2017年2月23日木曜日
道なき道の山歩き(2) 三つ岳の肩を越える
昨年の奥日光の山歩講では「おいしいものを食べたい」という希望があり、「誰ですか、そんなぜいたくなことを言っているのは! 賛成です。」という声に押されて、湯葉しゃぶしゃぶを特注したのだが、到着後のお酒がたたって、食べきれなかったと、ほぼ誰もが反省していた。今年は、食事の特注をしなかった。さらに私には、大いに反省すべきことがあった。2日間の雪山歩きを終えて帰宅した後、痛風を発症してしまった。その三日後に予定されていた奥日光案内ができなくなり、khさんやswさんに全部お任せしたという恥ずかしいことがあった。それ以来、夕食時の「晩酌」を止め、お付き合いとお祝いのときだけ飲むことにして、約一年という記憶があった。先週16日に街で集まりがあって友人たちと飲んで以来4日間、まったくお酒を口にしない日がつづいている。そう、今日のための用心でもあった。「威張ることじゃないよ」と嗤われたが、私にとっては画期的な出来事であった。
そこへもってきて、先週の下見で途中退却したルートを「案内」仕切ったという達成感がある。なにより先ほどまで降り積もった30センチの新雪を踏んで道なき道を歩くというのは、まだ登山道などがなかった頃の山歩きに近い気分が味わえる。この稜線のここ辺りでとり着いて、山容のスカイラインがこのように見えるあたりで、そちらを目指して進めば峠に行き着くという歩き方は、まさに地形を見ながら地図を読む気分。それが見事に当たった。コースにかけた時間も、おおよその見込み通りに運んでいる。むろん皆さんの脚力があったからだし、ラッセルの先頭の交代や、歩きに行き詰ったひとへの技術的なサポートをkhさんはじめ、皆さんが代わる代わるやってくれたからに違いないが、雪山のルートファインディングと地図を読む心もちは、達成感にひときわ以上の充足を与えてくれる。
そういうこともあって、風呂上がりわずか1時間の間に私は、ワインを一本ほど開けてしまったらしい。らしいというのは、翌朝、同室のkhさんから「ずいぶん速いピッチで飲んでたね」と言われたこと、デスクの上の空きビンが飲み量を示していたことで分かった。そして悪いことに、朝起きたとき、ほぼ、夕食に何を食べたか、何があったかを全く覚えていない。完璧に酔っぱらったのだね、本当に久しぶりに。khさんは「喉が渇いていたからでしょう」と優しく解釈してくれたが、記憶が飛んでしまうほど飲んだのは、還暦後初めてのことだ。まあ、この元気さは寿いでいいかもしれないが、一気に認知症にまで跳躍するかもしれないとも思った。
22日、朝8時50分ころswさんの車を光徳の駐車場へ置きに行き戻ってきて、先に出発した皆さんに合流。9時、湯ノ湖畔、冬季通行禁止の金精道路入口から小峠への林道に分け入る。踏み跡はついていない。昨日から誰もこのルートをたどっていないということだ。いいねえ、こういうコースって。雪は深い。沈むから、重い。雪で倒されている樹々の幹や枝が歩行を妨げる。ここもラッセルを皆さんが交代で務めてくれる。1時間ほど歩いた林道の途中から光徳牧場と湯元の旧道に分け入る。樹林の中。むろん旧道など影も形もない。何しろ奥日光が国立公園に指定されたころに湯元へ抜ける道路が開鑿されてからは、まったく使われなくなった道だ。木柱の看板も朽ちてなくなってしまった。
