜けて舗装路は東へと下っていた。佐野峠に差し掛かる手前まで細い林道と両側に立ちあがる山並み。ところが、その急斜面を両側に置いた佐野峠の正面の空いっぱいに、真っ白の富士山が姿を見せた。ああ、これが見たくてこの山に登るのかと、腑に落ちる。軽自動車が二台、広い駐車場に止まっている。誰かここに車を置いて登っているのか。ここまでコースタイムは2時間15分だが、1時間35分できている。
ここから山頂までの標高差あと190mが、山道。コースタイムは45分。ひょっとすると30分で行けるのではないかと胸算用をする。佐野峠までのスギとヒノキの森と違って落葉広葉樹が、葉を落とした幹を林立させている。かと思うと山頂部近くにスギが暗い森をつくる。「←思親山林道終点」と標識があるから、すぐ近くにまで林道が延びているのであろう。ところがこの山頂部の稜線が大きい。そういえば下から見たとき、大きな山体にみえた。おお、このスギ林の先が山頂だと思ったのに、その高台地に上がると少し下って先が伸びてあり、同じことを三度繰り返して、やっと思親山に着いた。12時15分。40分かかっている。
ここも、東側が開けていて、正面に雪をかぶる富士山が堂々と聳え立っている。手前に黒っぽくみえる山並みは富士山を外輪山のように取り囲んで伸びる御坂山塊の長者が岳・天子が岳。ここには2013年5月に上ったことがある。思親山の山頂部はベンチとテーブルを置き、燦燦と陽が差し込んでいる。お弁当を広げる。コゲラ、ヒガラ、エナガが飛び交う。ルリビタキが姿を見せ、カケスも声をあげる。帰りの、井出駅から乗る電車の時刻は15時31分だが、その一本前に乗れるかなと、ふと計算が働く。時刻表を見ると、14時29分。山頂からのコースタイムは2時間5分。なら、ちょうど良いではないか。ゆっくりと歩きはじめる。12時30分。
落ち葉が降り積もる登山道は、丸太で階段がしつらえられている。緩やかに下る。スギやヒノキの林がつづき、やはりこの山は林業を生業としている山なのだ。林道も稜線部を横切っている。だがガイドブックにあった、「ハンググライダー離陸台」というのが、わからない。スギ林が切れ終わるところに背の低い広葉樹と萱場があったが、あれがそうなのだろうか。スマホの地図を見るといくつも林道を横切る。13時55分に「源立寺」脇の林道に降り立った。そこで何本かの広い舗装林道が交わる。スマホの地図を見ると、GPSは△の矢印をみせているが、地図は空白。「内船→」の表示がみえたから、左だろうと見当をつけて左折する。この林道があまり標高差がなく、どんどん北へ延びる。可笑しいなと思って、プリントアウトした地図を見る。下の方に井出駅へ下る林道が屈曲しているはずなのに、下はずうっと急斜面の崖となって切れ落ちている。違うんじゃないか。そう思ってもう一度スマホを取り出してみると、まったく見当違いの方へすすんでいる。引き返す。結局、源立寺の十字路にまで戻る。なんと、回り込んで標識を見れば、「←井出駅」とあるではないか。時計を見ると、だいたい20分ロスしている。馬鹿だなあ。
井出駅へ向かうと、たしかにすぐに屈曲した林道がつづき、どんどん下る。標高差もたちまち350mから130mへと降り富士川の広い河川敷がみえ、砂利採取だろうか、広い採掘現場のような風情が
眼下に臨める。川の向こうには建物も見えるが、こちら側は山が川に迫り、かろうじてその隙間を身延線の線路が走っている。駅のホームを目の前にして甲府へ行く下り電車が通り、カン、カン、カン、カンと遮断機が下りる。時計を見ると14時47分。あの20分のロスをしなければ一本前に乗れていたと、計算する。電車は15時31分。その次の電車は17時5分までない。つまり、1時間半に一本程度の運行である。風を避けるための3畳くらいの広さの小さな駅舎で本を読んで電車を待つ。やってきた電車は、全部のドアは開かない。降りるときは運転手のいる最前部、そう放送が繰り返される。ところが富士宮駅を過ぎると、ドアは全部開くようになり、どっと高校生が乗ってきた。ここからは街になる、と思えた。
この山は、私の山の会で使えるだろうか。標高差と富士山の絶景は見ごたえがある。だが、上りの700mが舗装林道であるのは、どう考えても、山歩きの気分になれない。スギとヒノキのくらい林が多かったというのも、よくない。なにより、歩行時間の余裕を見ると15時31分に間に合うかどうかわからない。間に合わないと17時過ぎの電車になる。と、家に帰着するのは9時ころになってしまう。そんなことを考えて、「候補」から外した。見ごたえのあった「一点豪華主義」の富士山も、富士駅や三島駅への電車からは、田子の浦という駅名まであったのに、すっかり雲に隠れてしまっていた。
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