2017年4月20日木曜日

天皇制と私(3)私たちの自然感覚の根源の米作


 卑弥呼らの「くに」を現住系と呼ぶわけにはいかないが、渡来集団からみると先住民の国であったことは間違いない。渡来集団が先住集団を平定したからといって、どうしてそれを隠さねばならないのか。あるいは、渡来集団である加羅系集団に婿入りした百済系集団が乗っ取ったからといって、どうしてそれが正統性を欠くとみなされるのであろうか。あるいはまた、辛亥のクーデタや乙巳のクーデタで政権を掌握したことを、なぜ別の物語をつくって隠さねばならなかったのか。誰がいつ誰に対して何故と、疑問は湧き起る。その疑問を林順治は、フロイトの「心的外傷の二重性理論」を媒介にすることによってクリアしたのであろう。

 伊勢神宮が造営されたのは天武・持統朝と、新谷尚紀の『伊勢神宮と出雲大社――「日本」と「天皇」の誕生』(講談社選書メチエ、2009年)は記している。「記紀神話」と謂われる『古事記』『日本書紀』が編纂されたのは、そのほんのちょっとあとである。林順治が編集者であったのに似て、新谷尚紀もまた歴史学者ではなく、柳田國男や折口信夫の民俗学からのアプローチをしている、いわば(ちょっと)岡目八目の研究者である。私がそういうちょっとステップアウトした(在野の)研究者に魅かれるのか、そういう立場の人の「解説」が私のような門外漢に「わかりやすい」のかわからないが、「得心が行く」とか「腑に落ちる」ということには、何か(文脈や論調に)底流している作風と、それを読み取る私の身体に刻まれた「自然性」が関係しているように思えてならない。しかし、私たちが今「読み取っていること」には、現在の価値観や視点が(無意識のうちに)入り込んでいる。その当時の人たちの「支配の正統性」がなんであったか(それ自体を)を探ることは、ほぼ不可能だと思う。そう思いながら何冊かの「記紀」にまつわる本を繙いていて気づいたのは、まず、「記紀神話」の裡側からどうみているかを読み取ることではないか。内側というのは、神道に対して共感性をもって「記紀」を読み取る人たちが、どのような「自然観」をもっているかである。

 三橋健『伊勢神宮』(朝日新書、2013年)の著者は1939年生まれ、神道学者。神道学博士の称号を持つ国学院大の教授である。この方を内側からの視線と見立て、この本を通じて、古事記、日本書紀の物語りの構造を読み取ってみた。すると、記紀神話においてオオクニヌシが不可欠の部分を占めている。高天原の神の国から葦原中国(あしはらのなかつくに)に天孫降臨するより以前に、「大国主神(おおくにぬしのかみ)によって国造りが行われていた」。また、「そのことは大国主、すなわち、「偉大なる大地の主」との神名にも現れている」と三橋は記す。これは先住民がいたところへ「渡来集団による統治」が行われのが「天孫降臨」であると意味している。つまり、高天原という神の国とは、加羅系や百済系の渡来集団の故地を指しており、故地におけるスサノオの暴虐(朝鮮半島における争い)を厭うてアマテラスが天岩戸に身を隠したとは陽の当たる新天地を探る過程を意味し、渡来することによって葦原中国を見出し、そこを治めよと「天孫降臨」したとする物語がかたちづくられる。故地を神の国とすることによって出自が権威をもち、新しく切り拓かれる葦原中国を治める正統性が神によって授けられたと、つまり王権神授説を採っていると読むと、いずこの国にも見ることのできる、「物語り」になる。もちろんこのさらに裏に、模倣や暴力への「世の初めから隠されたこと」が底流していることも、いうまでもない。

 天照大神の命を受けた瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)につきしたがった建御雷神(たけみかずちのかみ)が大国主に「国譲りを迫る」が応えない。大国主の息子・建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神が「力競べ」をして勝ち、「(大国主が)引退するための住居を天照大神の御子の宮殿と同じように造る」ことをして、「国譲りを受諾する」運びになった、という。「力競べ」はしたが「譲り受けた」。しかも、大国主を祀る出雲大社を造る。あくまでも葦原中国という大地の神の助力を得て「瑞穂の国」という新天地を築こうとする物語りに仕上がっている。フロイトの「心的外傷の二重性理論」がどう作用しているかにここでは触れない。ひょっとするとそれは、これ以降の、加羅系と百済系という渡来集団の権力争いに適用される「物語り」かもしれないという気はする。

 こうも言えようか。大国主との物語りは、渡来し統治したことを「隠す」というよりも、神の意思(神勅)をもって恩恵を施しにきたと(先住民や渡来系の同行庶民に)伝え遺す物語りが、なによりも統治する人々にとって(支配の精神的支柱として)必要だったとみることができる。その上で、さらに後に渡来系同士の間の血で血を洗うような凄惨な権力闘争が生み出すトラウマを昇華させる物語りを組み込んだ、と。

 三橋の記していることで目を惹いたことがある。天照大神が瓊瓊杵尊に授けた「三つの願い」があったという。「宝鏡奉斎の神勅」「天壌無窮の神勅」「斎庭(ゆにわ)の瑞穂の神勅」が三大神勅として日本書紀に記されている、そうだ。「宝鏡奉斎」は、「この鏡(謂わゆる八咫鏡か)と床を同じくし、また御殿を共にして」わが魂と共に居よと謂う意味らしい。また、「天壌無窮」とは天皇の皇統が永遠に続くという祈り。最後の「斎庭の瑞穂」というのが、いつまでも瑞穂の国であるようにという願いを意味していようが、(歴史的事実として)すでに米づくりをすすめていた大国主の治める大地に(ひょっとしたら)さらなる米作技術を携えて渡来集団がやってきて、統治するようになったと解することができる。

 つまり「天照大神の願い」の「斎庭の瑞穂」は、渡来系であろうと先住系であろうと、この地に米作に拠って暮らす人々にとって「得心の行く」願いである。もちろん米づくりに入る前の縄文の人たちは熊襲や蝦夷として蹴散らされて思慮の外であったと思われる。三橋は上記のことを記述したのちに次のようにまとめている。

《いうまでもなく、これまで述べてきた神話は、いずれも歴史的事実ではない。しかしながら、伊勢神宮で最も重要な神嘗祭には、神話と歴史が一つとなって息づいている。神話と歴史が時空を超越して今も生きているのである。/このように神代の時間と空間が今も生き生きと脈打っており、すべての根源を包蔵している一大聖地が、他ならぬ伊勢神宮なのである。》

 神話と歴史的事実とを切り分けておきながら、「神話と歴史が時空を超越して今も生きている」とはどういうことか。「すべての根源を包蔵している一大聖地」と呼ぶ伊勢神宮に何がどう受け継がれ、今に至っているのか。この(引用した文章の)前段と後段のギャップが、おそらく今の時代と伊勢神宮に受け継がれている「神代」からの物語りとのズレがあり、ズレがあるにもかかわらず(「お伊勢参り」が今の時代に)受け容れられている共感性の「根源」がみてとれるのではないか。そんな予感をもちながら、さらに「共感性の根源」を探っていきたいと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