2017年2月9日木曜日

けっこう変化に富んだ山、高尾山


  今みぞれが降っている。今日は荒れると、ずいぶん前から予報が出ていた通り。昨日まではすこぶる付きの晴天。山の会の「日和見山歩・城山―高尾山」。高尾駅で8時過ぎの小仏行きのバスに乗って「日影」バス停で下車。登山者がけっこうたくさん乗っているのに驚く。高尾山の北側に並行して走る尾根を登り、かつての小仏城址の城山で、高尾山からの尾根と合流、そこから南へ下り大弛峠から再び高尾山の稜線へ登り返すというコース。つまり、高尾山の、年間三百万人が訪れるという混雑するルートを外れて、静かな高尾山をぐるりと経めぐるという、なかなかおしゃれなコース。今日のチーフリーダーMsさんが選んでくれた。


 バス停からわかりやすい道を選ぶと、ほとんど城山の山頂付近まで舗装された林道を歩く。でも、そうでないとルート上に「案内標識がない」と地図にある、稜線へ登り、城山山頂付近で舗装林道と合流する。それはそれでおもしろいかも、とMsさんは迷っている。案内標識がなくても地図があるんだから、探しながら行きましょうと話す。日影沢を渡るとりつきのところ、《電柱の「中継支6」と「5」のあいだの広場を渡る》とガイド地図は記している。うっかりすると見過ごしてしまう。「5」の表示は電柱にない。「中継支6」ははっきりと白いプラスティックに記してある。「ひとつ標識を出せばいいのにね」といいながら、日影沢を渡る。

 今日は久しぶりに顔を見せた方々がいる。11月の乾徳山でむち打ち症を患うことになって、もう山歩きができないのではと心配された鉄人のKhさんが復帰した。相変わらず首を回して振り向くことが出きないらしいが、動かないとねと、リハビリのつもりできたようだ。無理をしないでねと周りが気遣うが、そういうことは先刻承知、はじめからストックを出してゆっくりと歩を進める。「今度転ぶとおしまいだからね」と医者に言われていると、笑って話す。アスリートとして過度に身体を酷使してきたことがベースにあるから、いまさら元に戻るわけにいかない。「いや、健康でいるってことが(どういうことか)初めてわかったよ」と登りながら話をする。そうなんですよね。健康でいるってこととアスリートであり続けることってのは、まったく違う世界の身体の使い方をすることなのよねと、ふだんから無理をせず、いい加減なところで我が身をいたわっている私は、彼とは違う側に身を置いて同感する。Khさんは歩くにつれて調子が上がってきたようだ。お昼を済ませてからは隊列の中ほどをひょいひょいと歩くようになった。

 11月末の彦谷湯殿山以来という方も、2人来ている。Mrさんはご自身の腰痛や脚のしびれと娘さんの看病などのために山をしばらくお休みしていた。今日は、娘さんが仕事のお休みをとって留守を守ってくれるので、顔を出すことができたようだ。日影沢を渡ってからの稜線登りもがしがしと調子がいい。日影沢バス停の標高230mから城山670mの約440mは、ヒノキ林やスギ林がそこそこ手入れされて陽が入り、広葉樹の葉が落ちた明るい稜線が入り組む。木立の間から中央高速を挟んで北側の景信山から陣馬へつづく奥多摩の山並みが黒いシルエットをみせている。歩きはじめには寒いというよりは冷え込みがきついというような気温であった。体が温まり汗ばむ。良い登山日和だ、と誰かが言う。

 もう一人彦谷湯殿山以来のMzさんが来ていた。彼女は「ずうっと林道歩きだと思っていたから来たのに……」とぼやいている。山のことをよく知っている情報通だのに、自分に自信がなくなっている。はたして歩けるかどうか、皆さんの足を引っ張っているんじゃないかといつも気にしている。今日も、上りがつづいて息が切れる。今日の女性陣の最高齢者。ふだんなら1時間ほどで(引き返そうか)といい始めるのに、今日は城山までの1時間40分を歩き通した。彦谷湯殿山のときも、どこで引き返そうかと考えていたが、4時間近くを歩き通した。今日は、でも、大弛峠への下りはエスケープして、ひとりでお先に一丁平―高尾山をたどり、稲荷山コースを降ると決めて、チーフリーダーのMsさんに伝えている。「何度もここは歩いているから(道は分かる)心配いらない」と言い放って、城山山頂で別れた。10時。城山山頂でやっと、他の登山者と出逢った。雲を寄せ付けない富士山が静かにたたずんでいる。

