2017年2月7日火曜日

劇団ぴゅあ公演が受け継ぐ文化


 トランプの「七か国からの入国禁止」大統領命令に執行停止の仮処分が連邦地裁から出され、それに対してトランプ大統領が「前例にない判事非難をしている」と報道がなされています。「もしテロが起こったら、おまえ(判事)のせいだ」とトランプ大統領がいっているのですが、(行政府としての下品な言葉つきですが)「判事のせいだ」というのは、これはこれで、それなりに的を射ているのではないでしょうか。むろん判事の「仮処分判決」は行政執行においての直接命令ではありませんが、トランプ以前の行政府のやり方に戻れというのですから、それなりに「事態」に対しての(判断)責任を持たなくてはなりません。「三権」のひとつが、判断を下したのです。「責任」が阻却されるわけにはいかないのですね。でも、トランプ政権になってから、急にアメリカ世論が騒がしくなりました。「虚―実」を争うということも、大統領自身がマス・メディアなど自身に反対する勢力を敵に回す口つきもあるでしょうが、いつも反対派のデモが行われ、反対意見と衝突を繰り返している印象がまとわりついています。ま、アメリカという国はそれだけ民主主義的に健康な体力を持っているのかもしれません。


 日本の場合は、こうはなりません。大阪で維新の会が全盛であったころ(関東からみていると)まるで橋下徹の独擅場であったように感じていました。維新の会と反対派とのやりとりも激しくあったようには聞いていましたが、しかしそれも当事者間同士のことと受け止めていました。そうして結局、大阪都構想は住民投票で「否決」されました。日本では、そのように静かにコトが運ぶ。そのように私は考えています。関心がないわけではないが、直に訴えたり声を荒げることはしない。いつもバイプレーヤーのような立場に身を置いて(関心を持って)観ている、とでもいいましょうか。それは、民主主義的には主体的でないと考える人もいるでしょうが、そのような主体性を文化として身につけて来ていると、言えるのではないかと私は考えています。織豊政権のころからの習わしとなれば、四百年を超える心の習慣ですから、おいそれと変わるわけにはいかないのでしょう。民主主義も、上から与えられたものでした。それでも選挙や住民投票ともなると意思表示をするというふうに、ボチボチと形を成すようにはなっています。先の千代田区長選挙もそうでしたね。この文化的なスタンスこそが、私たち庶民が身につけてきた「政治」に対する距離感であり、態度なのです。

 目下の私の関心が大きくそうだから、こうなのかもしれないと思わないではありませんが、世の中が変わるのは「政治的な激変」によるのではないと思っています。むろん「政治的な激変」は切っ掛けや引き金にはなるでしょう。明治維新や71年前の敗戦は人々の暮らしの大転換ではありました。しかし人々の心根が変わるのは、その「激変」を乗り越えて孫の世代になってからようやく表れてくる。つまり「激変」の最中において人びとは適応するのに精いっぱい、何処へぶつけていいかわからない憤懣を、ほんの少しばかりの違いに差し向けたり、目前の不埒さに怒りをぶつけたりして、わが心のバランスを崩さないようにすることで力を使い果たしているのです。それを二世代経るうちに、わが心のバランスを崩さないようにする働き方が社会的な規範に反映して、多くの人の心の習慣をかたちづくるのではないかと、敗戦後の混沌を感じていた我が幼いころから自己意識を(いつしか)つくって来た径庭を想い起しながら、確信めいて思うようになっています。それを今の時点で言葉にすれば、ひとつの文化的な闘いであったと、腑に落としているのです。

 そんなことを考えながら、結成15年になる「劇団ぴゅあ」の第29回公演をみました。さいたま芸術劇場。このところ年に一回の公演であったから、もう29回を数えるというのに改めて驚いています。30人ほどのメンバーがそれぞれ仕事をもち、家庭を築きながら、年平均2回の公演をするというのは、並大抵のことではありません。しかも主宰者の萩原康節は「無料ワークショップを引き受けます」として、中学校・高校などの演劇部員の人たちの「発生やストレッチなどの基礎練習から朗読や演技、果ては音響・照明・大道具などの制作にいたるまで……責任をもってお教えいたします」と呼びかけています。つまり劇団ぴゅあの活動・運営ということだけでなく(彼自身が劇団ぴゅあを起ち上げるまでにもやってきていた)若い人たちへ演劇の裾野を広げるという社会的活動を視界に納めて、自身の領域を観ているのです。「演劇という文化を伝える」ことを己の使命としていると言っているのでしょうが、私からみると、「演劇という文化を伝える」ことを通じて、文化としての闘争をすすめていると受け止めています。えっ? 何との闘争? 己自身との、己をかたちづくって来た人と人とのかかわりとの闘争、そういう意味で、社会システムや政治的関係や国際的なかかわりという、ひとりの人としてはおおよそ背負いきれない歴史的堆積や関係的堆積という関係の絶対性すべてとの闘争であろう。萩原自身は本当に演劇とそれを通じたつながりが好きなんですね。

 彼は公演当日配られたチラシ「主宰ハギワラのハギワラ的劇団考察」の中で「人は常に一つの人生しか歩めない、選べない……実際の人生は。」と書いています。そうして「それでも物語のなかくらいは、もうちょっと運命に逆らったって好いんじゃないか」とつづけます。そうかな? と私は疑問符をつけて受け取っています。彼の脚本に書き落とし、演劇として上演する「物語り」も、歴とした彼自身の「実際の人生」だと思うからです。私たちは自分の手作りのことはたいてい、たいした価値はないコト考えています。田舎のお百姓が自家消費のためにつくる野菜などをタダだと考えるようなものです。ですが、じつはそれが私たちの暮らしの実務であり、そのような運びをすること/できること、そうした「かんけい」を紡ぐことの出来る気風が、私たちの心の習慣であり、文化なのです。市場の商品交換に出されてはじめて価値づけられると考えるのは、いわば外からの評価によってしか自らを価値(位置)づけられないという私たち人間がもっている「かんけい構造」のもたらす錯覚なのです。それは市場以外の「かんけい」を身内として(いつ知らず)内部化してしまっている(これも)心の習慣がもたらすことといえます。

 今回の公演『追憶ホテルの女』は、いかにも萩原脚本・演出らしいと、私は感じました。脱力系というと芝居の焦点が絞り切れていないように響くかもしれませんが、そうではなく、じぶんたちの日常の暮らしぶりを言祝ぐような響きを湛えています。御劔(みつるぎ)という役者のクールさと舞台の上での(ほんのちょっぴりの、しかし肝心な)変わりように萩原が託したのではないかとおもうほど、飄々と、でもつかむところはしっかりとつかんでいるよというメッセージが観終わったのちに浮かび上がってきました。

 そう言えば、萩原康節は私の子どもの世代。彼が「ワークショップ」で担当する中高生は、いわば私の孫の世代。三代経って初めて文化が受け継がれていくとすると、そうか、そろそろそういう時期かと、私は内心嬉しがっているのではあります。

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