ここから三つ岳の三つある山頂の東よりの肩、つまり峠を越えて光徳牧場に下ろうというコースだ。林道からの分岐が標高1570mほど、いったん1700mほどに上って肩の1670mに向かう。標高差でいうとわずか100mほどだが、針葉樹が枝を張り、雪の重みで行き先を阻む。そこへもってきて吹きだまる雪が脚をかけると崩れ落ちて一向に身体を持ちあげることができない。すぐ後ろに、今日76歳になったばかりの最高齢者がつづいている。歩きやすいルートを辿らねばならない。もう何度もここを通っているのだが、これまでの記憶と印象が違う。積雪量ですっかり変わって見えるのかもしれない。はて、ここよりまだ少し直進して南へ行ったようにも思うが、この辺りで左へすすんだろうか。後続に「少し待っててください」といいおいて、左の急傾斜を登る。上まで登って先を見れば、肩の方へ向かえるかできないかがわかろう。50mほど先へ行くと、その向こうが広く開けている。そうかここかと、記憶の印象と比べて「OK! 来てください」と声をかける。
三つ岳の中央峰の樹林の山体が行く手を阻む。東の方へと迂回して、高いところへ登る。三つ岳の東よりの峰の山体が迫り、その二つの山体が正面南の方で低く交錯しているのであろう、スカイラインが目の高さにみえる。ここより上へあがる必要はなかろうと、トラバースに移る。記憶のルートでは谷あいが深く歩きにくかったのに、いまはさほどではない。雪面からササタケか萱のような葉先が顔を出している。これは記憶にある。雪が少ないときはスノーシューを傷めるのではないかというほどごろごろの石も出て、風で吹き飛ばされていたところだ。これでいいんだ、と確信が湧いてくる。その先で谷あいに降りると、太い倒木が横たわっている。いつもなら、雪の上の顔を出して迂回する大木だが、今は雪がかぶさって程よく乗っ越せる。その先を回り込むと大きく降って広い峠の南端があったなあと思いつつ回り込むと、どんぴしゃり。11時到着。お昼にする。正面に男体山が大きな火口を見せて屹立する。陽ざしは暖かく、雪がどんどん解けていっているような気がする。
30分ほどでお昼を済ませ、光徳牧場の片隅にある学習院の寮へ向かって急斜面を降る。これが今日のメイン。斜度が30度以上になろうというこの急斜面を深い雪を踏んで下るのは、雪山歩きの醍醐味を堪能できる。陽ざしを受けて少しやわらかくなった雪は、スノーシューを受け止めてそれほど崩れず、歩きやすい。ふだん下りは苦手と言っているmrさんも、「新雪の方が歩きやすいね」と、他の人が歩いていないところへ踏み入って、調子よく降っている。先頭を行くのは最高齢者のotさん。つい一昨日が誕生日であったというmsさんも、踏み跡がついていないところを選んで下っている。kwrさんは、わざわざ傾斜の急峻なところを選ぶようにして、雪と遊ぶ。標高差200mを30分足らずで降りてしまった。
学習院の寮がみえたところで、少し上に上がる。と、下から「何処から来たの?」と声がかかる。「湯元から」と応じると、寮の舎監であろう、「ここは学習院の敷地だから、そこをトラバースしたら山王峠からのルートと出逢うから、そちらを通って」という。下の方には寮へ入る車の道が除雪されて雪にくっきりと深い道を刻んでいる。横切ると雪上車の通った後がついている。光徳のクロスカントリースキーのコースであろう。khさんが先頭を歩き、光徳牧場の方へ踏み込んでいく。こうしてアストリアホテルに着いたのは、13時35分。出発してから3時間半の快適ハイキングであった。
夕方仕事があるというswさんの車で湯元の私の車まで送ってもらって、そこで別れ、私はアストリアホテルに引き返してkhさんがまとめておいてくれたスノーシューを積み込んで返却に向かった。4時過ぎに家に帰り着いた。そうそう、2月生まれの人が2人もいたおかげで、宿の「割引」があった。お蔭で、お酒やワインを注文したのに、ひとり頭1万円の支払いで清算が済んだ。これからも、誕生月の人には是非とも参加してもらわにゃならんと思った。
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