 案内標識がしっかり整備されているが、あちらを通っても、こちらを通っても同じところに行けるというほど登山道が四通八達しているから、そこに記された「距離」を見極めなければならない。「大弛峠2.4km」とあるすぐ下に90度違う方向を指して「大弛峠1.2㎞」と標識がある。むろん近い方を選ぶ。違う方向へ来ているんじゃないかと思い始めたころ、トラックのエンジン音が耳に入る。おっ、ぼちぼち大弛峠だと思う頃、足元の方にフェンスがみえ屈曲する国道が走りトラックが頻繁に通り抜ける。その国道に降り立ち少し歩いてまた、山肌にとりつく。梅の木平と一丁平との分岐になる。

 国道を横切らず、再び高尾山の山並みへ戻る。標高差200mほどを登り返す。草付きの広い登りに差し掛かったころ、鋸をもち標識を袋に包んだのを持った若い人たち3人とすれ違う。訊くと木の枝打ちをしているという。そういえば、登山道の桜の大木の枝が折れてけがをした登山者が訴えて勝訴したなあとKhさんが思い出す。ええっ、そんなことで訴え出るのか、と私は思う。山を歩いていてそのような事故に遭えば、まさに「不運」。でも逆に、そんなことにも出逢わずに山歩きをしてきたことを「幸運」と思えば、何かがあったとて訴え出るのはお門違いじゃないか。いつでもどこでも、安全に暮らせるというのは、日常の暮らしの範囲においてのこと。山を歩くのなら、そんなことは全く自分で引き受けていなくちゃならないよね、とKhさんを歩きながら話す。

 11時半、一丁平につく。ここでも正面に富士山が見事な姿を見せる。テーブル付きのベンチがある。お昼にする。頭上の桜のつぼみが、まだ紅くなっていない。ずいぶんな古木だ。よく見ると、太い枝が切られて、そのわきから新しい枝が伸び出している。そうか、もう寿命なのかもしれない。その枝が枯れ落ちて「事故」にならないように枝打ちをしていたのが、先ほどの若い人たちなのだねと言葉を交わす。営林署? 林野庁? 環境省? 登山道の整備なんて、どこの管轄なのだろう。

 お昼が終わるころ、城山で別れたMzさんから「これから稲荷山コースで下ります」とチーフリーダーにメールが入る。私たちも行きましょうと出発する。12時。広い両線のせいかルートが三つに分かれている。真ん中をとる。階段がしつらえられていて、急峻。足の運びが階段に規制されるから歩きにくい。脚を持ちあげる力が均等にかかってくたびれる。たぶん利き脚と利かない脚があって、それにかかる力が一方に偏ると負担に感じられるに違いない。Khさんが「持ちあげる足が交互になるように階段の幅をつくってるよ」と、あるところで気づいた。そうか、面白い。そんなところもあるのだ。チーフリーダーは高尾山の山頂近くになって巻き道をとった。「また階段ではねえ」と忌避した。4号路と表示がある。いったん上り、高尾山の山頂近くを通って標高600mほどから200mほどへどんどんと降る。一つ沢をつり橋で渡る。常緑広葉樹もあって深山幽谷の気配も感じる。道は歩きやすいのだが、こんなに下って下まで降りてしまうのではないかと思ったが、標識は相変わらず「ケーブルカー →」とある。そうしてポンと薬王院の入口になる浄心門に出る。すぐ先にケーブルカーとリフトの乗場に別れる。

 私たちはどちらにもいかず、なかほどの琵琶滝へのルートをとる。「上級者コース」と標識にある。へえっ、上級って書いているよというと、サンダルを履いた人もいるからよと、誰かが説明する。歩いて分かる。登山靴を履いている人は上級者なのだ。でもそれなりに変化があり、上ってくる人もいる。琵琶滝のところには滝行を行う受付所がある。そういう人もいるんだ。ここからは舗装に近い林道。広い道へ出る谷合いに大きな高尾病院があり、その後ろをケーブルカーの軌道が走っている。高尾山口駅はすぐそばであった。

 ひとつ書き添えておかねばならない。駅施設に付属するように温泉が設けられている。入っていこうというので、風呂につかり汗を流す。14時過ぎ。露天風呂もあり、湯温もとりどりをそろえて、長湯ができるようにしてある。風呂から上がり一階の食堂でビールを飲む。山歩きの達成感が、腸に沁みる。といい気分。ところが、帰ろうと思ったら、荷物を置いた私のロッカーのカギがない。あちらこちらを探したが見つからない。とうとうカギ代を弁償して開けてもらい靴を履くことになった。待ってくれていたMrさんが、その上着の下にあるかもしれないから脱いでみたらという。フリースを脱いだら、なんと腕の中ほどにカギがあるではないか。すぐに持って行って弁償金を戻してもらったが、いやはや、お恥ずかしい。お待たせして申し訳ない。こんなことでうろたえるようになったのですね。歳のせいということにはできますが、ほんとうにぼちぼち付き添いが必要になるのかもしれません。Mrさんには当分、頭が上がりません。

0 件のコメント:

コメントを投稿